Episode1 北斗七星とヴァンパイア

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2  青年の話を聞いて俺は座っていたソファーの上で脱力していた。 実に心当たりしかない話だったからだ。  ダークブラウン色のテーブルの上に置かれたグラスを手に取り、赤ワインを一口含む。  現実逃避にぐるりと少し薄暗い部屋を見回す。重いカーテンが下りた窓と、簡易的な書斎机。キングサイズのベッドが二つと壁に飾られた絵画。二つのベッドのうち、一つを使って青年が荷物の整理をしているのが見えた。  重くため息を一つ吐くと、セプテントリオーネスと名乗った青年の話を思い出していた。  彼はある一族の出身の子どもらしい。ある一族というあいまいな表現なのは、本人もよくわかっていないらしい。  人間の一族でないことは、話の感じからわかるが、何なの種族かまではわからない。一族の中のルールで子どもには知らせないとか何かあるのだろう。こればかりは仕方ないことだ。精神が未熟だかこそ受け入れられずショックを受けてしまったり、外でしゃべったりする危険性があるからだ。  彼が住んでいた屋敷では、ずっと祖父と使用人たちと一緒に暮らしていた。両親については何も知らされていなかったという。  ただ、成長にするにつれ、両親について知りたいと思うようになった。そこで、屋敷の人間に聞いて回ったが、誰も教えてくれなかったそうだ。  ある日、そんな彼を見かねた使用人が、父親ではないかと思われる俺の存在を教えたらしい。使用人の話によると、こういうことらしい。  ある新月の晩、ダンスパーティーであなたのお母様は見目麗しい男と二人で部屋に行った。その後、部屋の方で何か騒ぎが起きたらしい。騒ぎから数か月後、お母様はご懐妊し、貴方を産んだのだと。  その話を聞いて、思わず嗚呼となってしまった。多分それ俺です、ダンスパーティーでナンパしてしまいました。黒歴史とはいえ、穴があったら入りたい気分だ。  あの夜、ダンスパーティーに潜り込んだのは食事のためだ。  ヴァンパイアと言えば、生きた人間の血を啜り、鏡とニンニク、光を嫌うと思われがちだが実際は違う。  基本的には心臓部を銀で貫かれなければ平気だったりする。もっと言えば、基本的には人の血がなくても生きていける。人と同じ食事や赤い花から命を摂取すれば必要がない。  だが、それは元人間のヴァンパイアには当てはまらない。元人間のヴァンパイアは少量でも定期的に摂取しないと餓死する時期がある。ちょうどその時期だったため、飢えを抑えるために潜り込んだのだ。  ただ、あの時確実に俺はミスをした。  パーティーの会場から連れ出し、彼女の部屋に行った、そこまでは良かった。 ……余りにも美人で好みのタイプだったので、歯牙をかける前に情をかけてしまったのだ。  情をかけた後に血を頂こうと思ったら、恐らくその女の父親であろう男が乱入してきて、慌てて退散したのだ。  心当たりとしては、いや、もし本当に俺の子なら間違いなくそれしかない。  普段なら、絶対に情をかけたりしない。それに、そっち方面での欲求は基本低いし、誰でもいいわけではない。ついでに言うなら、ヴァンパイアとしてはアレが初体験だったし。やる機会がそもそもない。あってたまるか畜生め。  人間時代に自分の子はいたが、妻や村とともに焼けてしまった。つまり、チェリーではない。ヴァンパイアとしてはそうかもしれないが、総合的に考えればチェリーではない。ちなみに、魔法も使えない。三十路前に結婚したし、ヴァンパイアになっちゃたし。  よって、ヴァンパイアになってからできた子どもということになる。  まあ、外見は少し似ているし、心当たりもある。だから、子どもですと主張されると否定できない部分が有るのだが……。 「パパぁ、これどこにかければいいの? 」 「パパって呼ぶな! あっちにクローゼットがあるからスーツとか上着掛けとけ」 「ん、りょうか――い、パパ」  だから、と言いかけてやめ、重い溜息を吐き出した。せめてお兄様とか、お互いの外見に合わせた呼び方にしてほしい。ロビーで「パパ」叫ばれたときは肝が冷えたからやめてほしい。  注意するついでに、いくつか言っておかなければならないことがあるな。コートをかけ終わったであろう青年にこっちに来るよう促し、座らせた。 「君が今後どうするかは知らないが、しばらく一緒にいるならいくつか注意事項を言っておきたい」  低めの真剣なトーンで語り掛けると、彼はすっと背筋を伸ばした。真面目に聞こうという気はあるらしい。これは好都合だし、彼は長生きするだろう。 「それは、しばらく一緒にいる、行動を共にすると捉えていいのかな? 」  彼、セプテントリオーネスは俺の言葉に真剣そうな表情で頷いた。 「よろしい、ならば、今からいう周囲事項を必ず守れ。これは、俺のためだけじゃない、お前を守るためにもだ」  セプテントリオーネスは真剣な表情で頷いた。俺はそれを見て、彼の真剣さがわかったので注意事項を上げていった。 「一つ、俺と二人きりであると絶対の保証されている時以外、絶対パパと呼ぶな」 「どうして? パパはパパじゃないか」 「明らかに不自然だからだ。俺は人じゃないから歳をとらない。吸血鬼になった時の年齢のままだ。よって、今の俺と君の見た目の年齢差だけで言えば、明らかに親子には見えない。よって、俺のことをパパと呼んでしまうとどえらい勘違いをされ、注目される。」 「セプテントリオーネス、君が何なのか現時点では不明だ。けどな、俺は人ではない。注目された挙句にトラブルに巻き込まれて、逃げられなかったら終わりだ。できるだけトラブルを避けるためにも禁止だ。それに、まだ、親子と確定したわけじゃない」 「うっ……わかったよ、パパ」 「だから、ってまあ、今は二人きりだからいいか……」  なんだか、濡れた子犬みたいだなと思いながら、赤ワインをグラスに注いで飲んだ。本当は、彼にも何か飲み物を渡したいのだが、話の途中でキッチンに行くのもはばかられた。かと言って、自分が飲んでいるワインを飲ませるわけにはいかない。  癖で年齢を聞かなかったが、二十歳前後ぐらいに見える。万が一を考えると飲ませるわけにはいかない。  もし仮に、年を取らない種族だったとしても、成人になるまでは飲んではいけないという暗黙の了解があるから飲ませないが。 「二つ、知らない人には本名を基本名乗らない。名乗っても愛称とか偽名を名乗ること」 「本名を名乗ると何か問題があるの? 」 「名前は、その人物を示す記号であり、呪いだ。何か面倒な目に遭って、名前を知られたせいで厄介な目に合わないようにする予防策だ。それに、真名を知られるということは、相手に支配される権利を渡しているに等しいからな。家族以外に知られてはいけない」 「そ、そうだったんだ……知らなかった……」 「知らないのか……まあ、知っていたら、さっき大声で俺の名前を外で言わないか」 「ご、ごめんなさい……」 「いや、いいさ、教えてくれるやつがいなかったんだろ」  青年はしゅんとしたまま、俯き頷いた。  本当にこいつの周りはどうなっているのだ。命に関わりかねない問題を教えていないなんてあり得ない。  この話は元々人間の風習で、様々な国でこのような話は存在するというのに。  軽い眩暈を感じながら、どうやって旅をしていたのだろう、と思った。 「君、どうやって旅をしていたの?」 「えっと……事情を知ってる使用人に頼んで全部やってもらってた。ホテルとかも言われたところに行けば、これ見せればいいって……」  彼はそう言って金色の蓋つきの懐中時計をポケットから出して見せた。蓋の内側には北斗七星とラテン語の様なものが書かれていた。多分、彼の一族にまつわるものだろう。  それにしても、まさかの人頼み。俺もそうだけど、こいつの場合は本当に大丈夫だったのか心配になる。俺は、一族全体のバックアップが存在するが、使用人のみのバックアップだと、どこまでサポートがあるかわからない。取り敢えずしばらくは一緒に行動するか。 「良くそれで旅をしていたな……まあいいや、とにかく、お互いを真名で呼ばないこと」 「で、でも、俺、お屋敷の中では真名? のセプテントリオーネスか、ぼっちゃまくらいしか呼ばれたことないし……」  恐らく、彼がいた屋敷ではそれで十分だったのだろう。  いよいよ、人外の可能性が濃厚になってきたな。屋敷内とは言え、普通は真名では呼ばない。何故なら、外部の人間がいるからだ。つまり、身内以外がいるのに安易に呼んではいけないのだ。  そうすると、大半が身内しかいない、または、使用人が事実を知っていて、害がない場合に限定される。これは、人外が住む場所の条件に当てはまる。かくいう俺も人外ですがね。  しかし、一緒に旅をするなら真名は隠さなければならない。何かいい案はないものか、と考えた。 「リオネス……」 「へ? 」 「いや、君のもう一つの名前。旅をするなら真名は使えないだろ? だから、もう一つの名前としてリオネスという名前がいいかな、と思ってさ」 「リオネス……いいの? その名前貰って」 「構わないよ、無いと困るんだし使え」 「ありがとう! パパ! 」 「だから、パパじゃねえ! せめてルイかお兄様にしろ! 」 「二人きりだからいいじゃん! パパって呼んでも」 「うっ……や、そうなんですがね……」  目をキラキラさせ、見えないはずのしっぽをブンブン振っている。気がする。  こいつ本当に犬だな……。もしかして、犬系の種族か? 俺の知る限り、妖狼族とかくらいしか知らないけど。あるいは、犬系男子ってやつか? 以前、アジアの国によった時に若い女の子たちがそんなことを言っていた気がする。あの時は意味が分からなかったが、こういうことなのかもしれない。  それはどうでもいい。もうひとつ、忘れてはいけない大事なことを言わなければならない。  もし、人外だった場合これを知らないのはまずい。 「三つ、町とかで親しくなったことかがいても、自分のことは一切話すな。状況的に話さなければいけないことになったら、適当にごまかせ。旅をずっとしているから覚えてないとかそんな感じ。特に、記憶のことに関してはダメだ」 「どうして? 何で話しちゃダメなの? 」 「これは、お前人外だったとしての話だが、肝に銘じておいて欲しいこと。君は、サン・ジェントルマンを知っているか? 」  セプテントリオーネス改めリオネスは首を横に振った。これは知らなくても仕方ない。あまり有名な話ではないだろうし、伝説に近い話だ。 「サン・ジェルマンは『死ぬことのできない人間』とも『タイムトラベラー』とも言われていた、ヨーロッパ史上最大の謎の人物だ」 「待って、『死ぬことのできない人間』言われていたって」 「嗚呼、そうだ。彼は、策略に嵌まり、ある領主の下に身を寄せたが、その直後に亡くなったらしい。もっとも、その後の革命でパリにてその亡霊を見た、という証言もあるらしいがな」 「ええ……それ本当? 人外と呼ばれる存在がいるから何とも言えないけどなんか、胡散臭い」  そこまで露骨に言わんでも……と思いつつ話をつづけた。 「真相は本人しか知らないからなあ……何とも言えんが、彼にまつわる伝説は色々ある。例えば、大変な長寿を齎す秘薬を持ち、その結果二千年とも四千年とも言われる生命を有していて、カナの婚礼やバビロンの宮廷をめぐる陰謀を直接見たように語ったらしい」 「また、霊薬のみを口にし、食事をとらなかったとか、彼の使用人に『あなたの主人は本当に2000歳なのか』と聞いたら使用人は『それはお教えすることはできません。私はたった三百年しかお仕えしていないのですから』とか」 「まさか、使用人まで秘薬を口にしていたの……? 」 「それだけじゃないぞ、ソロモン王やシバの女王とも面識があったとか、十字軍に参加していた、とかいう話もあるからな」  リオネスは若干顔を引きつらせていた。そうだろうな、と思いつつも、自分も似たようなもんかとも思った。 「そ、それはもう人外レベルでは……」 「うんまあ、そうかもな、ただ、そこじゃないんだなあ」 「うん? 」 「彼の場合は、時代なのか何なのかは知らないが、自分の記憶を話しても、人間が生きていられる時間を越えていることを話しても、注目されただけで済んでいる。だが、現代でそんなことをしたら注目だけで済めばいいが、恐怖を感じた人間たちに殺される可能性がある。即ちどういうことかわかるな? 」 「俺はともかく、パパの場合は注目されたら消されるかもしれないってこと?」 「そういうことだ、まあ、君も人外の可能性があるから気を付けろよってこと。ただ、まあ、本当に俺の子なら半分人外だけどな」 「あ、そっか、さっき『人じゃないから歳をとらない』って言ってたもんね。でもさ、パパ、そうするとパパは何者なの? 」 そういえば、リオネスに自分の正体を明かしていなかった。人外であることはわかっているのだろうけど、人外にも色々いる。 「俺? 俺は、吸血鬼、所謂ヴァンパイアってやつだ。もとは人間だけどね」 「え? てことは、お母様とであったのはヴァンパイアになってからってこと? 」 「そう、なるかな? 」  それを聞いて、リオネスは少し顔を赤らめ、なにか言いかけた。何を言いかけたかは大体わかるので先に突っ込むべきか。 「チェリーではないからな。人間だった時は、妻も子どももいたからな! 」 「何も言ってないのに、自分で墓穴掘った! 」 「うるさいわい!何で若造に突っ込まれるんだ……というか俺も見た目は若かった……」  素早く突っ込みを入れたはいいが、また墓穴を掘ってしまった。頭を抱えながら、俺も青いなあと少し悲しく思った。事実、二十代で歳が止まっているので、年齢だけで言えば十分青いが。  嗚呼、なんだか、頭が痛くなってきた。思い出したくもないことを夢に見たり、見知らぬ青年が急に現れて、パパと大声で呼んで来たり。何なのだ。長旅の疲れが久々に来ているのだろうか。  年かな、なんてありもしないことを心の中でぼやいた。それはそうと、こいつのせいで次の行き先を考えなければならない。今度は二人旅だからなあ。一人だったら気にしないんだけど。一応、彼にどこへ行きたいか聞いてみるか。 「リオネス、数日後にここを立つつもりでいるが、行きたい場所はあるか?」 「行きたい場所? 」  彼は、可愛らしいキョトンとした表情で俺を見た。もしかして、自由に旅をしたことがないのか? と内心首を捻った。 「お前も旅をしていたんだろ? 何か気になる場所とか、行ってみたい場所、知りたいことがある場所とかあるだろ」  すると、リオネスはあーとか、うーとか言って考え込んでしまった。そんなに悩むことか? と思いつつ席を立って彼のために紅茶を入れに行った。  確か、備え付けのキッチンに紅茶の茶葉とポットがあったはずだ。キッチン台の下の棚を探すと紅茶の茶葉とポットとバラが描かれたカップがあった。  手際よく紅茶を入れ、カップに注ぎ、熱いぞと警告してから彼の目の前に置いた。  リオネスはそっとソーサーとカップを持ち上げ、紅茶を一口啜った。猫舌なのか、ちょっと涙目になっていた。  大丈夫かよと思っていると、彼は俺の目を見てこう言った。 「行きたい場所というか、会いたい人がいるんだけど……」 「会いたい人? 」   リオネスは頷き、紅茶をまた一口啜った。 「実際に会えるかわからないけど、でも、もしかしたら手掛かりくらいはあるかもしれないから……」  本当に会えたらいいんだけどね……  囁くような小さい声で彼は俯きながらそう言った。  何となく察してしまったが、触れないほうが良いだろうと思った。きっと、探している人物は、俺にも関係があるうえに、この青年がずっと恋しがっているのであろう人だからだ。  重くなった空気を払いたくなって、深堀せずに場所を聞くことにした。 「……それで、具体的にはどこに行くんだ? 」  リオネスはまた、キョトンとした表情になった。 「その場所がわからないと行けないだろ? 」 「そう、だね。その人の手がかりがある場所は……」  リオネスが呟いた街の名前にどこか懐かしさを感じたが、少しだけ湧き上がる不快感はごまかせなかった。
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