第一章 夢騒がし

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第一章 夢騒がし

             一  狼の遠吠えが夜の山中に響く。  一月の鞍馬山は、雪が積もり墨絵のような景色が広がっている。積もった雪は闇夜の中の地形を明るく浮き上がらせる。  その京都鞍馬山山中にて、ある剣術の奥義伝承式が行われようとしていた。鞍馬山は、古より霊山として数々の修験者たちが訪れている。樹齢数百を超える樹木が立ち並ぶ山中は、月明かりも差し込まぬ暗闇の世界である。ただ積もった雪が、かろうじて山中の空間を認識させていた。  別名「暗部山」とも呼ばれ、古今和歌集にも鞍馬山の険しさが歌われている。夜空には雲一つない満天の星々が輝いているが、山を覆い尽くす木々に月明かりは差し込んでこない。  唯一、木々の僅かな隙間から光の道筋のように、月光が地面へと伸びている。  幾本かの月光に照らされ、かろうじて互いの姿が確認出来た。白髪交じりの師匠の顔に深く刻み込まれた無数のシワが、厳しい修行を経てきたということを物語っている。一方伝授されている弟子の方は、表情は能面のように冷たく華奢で一見すると女子のようであった。ただその体躯は鞭のようにしなやかで、弓の弦のような躍動感があった。二人共、車太刀という短めの刀を腰に差していた。  暗闇の中に立つ剣術の師匠は、相対している弟子に奥義について語りだした。 「これより我が流派の奥義/村雨、並びに松風をそなたにつかわす。よいか。」 「はい。」  弟子は奥義への恐れというより、伝授を急かしているかのように薄笑いを浮かべている。  笑みを浮かべている弟子に、師匠がその底意を問いただした。 「何故、笑うておる?」 「・・・いえ、決してそのような。」 「奥義の伝授に命を落とした者もおる。・・・そなた、恐れはないのか?」 「・・・。」  弟子は無言のまま、また不敵な笑みを浮かべている。 「まぁ、よい。」  師匠が静かに鞘から刀を抜いた。 「どの流派も同じであろう。手取り足取りで指導はいたさぬぞ。見て盗むのだ。」 「はい。」  「あの月光が差し込む倒木が見えるか?」  師匠が指差す場所に倒木が横たわり、そこに月光が一筋差し込んでいた。雷に打たれたように、幹に亀裂が入っていた。 「よく見ておれ。」  師匠は呟くと同時に各木々を踏み台に三間ほど跳び上がった。跳び上がった頂点から、一気に倒木目掛けて刀を振り下ろした。倒木は原型を留めぬほど粉々に砕け散った。僅かに残った木片に、啄木鳥が突いたような穴が開いていた。 「・・・奥義、村雨。」  師匠が放った奥義を見ても弟子は眉一つ動かさず、不敵な笑みを浮かべていた。  「やってみよ。」  弟子は、師が呟くより早く地面から高く跳び上がった。              二  京都御所の西側の北、皇后門の前に暫く(まつりごと)から退いている公家の屋敷があった。  雅な風情漂う昼間の京都とは違い、夜は一変して禍々しさが際立っている。一月の厳しい寒さは、戸を閉めても透過するように伝わってくる。屋敷内の灯篭の灯が、山から吹き降りてくる風に揺れていた。  屋敷奥の部屋に蝋燭の灯りに照らされる二人の影があった。その奥の部屋に、一人の公家が静かに入ってくる。下座に着座していた二人が頭を下げた。 「苦しうない。面を上げよ。」  面を上げた二人は、先日鞍馬山にて奥義の伝授を行っていた者だった。師匠が面前の公家に、奥義の伝授が終えたことを伝える。 「我が流派の奥義、これに控える弟子に伝授いたしました。」 「お蔭をもちまして、会得することが出来ました。」  うっすらと笑みを浮かべている表情は、奥義会得時と変わらない。 「それは祝着じゃ。」  師匠より下座に控えている弟子は畳に額をつけるように平伏した。 「よいよい。」  公家は口を扇子で隠しながら、高らかに笑っている。 「さすれば、この者を上皇様のお付として身辺の警護にあたらせまする。」 「うむ、よかろう。」  この時、僅かに公家とその弟子が目配せを交わした。 「ところで、そちはさる十二月十四日。浅野内匠頭の遺臣共が、吉良上野介の屋敷に討ち入ったことは存じておるか?」 「はい。我等江戸にも配下の者を忍ばせております故。」 「見事、主君が討ち果たせなかった仇を討ったと聞いた。」  公家が言い終えた後、一時的に風の勢いが増し灯籠の火が激しく揺れる。 「痛快よの〜。」  高らかに笑う声が、夜の静寂に響き渡る。 「御所様、御声が少々大きゅうごさりまする。」 「案ずることはあるまい。」  師匠の横で弟子も微かだが笑っている。 「此度のこと、将軍家がいかに裁きを下すのかが楽しみじゃ。まさか、浅野と同じような扱いにはせんであろう。」 「・・・御所様。」 「何じゃ。」 「赤穂の浪士共のこと、あまり首を突っ込まぬほうがよろしかろうと存じます。」 「何故(なにゆえ)じゃ。浪士共の討ち入り、将軍家お膝元を揺るがす禍事。これは王政復古への足掛かりとなる絶好の好機となろう。」  御所様と呼ばれる男は、不敵な笑みを浮かべている。 「この好機を見逃す手はないではないか。」 「何を仰られますか。」  師匠は御所様をなだめようとするが苦心している。 「そち達の門弟は何人おる。」 「末輩まで数えますれば、およそ数百は・・・。」  蝋燭の灯りに映し出される御所様の顔が鬼面のように変わっていく。 「御所様、なりませぬぞ。将軍家と事を荒立てては。禁中並公家諸法度の御触、お忘れになりましたか。」  この言葉に " 御所様 " と呼ばれる男の表情が変わる。 「おのれ、綱吉め。あの男は、畏れ多くも天子様を蔑ろにし、(まつりごと)を私しておる。天下の大罪人じゃ。」  怒りに震える" 御所様 " と呼ばれる男を、警戒するように見つめる師匠だった。              三  師匠と弟子は京都御所から北、闇夜の深泥池の畔を歩いていた。辺りは静まり返り、地面を踏みしめる二人の足音だけが響いていた。 「明日にも・・・。」  師匠は言葉を発しかけたが、そこで一呼吸置いて立ち止まる。 「明日が・・・何でござりましょう。」 「うむ。」  師匠は振り返って、弟子を見つめる。 「明日、御所様のお命頂戴して参れ。」  頷きもせず佇む弟子の口元が僅かに緩む。  踵を返し歩き出す師匠の背中を見つめながら、弟子が腰に差す車太刀を抜いた。  太刀を抜く音を聞き、師匠は振り返る。 「如何した。」  笑みを浮かべながら、弟子は抑揚のない声で呟く。 「師匠、お命を頂戴するのは御所様ではござりませぬ。」 「血迷うたか。」 「徳川の世は、これまででございます。」 「何を申しておる。」 「御所様は、天子様が(まつりごと)をなさる世をお望みでございます。」 「馬鹿な・・・。天子様のお命、御縮めするつもりか!」 「時勢をお読みあそばされた故にござります。」 「天子様に害をもたらす事は許さぬ。」  師匠も腰の車太刀を静かに抜いた。 「やはり御所様の世直しに、師匠は邪魔な存在でしかありませんね・・・。」  弟子は会得したばかりの奥義“村雨”の構えをする。  師匠も同じく“村雨”の構えをした。  この時、闇夜の中から数名の男たちが現れた。 「・・・賀茂屋か。そち達も御所様の一味か。」   賀茂屋と呼ばれた男は、京都で公家たちに染物を卸している商人である。 「お師匠様、お久しうござります。賀茂屋(かもや)一右衛門(いちえもん)、お師匠様の亡骸の始末に伺いました。」  賀茂屋一右衛門と配下の男たちが二人を取り囲んだ。 「ワシに勝てると思うか。己を過信するなと申したはず。」 「はい。会得した“村雨”、まだよくつかいこなせておらぬこと、重々承知しております。」   弟子は蛇が舌を出すが如き笑みを浮かべている。 「しかしながら、技とは常に進化するものでございます。」 「何じゃと?」   弟子は背中から、もう一本の車太刀を抜き二刀を構えた。 「これまでです。」 ー此奴、いつの間に二刀の技を。ー  鞭のようにしないそうな弟子の肉体を目の当たりにし、師匠は己の敗北を悟った。 「勝てぬまでも、道連れにするまで。」  二人は、漆黒の空に跳び上がった。  
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