第五章 暗流横溢(あんりゅうおういつ)

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第五章 暗流横溢(あんりゅうおういつ)

             一  芸州安芸広島藩/上屋敷は、江戸城下の霞ヶ関桜田にある。通りを挟み近くには中屋敷もあり、綱吉統治下においても関係の深さを物語る。  “ いつ訪れてもよい ”と藩主/綱長の認可を得ている多都馬は、我が家のように通用御門を通って入っていく。供をしている長兵衛は、訪れていた事があっても大名屋敷の威厳さに尻込みしてしまう。  藩邸内の御座之間に案内された多都馬と長兵衛は中に入った。室内から見える上屋敷の庭園は深山幽谷の雰囲気を持つ見事な出来映えらだった。 「多都馬様・・・美しいですね~。」  長兵衛の口は半開きになって、庭園の風景に見惚れていた。 「らしくないことを言いやがって!たかが人が造ったものじゃねぇか。」  虚栄心の象徴のような大名屋敷の庭園が、多都馬は剣術指南をしていた頃から好きではなかった。 「大自然の雄大な景色に比べりゃあ、その足元にも及ばねぇよ。」 「そりゃあ、そうですが・・・。」  二人の他愛もない会話の最中に、江戸家老/上田(うえだ)主水正(もんどのしょう)と用人/井上(いのうえ)正信(まさのぶ)が入ってくる。  二人が現れ、長兵衛は素早く丁寧に頭を下げる。一方、多都馬の方は二人が着座した事を確認してから頭を下げ平伏した。 「本日は、急を要する事態が生じ罷り越しました。」 「二人共、(おもて)を上げてください。」  主水正の労るような優しい声を聞き、多都馬と長兵衛は頭を上げた。 「多都馬。殿の覚えが良いことを受け、我等を呼びつけるなど無礼千万じゃ。」   正信とは、多都馬が剣術指南役をしていた頃から関係が良くない。良くないといっても、一方的なものなので多都馬は屁とも思っていない。 「さて、多都馬殿。急を要する事態とはいかなることか聞かせて頂こう。」  主水正は、一介の素浪人である多都馬に“ 殿 ”を付けて呼んでいる。長兵衛は身分に関係なく、相手を敬う主水正に対し好感を持っていた。 「旧赤穂藩の藩士たちが何者かに斬殺される事態が起きております。」 「な・・・なんじゃと!」  正信は腰を浮かして驚いている。 「身元はわかっているのですか?」  主水正の声は冷静である。 「はい、稲川十郎右衛門と多芸太郎左衛門です。伴に二百石取りでございました。」 「二人を斬った者の目星はついているのですか?」 「いえ。ただ・・・。」 「ただ・・・何ですか?」 「彼等を斬った者は、相当な遣い手です。」  正信は俯いたまま動かなくなった。 「討ち入りからまだ半年も経っておりません。公儀の裁定は吉良家に厳しいものになりました。考えられるのは吉良家の残党、または上杉の意趣返し。」 「まさか・・・。」 「江戸または郊外、各地に散らばる旧赤穂藩士にこの事態を伝えねばなりませぬ。」 「伝えると申しても居所がわからぬではないか。」  厄介な事をとばかりに正信は口を尖らせて言う。 「はい、ここに居る長兵衛をもってしても困難。そこで広島藩の御力にお縋り致したく罷り越しました。」 「な・・・何を申しておる。我が藩が何故、他藩の・・・しかも盟約を抜けた者の保護など!」  長兵衛は正信を睨み付ける。 「命を惜しみ・・・武士としての忠義と名誉を捨てた不忠者を何故我が藩が保護せねばならんのだ!」 「彼等は不忠者ではござりませぬ!」  屋敷内に響き渡る声で多都馬が叫んだ。多都馬は井上正信が筆頭家老/浅野(あさの)忠義(ただよし)の命で、浪士たちに圧力を掛け盟約から抜けさせていたことを知っていた。 「多都馬殿。わかっております。」 「主水殿!何を申される。」  目玉を丸くして驚いて、隣の主水正を見つめる。 「外聞衆(そとぎきしゅう)を使い、身の危険を知らせることにいたしましょう。多都馬殿、それでよろしいか。」 「かたじけのうござります。」 「主水殿、外聞衆(そとぎきしゅう)は殿の許可なく命は出せぬ筈。」 「某の裁量にて命を下します。後ほど某から殿へ、ご報告いたしまする。多都馬殿、ご心配無用。」  多都馬と長兵衛は、深々と頭を下げた。              二    多都馬と長兵衛は桜田の広島藩上屋敷から日本橋の調達屋に向かっていた。昼七つを過ぎて陽も傾き始めていた。  どの店も暖簾を下げて店を閉める準備をしている。 「両替町も陽が落ちると、閑散としておりやすね〜。」 「年若の娘が歩くのはいただけねーよな。」  多都馬と長兵衛は、人通り少ない両替町を歩く。 「多都馬様。浪士の方々を斬った野郎は、まだ狙い続けるでしょうか。」 「恐らくな。」 「外聞衆(そとぎきしゅう)の皆様は、大丈夫でしょうか。」 「外聞衆(そとぎきしゅう)は、米沢藩の軒猿と肩を並べる猛者が揃っている。そう安々と殺られやしねーさ。」 「しかし・・・。」  長兵衛は呟いた。 「うむ・・・。赤穂藩士三百余名、狙われるのは江戸在中の者だろうが、彼等も四六時中警護についているわけではないからな。」 「目的がわからねーところが、恐ろしいですね。」  その時、多都馬が通りに違和感を感じ足を止める。 「多都馬様。どうかなさいましたか?」 「・・・動くな。」  多都馬は呟きながら刀の鍔を静かに押し上げる 「長兵衛、気を抜くな。」  気づけば陽は落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。二人の周囲は潮が引いたような静寂に包まれ、張り詰めた空気が漂っている。戦闘態勢の多都馬と長兵衛が通りに佇んでいると、角から親娘が逃げるように走って来る。 「ん?政吉か。」 「多都馬様、一緒にいるのはお(つや)ちゃんですぜ。」  斬られたのか政吉は腕を押さえながら走ってくる。 「黛様ーっ!」  お(つや)は多都馬を見つけると泣き叫びながら駆け寄る。お(つや)は、多都馬にしがみつき泣き崩れる。 「お(つや)、いかがした!」   多都馬の問いかけにも、泣きじゃくるお(つや)は言葉を発せられない。  政吉とお(つや)が飛び出して来た角から、今度は隼人と新八が出て来た。 「多都馬様、あれを!」  長兵衛が指差す先で抜刀した隼人と十手を振り回す新八が、黒装束数人の者たちと斬り合っていた。 「長兵衛、二人を頼む!」  長兵衛に政吉とお(つや)を託し、多都馬は斬り合いの中に飛び込んで行く。 「隼人、大事ないか!」 「あぁ。だが、こいつ等ただ者じゃねー。」 「新八!お前は長兵衛のところへ行け。」 「へ・・・へい!」  新八が多都馬の指示通りに引き下がり、長兵衛が待つ後方へ走った。  黒装束の男たちは、多都馬と隼人を中心に円になって囲む。隼人が素早く多都馬の死角である背中に回り構える。黒装束三人が多都馬の正面から向かって来る。  多都馬は向かって来る三人に向け“ 二階堂平法 心の一方 ”を放った。“ 心の一方 ”の直撃を受けた三人は、四間ほど吹き飛ばされ地面に叩きつけられる。たじろぐ黒装束たちの一瞬の隙をついて、多都馬は三人の側にいた二人を斬り伏せた。  新八を庇いながら戦っていた隼人は、漸く攻撃に転じる事が出来た。目の前の敵に向かい右から胴を払いにいく。敵はひとっ飛びに跳ね隼人の頭上から斬り下ろそうとする。しかし、それを読んでいた隼人も跳び上がり頭上の敵を下から斬り上げた。着地と同時に左右の敵も斬り伏せる。  一度に八人を斬り伏せられた黒装束たちは、頭目らしき人物の顔色を伺っている。 「引けぃ!」  号令を合図に黒装束の男たちは一斉に引き上げた。  あとに残った死体を多都馬と隼人は見下ろしている。 「忍び・・・だな。」  隼人が呟く。 「あぁ。しかも、こいつ等どこかお抱えの者たちだ。」  背後にいる者は見当もつかないが、統率された動きは日頃鍛錬している明かしであった。 「新八!自身番へ行って、こいつ等を運ぶための人足を用意してくれ。」  新八は、人を集めに自身番へ向かった。  多都馬は恐怖で政吉にしがみつくお(つや)を見つめていた。遥か遠くの闇夜から、敵の正体をつかめぬ多都馬たちを嘲笑う声が聞こえるようだった。               三    両替町の自身番に八体の遺体が担ぎ込まれた。身元を特定出来るものはなく、ただ八体の遺体の懐から小さな木彫が出てくる。隼人がそれを手に持って眺める。 「なんだこれは・・・?」 「魔除けか何かですかね。」  新八は、それぞれの木彫りを並べてみる。 「黛様・・・何ですかね。こう並べてみやしたが、さっぱりわからねー。」  「俺も各地を周っていたが覚えがない。」  その時、自身番に詰めている多吉という男が懐かしそうに拾って眺めた。 「へぇ~、こりゃ懐かしい。笹野一刀彫でねーか。」 「笹野一刀彫?」 「こりゃ、オラの田舎の縁起物の木彫りでごぜぇます。」 「お前の田舎はどこだ。」  新八が身を乗り出して聞く。 「米沢で・・・。」 「なに!」  多都馬と隼人は、互いに顔を見合わせた。 「隼人。このことは、まだ誰にも言うな。」 「あぁ。だが、他の同心連中は無理だぜ。これからも事が起きるのなら、騒ぎになるのは目に見えている。」  多都馬は八体の遺体と木彫りの像を眺めて考え込む。 ー あれだけの情報を持ち、大胆にも御城下で騒ぎ起こせるものが、こうも簡単に尻尾を出すか・・・。 ー 「隼人様。米沢って・・・こりゃ上杉家が絡んでいやがるんですかね。」  新八が鼻息荒く隼人に話している。 「隼人。」 「あぁ、わかっているよ。これは、餌だと言いてんだろ?」 「公儀の目を上杉に向けるためのな。」 「しかし、目的がわからねぇ。上杉を潰すつもりなら、先の評定でいくらでも出来たんじゃねーか。」 「狙いは他にあるってことだ。」  使い捨ての駒のように横たわる遺体を前に、計り知れない虚しさに襲われる多都馬だった。              四  多都馬が調達屋に戻ったのは、九つ半を過ぎた頃だった。丹と数馬は就寝していたが、須乃と弥次郎は起きて多都馬の帰りを待っていた。 「遅くなった。」  多都馬の顔を見て、須乃は安心したように笑顔になった。 「お帰りなさいませ。」 「先に休んでいてくれても良かったんだぜ。」 「いえ。」 「弥次郎も済まなかったな。」 「何を仰るんで。多都馬様がご不在の時は、アッシが須乃様や数馬様をお守りするのが役目でございやす。」 「済まないな。」 「何か召し上がりますか?」 「いや、茶でも貰おうか。」  須乃は急須の茶を多都馬の湯呑み茶碗に注いだ。茶碗からやわらかく湯気が立ち昇っていく。 「多都馬様。お聞きしてもよろしゅうございますか。」 「あぁ。」  多都馬の足袋が普段よりも汚れていることに、須乃は気付いていた。 「何かございましたか?」  問い掛けに一瞬躊躇するが、以前隠し事はしないと須乃に約束していたことを思い出す。 「政吉は知っているな。」 「はい。」 「その政吉と娘のお(つや)が何者かに襲われた。」  須乃と弥次郎は、あまりの出来事に絶句する。 「お・・・お二人にお怪我は?」 「政吉が肩を少し斬られたが・・・命に別条はない。」 「何故、政吉さんが。」  今にも泣きそうな顔で須乃が言う。 「赤穂の浪士たちの関係者だからだろう。」  お(つや)が四十七士の岡野(おかの)金右衛門(きんえもん)と夫婦の契りを交わしたことは関係者であれば誰でも知っている。 「確証がなく今まで言っていなかったが・・・。赤穂の浪士たち、それから関係者たちが狙われている。」  須乃は恐怖で体を強張らせ、弥次郎は驚いたように立ち上がった。 「広島藩に各所にいる脱盟者や遺族に伝達を頼んだが間に合わぬかも知れん。」  多都馬の言葉に弥次郎が慌てた様子で出て行こうとする。 「弥次郎!どうした?」 「あ・・・い、いえ。」  挙動がおかしい弥次郎に多都馬が畳みかけて言う。 「落ち着けっ!何があった。」 「申し訳ございません、多都馬様。身分違いは重々承知でございますが、アッシは・・・あ、あの。」 「馬鹿野郎、勿体つけね~で早く言え!」 「この先の塩問屋の秋田屋に、矢頭(やとう)右衛門七(えもしち)様の御家族が住み込みでいらっしゃるんで。」 「何っ?」 「右衛門七(えもしち)様のお姉上で、絹様っていう方がおりやして・・・つまり、その〜。」 「面倒くせーな。つまりお前は、絹に惚れているっていうんだな。」   多都馬は立ち上がり刀を腰に差した。 「弥次郎、お前も来い!」 「来いって・・・あの。」 「秋田屋のところに決まっているじゃねーか。」 「それはアッシ一人で。」 「お前では相手にはならん!」 「しかし、須乃様や数馬様を残しては・・・。」 「そのために隠し部屋がある。」  前回襲撃された時の事を教訓に、政吉に頼んで隠し部屋を拵えていた。 「お前の惚れた女じゃねーか。放っておけるか。」 「た・・・多都馬様。」  弥次郎の目から涙が溢れる。 「須乃、念のためだ。悪いが我等が帰るまで、今夜は隠し部屋に避難してくれ。」 「はいっ!」 「弥次郎!いくぞっ!」  そう言うと多都馬は弥次郎を伴い、秋田屋目掛けて飛び出して行った。              五  多都馬と弥次郎は塩問屋/秋田屋の前にいた。調達屋と秋田屋の距離は、そう離れてはいない。夜明けにはまだ時があり、空は漆黒の闇に覆われている。 「静かですね。」  秋田屋の大店を見上げて弥次郎が呟く。 「すいやせん。アッシの早とちりで、ございましょうか。」 「奴等が矢頭殿の情報を得ているなら必ず来る。」 「どうしてでございましょう。」 「今まで仕損じなかった奴等が、今夜は隼人と俺に防がれたのだ。どうしても何か一つ成果を残したい筈だ。」  そう話している時に、視界の隅に黒く蠢く集団を多都馬は捉える。 「来たぞ。」  多都馬の声に辺りを見渡す弥次郎だが、黒装束の集団を見つけられずに右往左往する。 「お前は店の者を叩き起こして騒ぎを起こせ。騒ぎ立てれば、町方もそのうち現れる。」 「へいっ!」  多都馬は屋根の上に潜む集団に焦点を合わせている。弥次郎が秋田屋の戸を激しく叩いて騒いでいる。 「秋田屋さん!秋田屋さん!起きてくれーっ。」  黒装束の集団は襲撃を諦めたように少しずつ秋田屋から離れていく。頭目らしき男が、屋根の上に姿を現し多都馬たちを見下ろしている。僅かの間、多都馬と頭目の男は互いの視線をぶつけ合う。そして、黒装束の男は闇夜に消えて行った。  秋田屋の店の者が目を擦りながら店の戸を開けて出て来た。 「こんな刻限に何の御用でございましょう・・・。」 「済まねえ・・・実はな。」 「弥次郎、ここは頼むぞ。」  多都馬は、屋根の上から消えた黒装束の集団を追った。多都馬の姿は、瞬く間に闇夜に吸い込まれていった。              六  黒装束の集団は、集合地点である木場の船着場の外れに集まっていた。各自庶民に紛れるため黒の装束を脱ぎ離散の準備をしていた。 「組頭。我等、これからいかがいたしましょう。」  参謀らしき男が指示を仰ぐ。 「今夜はとんだ邪魔が入った。仕切り直しだ。」 「何者でしょうか。かなりの遣い手でありましたが・・・我等甲賀を赤子の手をひねるように・・・。」 「彼奴は、いずれワシが相手をいたす。」  組頭と呼ばれた男は、鉤爪を先を撫でながら呟く。この男は尾張甲賀五人衆の一人/夏見十郎太である。 「政吉親娘と、矢頭右衛門七の家族はどういたしますか。」 「当分の間、放っておけ。狙える時が来れば、またその時に参上すればよい。」  十郎太が気配を感じて振り返る。 「考えたものだな。船着場を集合地点にすれば船で逃げることも出来れば、その格好なら職人に見えるから怪しまれねーしなぁ。」  材木が立てかけてある厘場の影から多都馬が出て来る。  十郎太が腕に鉤爪を装着し身構える。十郎太の合図で配下の者たちが一斉に抜刀し多都馬を囲み始める。 「先程、甲賀と申していたな・・・。お前たちの(あるじ)は誰だ。」  じりじりと足音もなく多都馬に詰め寄ってくる。 「話しが通じないようだな・・・。」  多都馬の左手が刀の鍔に手をかける。 「昨夜、一人のか弱き女子(おなご)が数十人の男に囲まれ、恐らく一生忘れられぬ恐怖を味わった。・・・これから地獄に行くお前たちには、そこが極楽だと思えるほどの恐怖を味わってもらうぞ。」  言い終えぬうちに多都馬は抜刀し右から詰めていた二人を斬る。三人目は勢い余ったのか、厘場の材木まで吹き飛ばされる。多都馬の左にいた三人は、恐怖を抱き後退る。 「いいか・・・これはまだ序ノ口だ!」  言いながら左の三人に向け、“ 心の一方 ”を放つ。その三人は金縛りにあったように動かなくなる。  「い・・・息が。」 「お主たちの体の動き全てを麻痺させた。呼吸をすることも出来まい。怖いか、だがそれよりもあの娘は恐怖を味わったのだ。そのことを思い知れ。」  三人は喉を押さえ、もがき苦しみながら息絶えた。残りは十郎太と配下の者一人となった。 「下がれ・・・お前の敵う相手ではない。」  虎が獲物に襲いかかるように、十郎太は多都馬に鉤爪を振り下ろす。その動きの速さは多都馬に反撃を与えない。 「さぁ来い。貴様は、こんなものではないはずだ。」  十郎太は手を上下に構える。 「夏見流柔術/奥義、凩・・・受けてみよ。」  多都馬を鉤爪が下から襲ってくる。多都馬は刀で受け止めず、体勢をずらして避ける。しかし、空振りしたはずの鉤爪が間髪入れず襲って来た。上下左右からの攻撃が多都馬を襲った。 ーどうだ!躱せまい。ー  十郎太がそう感じた瞬間、凩の動きが止まった。 「惜しかったな。」  多都馬の刀が鉤爪の動きを止めていた。多都馬は脇差しを抜き二刀で受け止めたのだ。がら空きになった十郎太の胸目掛けて“ 心の一方 ”が放たれる。  “ 心の一方 ”衝撃を受け十郎太の体が宙に浮かぶ。血泡を吹き出しながら十郎太が呟く。 「お・・・俺を倒しても、これで終わりではない。」  十郎太は、そのまま息絶えた。   一人生き残った配下は、恐れをなして逃げ去る。  多都馬は息絶えた十郎太を見下ろしながら、迫りくる巨大な敵に脅威を感じていた。               七  和田戸山にある尾張藩下屋敷に、家老の成瀬正親は来ていた。下屋敷の大広間に尾張藩隠密廻り/甲賀五人衆ならびに配下の百騎が集結していた。甲賀五人衆とは居合術の鵜飼勘兵衛、火薬を扱う望月左太夫、暗器や暗殺術を操る木村珠印、槍の達人/岩見半左衛門、最後は多都馬に破れた柔術の夏見十郎太である。 「あの十郎太が手も足も出なかったとはな。」  正親は、ため息混じりに呟いた。 「あ・・・あの男は化け物でございます。あのような技、見たことがございません。」  震えが止まらず目も虚ろになって話す。 「それは二階堂平法の奥義、心の一方という技ですよ。」  障子の向こう側から声がして、一同が一斉にその方向に目をやる。障子が開いて織人が入ってくる。 「御家老、こちらの御仁は。」  勘兵衛は警戒するように正親に尋ねる。 「さる御方の名代である、左近寺織人殿だ。」 「左近寺織人と申します。以後、お見知りおきを・・・。」  蛇が舌を出すが如き笑みを浮かべている織人に、一同は背筋を凍らせる。 「しかし、幻の剣術/二階堂平法とは驚きました。伝える者とてなく潰えたと聞きましたが・・・。」 「他にも定町廻りの同心にも、相当な遣い手が・・・。」  生き残った配下の者が必死の形相で伝える。 「あなた、先程からうるさいですね。」  織人は、そう呟くと必死に語る配下の者を斬り捨てた。その動作は、瞬きよりも速かった。 「何をする!」  勘兵衛が脇差しの鍔に手をかけ、目にも止まらぬ速さで抜刀する。勘兵衛の刃が喉を捉える寸前、織人は腰に差した鉄扇でそれを受け止めた。 「困りましたね、斬る相手を間違えては・・・。」  この光景を見た一同は震え上がった。 ― 勘兵衛様の一の太刀が初めて躱された!? ― 「勘兵衛、刀を納めぃ!」  正親が険しい表情で叫ぶ。勘兵衛は、しぶしぶ脇差しを鞘に納めた。 「敵に怯えているようでは、使いものになりませんよ。」  突き刺さるような甲賀衆の視線を浴びても、織人の泰然自若の態度は変わらなかった。織人に斬られた遺体は、甲賀衆が何事もなかったように処理されていった。  「左近寺殿。これからの指示を仰ぎたいが、いかがかな。」  勘兵衛の視線は大広間から退出するまで外れることはなかった。拭えない憤りを抱えたまま、勘兵衛は障子を開けた。外はいつの間にか夜が明けて、空が白み始めていた。 
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