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髪型
美容室デビューは中学に上がってからで、それまでは父の通っていた床屋で髪を整えていた。
美容室デビューに関しては、田舎だからこんなものかな?と思ったし、姉も同じように中学生に上がってからだったので普通だと思ってた。
美容室で「今日はどうしましょうか?」と聞かれて「何の話ですか?」と返したことがある。
髪型に関する希望の聴き取りでした。
希望って聞いてもらえるものなんだなと、その時初めて髪型は自由にしていいんだとワクワクしたのを覚えている。
小学生になるまでは、風呂場で父に前髪ぱっつんに切られていましたし、床屋に行くようになっても髪型の希望なんて聞かれず、いつものおかっぱにされていましたから。
母の「姉妹2人とも、短い方が似合っている」という言葉を、そのまま鵜呑みにして髪型の希望を聞かれてもしばらくの間は短いままだった。
高校生で携帯を持つようになって、動画サイトを通してボランティアの1つにヘアドネーションがあることを知った。
芸能人の誰々がしたとかって、ヘアドネーションがスポットライトに浴びてすらいない時でした。
成人式に向けて髪を伸ばそうと考えていた時期だったので、せっかくだから寄付できるぐらい伸ばそうと決意して伸ばした。
途中で挫折しないように、家族に伸ばす宣言とヘアドネーションの説明をした。
ショートヘアからの始まりだったので、5年がかりで伸ばして無事にヘアドネーションした時に得た達成感が心地よかった。
パーマもカラーも何もしていないバージンヘアが、他の寄付の髪と整えて加工されてウィッグになって誰かを笑顔にする。
それを考えただけで私も笑顔になれた。
切るより先に訪れた成人式もエクステなしの自分の髪だけでおしゃれにしてもらって、振袖に腕を通せたので満足でした。
この5年のうち、母に何度も「長い髪が床に落ちてると目立つ。不潔だから片付けて」と汚い扱いされてきた。
人の髪の毛は1日に100本は抜け落ちているっていうのを何かで見ていたので「勝手に抜け落ちたものに気づくなんて無理だし、お母さんだって髪の毛長いんだからお母さんのじゃないの?」と言い返した。
「あんたの黒髪と違って私は茶髪だから、間違えようがないじゃない。脂っぽくてベタついてる髪の毛と一緒にしないで!」とキレ返されて終わった。
言い過ぎだと思った。
茶色より黒の方が目立つのは分かるけど、自分から抜け落ちた髪の毛は棚に上げて私から抜け落ちた髪の毛にだけ目くじらをたてるのは筋が通らない、理不尽だともやもやした。
「うっとうしいから、早く切ってしまえ」と言われたこともある。
「ヘアドネーションするために伸ばすって言ったじゃん」と言い返しても「そんなの聞いてない」とか「そんなのどうせ出来ないんだからやめてしまえ」と聞いてないことにされたし、ボランティア活動を否定された。
母に対する怒りもあって、挫折なしにやり切れたところもあるかもですね。
社会人になってからは、内側を刈り上げて隠しツーブロックにしたりと自由に髪型を変えて楽しんでいた。
毛量が多かったのですごく楽だったし、外側の髪の毛でツーブロックは隠れきってしまうので某アニメの女の子のようにはならない。
別アニメのクールビューティー女性キャラを意識して、前下がりボブにしたりもした。
母は私の髪が短くなってからはトーンダウン。
それどころか、「私も短くしてみようかしら」と長年のロングヘアをショートヘアにしようかと悩みはじめ、3か月ほど経ってからショートヘアになった。
「私がショートヘアになったら変かしら?」と何度も聞かれたが、私は「好きにすれば」としか返しませんでした。
この返答は冷たいわけではない。
母は優柔不断で誰かにどっちかを選んでもらったりすることが多く、その結果に満足いかないと「あんたがこっち選べって言ったから、そうしたのに‼」とキレるので、濁してしっかり自分で選ぶように誘導しないといけないという母対策マニュアルを遂行しているだけなんです。
母のショートヘアは、溜飲が下がり切るレベルで似合ってなかったので心の中でほくそ笑んでました。
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