やっと気づいたこの感情x小さな傷口x連絡先交換

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 薄明かりの下、暗い夜道を歩く。普段から機嫌がいいわけじゃねぇが、今日は特別腹の虫の居所が悪かった。 「……ぁ゛?」  だからだろうか、いつもなら無視する人の声が嫌に耳についた。  女の声だ。か細くて、風にでもかき消されそうな程小さくて、それでいて妙に切羽詰まったような声だった。 「――――。」  もしかすると聞き間違いかもしれない。無駄に疲れるだけだと分かっている。だが何故か無視することが出来なくて、俺は声が聞こえた方へ――住宅街の外れへと向かった。  切れかけた街灯が照らす不気味な雰囲気の公園の中、人影はあった。四人くらいか……学ランを着た男三人と、小柄な女が一人。俺が聞いた声はあの女のものだろう。 「(……あの制服、隣の山高のヤツらか)」  見慣れた制服を着た男共は山高の不良だろう。あそこもお世辞にも治安が良いとは言えない場所だ。こういう面倒なヤツもそこそこいるが、ウチの近くまで来るような馬鹿はいなかったはずだ。 「チッ……」  思わず舌打ちをする。やっぱり面倒事になった。馬鹿三人は卑下た笑みを浮かべて女に近づいているし、女は眉をハの字にしながら馬鹿から距離を取ろうと後ずさっている。  このままだとあの馬鹿共は強硬手段を取るだろう。見過ごすのも腹が立つが首を突っ込むのも面倒……そう思っていたとき、女と視線が合った。 「――――ぁ、」  大きく見開かれた目。暗い中でも分かるほど青ざめた顔。控えめにこちらに伸ばされる手。 「……おい、テメェら――」  その瞬間。脳が沸騰し、理性の糸が切れた。 「――ここを何処だと思ってやがる」  馬鹿を睨みつけながら公園内に足を踏み入れる。お楽しみを邪魔された馬鹿共は不機嫌な声を上げながらこちらを向く。……そして、俺の姿を見て動きを止めた。 「て、テメェ……まさか、鍵高の渋谷!?」 「なっ……!」  どうやら一応、俺の顔は知っているらしい。馬鹿三人は俺から距離を取ろうと後ずさる。俺は構わず距離を詰める。 「俺のシマで随分好き放題やってんじゃねぇか……。ここいらに足を踏み入れれば俺に目ェつけられるって、知らねぇとは言わねェよなァ、あ゛ぁ?」  ムシャクシャしたまま怒鳴りつければ、馬鹿三人の顔色が悪くなるのが分かった。  雑魚そのものの反応にイライラが増す。なんでこんな連中を相手にしなきゃならねぇのか。面倒でダルくてうっとおしい。乱暴に頭を掻きむしる。腹の虫がおさまらない。 「(それもこれも、全部この女の所為だ)」  チラリと横を見れば、青い顔のまま所在なさげに立ち尽くす女の姿があった。不安げな顔で、今にも泣き出しそうな顔でこちらを窺っている。 「…………。」  その顔が、その目が、無性に俺をイラつかせる。 「オラァ!」 「!?」  どうやらイラついてムシャクシャして気を抜いていたらしい。気がつけば馬鹿の一人の拳がすぐそこまで迫っていた。避けることは出来ずそのまま顔で受け止める。 「っ……」  雑魚の癖にいい拳だ。口の端の傷口が開いたらしい、ヒリヒリと不愉快な痛みがある。 「クソが……」 「ハッ! 鍵高の渋谷っつっても、大したことねぇよ! やっちまおうぜ!」 「おう!」 「ぶっ殺してやるよ!」  馬鹿三人が嫌な笑いを浮かべながら襲いかかってくる。 「…………。」  頬に感じる痛みと目の前の馬鹿共の姿で、沸騰していた頭が急激に冷えていく。俺は殴りかかる拳を受け止め、そのまま頭突きをお見舞いする。怯んだところに前蹴りを食らわし、後ろから襲いかかってくるヤツに合わせて振り返りながら拳を腹に叩き込んだ。 「この……ッ!」  二人を囮にしたのか、時間差でリーダーっぽい男が右から襲いかかってくる。……だが。 「(遅ぇんだ、よ!)」  軽く足を入れ替え、頭に回し蹴りを入れる。まともに食らった男は軽く一メートルほど吹っ飛んでいった。 「……雑魚が。この程度で殺れると思ってんのか」  地面に這いつくばりながら俺を見上げるヤツらにそう言い捨てる。馬鹿共は勝てないと思ったのか、捨て台詞を吐きながらその場を走り去っていった。 「はぁ……くっだらねぇ……」  重いため息が溢れる。全身から一気に力が抜け、思わずその場にしゃがみ込む。 「(いや、本当にくだらねぇわ。なんで俺があんな雑魚の相手しなきゃならねぇんだよ。喧嘩とか面倒ですっぱり止めるつもりだったのに隣の馬鹿は絡んでくるし、無視すればねちっこく追いかけてくるし、相手したらしたで『敵討ち』だの何だので雑魚が増えるし……。ったく、なんなんだよ、マジで……)」  頭が痛い。不愉快だ。胸がムカムカしてくる。最近はこんなんばっかだ。マジでダルい。我慢の限界。なんか無性に暴れたくなってきた。 「……あ、あの」 「あ゛?」  イライラしているところに声をかけられ、反射的に低い声が喉から漏れる。軽く顔を上げれば、あの女が俺の前でしゃがんで俺の顔を伺っていた。眉をハの字にした情けねぇ顔でこっちを見ている。――それがまた、無性にイライラする。 「ごめんなさい、巻き込んでしまって。私が君に助けを求めたから……」  女はそう言って頭を下げた。 「あ゛? 関係ねェよ、んなもん」  俺はあっちにいけ、と手を払う。今はコイツの相手をするのも面倒だった。 「…………。」  女は一度目を伏せた後、ゆっくりと立ち上がってこの場を去った。 「はぁー……」  肺から空気を全部吐き出すように、長いため息が出た。  俺らしくなかった。普段なら放っておくし、あんな風に喧嘩を吹っかけに行くこともねぇし、正面から殴り合いなんてやらねぇし……。なんでこんなことしたのか。 「…………。」  頭によぎるのは、情けねぇ顔した女の姿。小柄で俺より背が低くて、ぼやっとして鈍臭そうで、幼い顔立ちをした俺より年上の女。アイツの顔を見ると胸がムカつく。ムカついて、苦しくて、暴れたくなる。今までこんな風になったことがない。怒りとも違う、恨みとも違う、言いようの出来ない激情――。 「――いってぇ!」  突然口の端に激痛が走り、思わず叫んだ。 「あ、ご、ごめんね! 痛かったよね!」  いつの間にかうつむいていた顔を上げると、そこには見覚えのある情けねぇ女の顔があった。目の前のヤツは謝りながらも口の端に何かを当ててくる。傷口が刺激されてじくりじくりと痛みだす。 「……ってかお前! 何やってんだよ!」  去ったはずの女は目の前で不思議そうに首を傾げた。 「何って、傷の手当をしないと。膿んだりしたら大変だもの」  女は言いながら俺の傷口を拭っていたハンカチをカバンに直し、別の何かを取り出した。小さい丸いケースの蓋を開け、中のものを右手の指ですくう。そして薬の付いた指が俺の口の端に触れた。 「――――っ!?」  その瞬間、全身がカッと熱くなった。 「ちょ、触んじゃねぇって!」  訳もわからなくなって、女の手を振り払う。女は驚いた声を上げた後、また眉をハの字にして困ったように俺を見た。 「暴れないで、薬が塗れないよ。大丈夫、痛いのは少しだけだから」 「いらねぇーよ! つか、子供扱いすんじゃねぇ!!」 「うんうん。そうだね、君は大人だね」  女はそんな戯言をほざきながらも距離を詰めてくる。反射的に顔を後ろに反らせるが、それより先に女の左手が俺の頬に触れた。 「――――。」  それだけで、俺は動けなくなってしまった。別に力が入っているわけじゃない、柔らかくて細い手が触れているだけなのに――体が、頭が、止まってしまった。 「うん、いい子いい子。そのままね、すぐに終わるから……」  柔らかな指が口の端を滑る。すぐ目の前にある顔はさっきまでの情けない顔じゃなくて、優しげな顔だった。 「……よし、これで大丈夫っと」  そういうと、頬から熱が離れた。夜の風が火照った顔を通り過ぎる。 「手を洗ってくるから、ちょっと待っててね」  女は笑みを浮かべると足早に去っていった。おそらく少し奥にある水道に向かったんだろう。 「…………。」  触れられた頬に手を当てる。言い訳のしようがなく、俺の顔は熱くなっていた。たぶん耳まで真っ赤になってるはずだ。 「……マジか」  小さく声が溢れる。感情が零れる。どうしようもなく、胸が苦しくなる。  ――俺は、あのノロマで、鈍臭そうな、情けない顔の女に惚れたらしい。 「……? これ……」  視線を横にずらすと、地面の上に小さなカバンが落ちていた。あの女が持っていたカバンだった。……アイツ、カバンを置いて水道まで行ったのか。危機感がねぇっつーか、平和ボケしてるっつーか……。 「あ、そうだ」  俺は女のカバンに手を伸ばし、中を漁る。目的のものはすぐに見つかった。手のひらより少し大きいくらいの携帯電話。ホームボタンを押せばロックは掛かっておらず直ぐに起動した。 「不用心だろ……。ま、今は都合がいいからいいけど」  俺は自分の携帯に電話を掛ける。ポケットが軽く振動する。携帯を取り出してかかってきた番号を確認、そのまま電話帳に登録する。 「名前は……あぁ、『二川 小鞠』か」  あの女は『小鞠』というらしい。あの女によく似合う名前だった。  俺は自分の携帯に小鞠の番号を登録した後、女の方の携帯で俺の番号を登録する。できるだけ素早くやったと思ったが、番号を登録する頃には小鞠が戻ってきてしまった。 「あ! ちょ、ちょっと、それ私の携帯! 返してください!」 「あぁ、いいぜ。ほらよ」 「わ、わぁっ!?」  小鞠の携帯を軽く放り投げると、彼女はバタバタと慌てながらも落とさず受け取った。 「あ、危なかったよ……。で、き、君は私の携帯で何を……」 「連絡先交換してた」 「ぅえ!?」  ほら、と言いながら自分の携帯の画面を小鞠に見せる。画面には小鞠の名前と電話番号が表示されている。その画面を見た小鞠は驚いた顔をして、慌てて自分の携帯を確認した。 「わ、ほ、ホントに知らない番号が入ってる……!」 「LIMEを交換しようとしたけど間に合わなかったんだよなぁ」 「だ、ダメだからね!?」  小鞠は後ろ手に携帯を隠し、大きく後ずさった。その反応が面白くて思わず笑い声が溢れた。俺が笑ったのが意外だったのか彼女は少し目を丸くさせていた。 「んじゃさ、電話で我慢するから俺がかけたらちゃんと電話に出ろよ? 切るんじゃねぇぞ?」 「う……」  脅すようにそういえば、小鞠は眉をハの字にして情けねぇ顔をした。さっきまではイラつくだけだった顔も、胸の内の激情に気づいてからはただ『可愛い』としか思えなくなった。 「え、えっと……渋谷、くん? は、どうして――」 「『開陸』、シブヤじゃなくて、カイリ」 「――カイリくんは、どうしてこんなことを?」  彼女は不安げな顔で俺を見つめる。それがまた、俺を愉快な気持ちにさせる。 「どうして? どうしてって、それは――俺がお前に惚れたから」  ニィ、と口角が上がる。俺は今、ものすごく楽しげで――恐ろしい笑みを浮かべているだろう。 「俺に捕まりたくなきゃ死ぬ気で逃げろ。まぁ、逃がすつもりはねェけどな」  嗤いながら手を差し伸べる。まるで天使をそそのかすような悪魔の――いや、魔王の誘いだった。 「が、ガンバリマス……」  彼女は暗闇の中でも分かるほど顔を真っ赤にさせて、はにかむように俯いた。  ――彼女が俺に落ちるのも、時間の問題だろうな。
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