2.鬼神の過去

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「どういうことか説明してもらおうか、鬼神様とやら」  夕暮れ、再び拝殿に現れたシュリに詰め寄った。俺の焦りを知らぬ振りしているのか、シュリはふあ……、と大きな欠伸をした。 「逃げられないように、お前だけに利く結界を張った。お前はこれからこの神社で暮らすんだ」 「俺は供物なんかじゃない、勘違いだ!」 「だが、俺の精を注いでしまった。もう鬼神の嫁だ」 「嫁っ!?」 「拝殿に入れるのは鬼神の嫁だけ。入ると最後、死ぬまで出られない。知らぬこととはいえ、お前は拝殿に入ってしまった。男だが、この際致し方ないだろう」  体の相性も悪くないしな、と付け足される。俺だって少しは気持ちいいと思えたんだ、突っ込む方はきっと数倍よかったに違いない。 「俺、子供産めないんだけど」 「それでいい。もともと嫁とは名前だけだ。鬼神に身も心も捧げ、日々血液を差し出す存在。要は血を提供する生け贄だ」 「なっ……!」  生け贄? 血を差し出す? 元号が昭和になった世の中に時代錯誤も甚だしい。混乱していると、シュリが言葉を続けた。 「理解出来ないという顔だな。……俺の父が祖国を追われてここに来たのが百二十年前。父は特異体質で人間の血でしか栄養を摂ることができない種族だった。はじめは山の洞窟で暮らしていたが、神通力のせいで鬼神と祀られ、生け贄だった女性と結婚した。それが鬼ノ神神社の成り立ちだ」  じいさまの忠告は本当だったのか。  人間の血を吸い怪力を持つ夜の種族。トーキー映画で見たことがあるが、空想の産物だとばかり思っていた。 「吸血鬼ってやつなのか? あんたの親父さんも、あんたも」 「なんとでも好きに呼べばいい。祖国には父のような者が大勢住んでいたそうだ」 「親父さんは今、どこにいるんだ? 棺桶で眠っているとか?」  たしかそんな生態だったな、と社の中を見回して言うと、苦虫を噛みつぶしたような顔をされた。 「生贄の女性……、俺の母親に横恋慕していた男に殺された。そいつは両親が眠る前に香で酔っ払ったようにさせ、胸を杭で打ったらしい」 「杭で……」  なんてむごい、と言いかけた言葉を飲み込んだ。映画でそんな方法があると知っていたが、現実に実行する奴がいるなんて。 「俺は離れたところで眠っていたから、朝起きてこない父の社に行って驚いた。男は、母の棺桶のそばで自殺していた。心中のつもりだったんだろう。残された俺は両親を弔い、社の奥で眠りについた。昨日、お前が拝殿の扉を開けて入ってくるまでな」 「わ、悪かった」  知らなかったとはいえ、彼の眠りを妨げたのは俺だ。睡眠を邪魔されていい気はしないのはよく分かる。  それに、両親を殺されたという過去を聞いて、自分と重なってしまった。俺が親と死に別れたのは幼い頃だけど、両親に置いていかれたような気がして、どうやったらあとを追えるか、しばらくそんなことばかりを考えていた。  シュリが格子戸を薄く開け、荒れ果てた境内に視線をやった。 「しかし、眠っていたあいだにこれほど社が廃れるとは思ってなかった。鬼神がいないと知ると村人は早々に神社を祀らなくなったんだろうな。お前はまだ二十歳くらいか。この神社の祭など聞いたこともないんだろう?」  頷くと「やはりな……」と眉を顰める。宝石色の瞳には寂しさが宿っている。 「神様も大変なんだな……」  親を失い、忘れ去られて祀る者もいないひとりきりの鬼神。  ――鬼と呼ぶには、この青年を取り巻く状況はいささか悲しすぎる。それに親を同時になくしたことなんて、他人とは思えない。 「分かった。しばらくのあいだ生け贄になる。眠っているところを起こしたのは俺だし、食べ物をもらった恩もあるしな」  そう言うとシュリは驚きのせいか、何度も瞬きしていた。 「本当か!? 田んぼの手入れがあると言っていたのに」 「話を聞いて気が変わった。俺も親を同時になくしてさ、他人事とは思えないんだ。俺は小柄だけど血の気は多いから、少しでいいなら毎日血を分けられる。気が済んだら俺を解放してくれ」 「そうか、嫁になってくれるか。よし、試しにお前の血を吸わせてくれ。……名はなんと言う?」 「旭だ」 「アサヒ、よろしくな」  首元に口づけられたかと思った瞬間、ピリッと皮膚が裂ける感触がした。 「う……」  目が回る。クラリとした目眩に襲われていると、感嘆した声が聞こえてきた。 「いい血をしている。濃くて甘い……まるで甘露のようだな」
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