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名札はただ名前を持ち運ぶための道具じゃない。
それは身分証であり、周囲に自分の名前を認識させるツールだ。
僕の場合だと『昭』と『人』を名札に付ければ、周りは僕の名前を『昭人』だと自動的に認識する。だから僕たちに自己紹介は必要ないし、他人の名前を忘れる心配もない。
けれど、この仕組みには悪い面もあった。
「僕は今までずっと君の名前を『華原色』だと思ってたよ」
名前の一部を名札から外した場合、周囲は残った文字を名前として認識してしまうのだ。
恋色から恋が落ちて、色になった彼女のように。
「だろうね。そうじゃなきゃ意味ないし」
二人の頬を涼風が撫でた。彼女の艶やかな黒髪がふわりと広がる。
「なんでそんなことしてるんだ」
「なんでって、別に大した理由じゃないよ」
「もしかして他国のスパイとか?」
「あはは、それいいなあ」
華原は昨日見た夢の話でもするかのように楽しそうに笑った。
「世界がそれだけドラマチックなら、私は恋色でいられたのかもね」
彼女の言葉は風に乗って、フェンスの向こう側に見える町へと運ばれていく。それ以上は何も言わず、ただ口の端で小さく笑う。
今まで見たことのないその笑みは華原恋色の表情なのかもしれない、と僕は思った。
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