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Episode1 北斗七星とヴァンパイア
1
「……ま、イ様、ルイ様」
ホテルマンの声で夢に沈んでいた意識が浮上した。
ゆっくり目を開けると、赤色の毛足の長い絨毯と温もりのある木のテーブルが目に入った。座り心地のよいソファーと適度に薄暗い照明は再び睡魔を呼びかけるが、ここはホテルの客室ではなくロビーだ。
気持ちよく寝ていたことに内心苦笑しつつ、懐かしくも最悪な出来事を夢に見たなと思った。
村や人々が燃え、唯一の生き残りが人ではなくなるあの夢。あれは、人としての自分が死に、新たな自分が生まれた日のことだ。あの時、仲間に引き入れてくれた旅人は元気だろうか。恩人であり、どうしようもなく嫌いなあいつ。身勝手な理由で別れた後もあいつの伝手で色々旅をしてきた。結局俺はあいつに頼りっぱなしだなと呆れてしまった。
何か言いたげなホテルマンが、紅い色のダブルボタンの燕尾服に黒いパンツ姿の男が、こちらを見ていた。別に忘れ居ていたわけではない。考え事に没頭しすぎたなと反省した。
あとで、このホテルマンにチップを多めに渡してやろう。
「お休みのところ失礼いたします」
「いや、こちらこそ済まない」
「ルイ様に会いたいという方がいらしているのですが……どうされますか? 」
「私に? 取り敢えず通してくれ」
「かしこまりました」
ホテルマンは優美にお辞儀をし、去っていった。
それにしても誰だろう、と首をひねった。自分に知り合いはいない。あいつの属する一族の使者なら、ホテルマンがわざわざ告げに来ることはまずない。
何故なら、このホテルは最高級ホテルだが、一族の息がかかっているからだ。
つまり、一族の者であれば顔パス同然なのだ。
故に、ホテルマンが声をかけてくるのは珍しいことであり、警戒すべき事態ともいえる。
先程のホテルマンが、大きめのトランクを持った若い青年と紅茶をもって現れた。珈琲を二人分置くと、ごゆっくりと言って去っていった。
ホテルマンが連れてきた青年は、少し背が高くスラッとしているが、どこか愛らしい印象を受けた。
ただ、どこか人間ではないオーラがあった。
全体的にふわふわとした髪は濡れ羽のようで、瞳はオニキスのように黒く輝いている。肌は雪のように白く、顔の輪郭が少し丸みを帯びているせいか美味しそうに見える。
暗めの紺の上下のスーツと黒っぽいネクタイが、青年の大人の色気を演出していたが、どこか幼さを感じた。
ホテルに来るのが初めてなのか、それとも人見知りなのか。青年はトランクを持ったまま、ずっとおどおどしていた。
目の前でおどおどされても落ち着かないので座るように促し、紅茶を一口すすった。
青年は対面のソファーに座り、トランクを横において紅茶を一口啜り、自分を落ち着かせようとしていた。
「あ、あの、貴方がミスター・ルイ、ですか? 」
少し、ハスキーで甘く爽やかな声でそう言った。多分、耳元で甘い言葉をささやいたら、どんな女だって落ちるだろうなと思った。
「ええ、そうですが、何か? 」
「あ、いえ、あの、貴方に確認したいことがあるのです」
「確認、ですか、何でしょう? 」
青年があまりにも緊張したような声で言うものだから、こちらまで緊張してきた。紅茶が不味くなるからこういうのは嫌なのだが。
「ミスター・ルイ、貴方の真明はミスター・スフィリアントス、ですよね」
「何故それを……君は一体誰なんだ」
何故、この青年は俺の名前を、ヴァンパイアとしての名前を知っているのだろう。そもそも、俺の存在を知っているのは一族の連中か、あの忌々しいヴァンヘルシングくらいだ。もっとも、あのヴァンヘルシングは俺の名前すら知らないだろうが。
それなのにこの青年は俺の名前を呼んだ。もしかして、この青年は第三者の刺客なのだろうか。あらゆる可能性が頭を駆け巡る。愛らしい見た目だからと言って油断はできないな。
警戒心とさっきを静かに出している俺をよそに、青年は何かを確信したのか、嬉しそうに笑いながら、キラキラした瞳で俺を見ていた。
本当になんなんだ、こいつ。犬か、犬なのか? いや、というよりも気味が悪い。一族の使者でもない、ヴァンヘルシングでもない。恐らく人間でもないであろう青年を見つめた。
「ずっと会いたかったよ、パパ! 」
「……は? 」
目の前にいる青年が発したであろうワードに、思わず凍り付いた。
しかも、大声でそんなことを言うものだから、周りまで凍り付いていた。あと、何となく飛んでくる視線が、氷の刃のように痛い。何だこいつ。犬か。今にも久々に会ったご主人様に飛びつこうとしている犬か。尻尾を捻挫しそうなくらいブンブン振っているのが見えそうだ。可愛いな。そうじゃねぇだろ俺。犬の様な可愛さに騙されるな。
というか、俺に子どもはいないはずだ。それに、子持ちのヴァンパイアなんて聞いたことがない。そもそも、ヴァンパイアが子孫を残せるなんて聞いたことがない。
いや、やれないことはないし出るけど、そういう意味での繁殖の機能はないはずだ。
何とか気を取り直し、詳しい事情を聴くために青年を自分が宿泊している部屋に連れていくことにした。
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