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夢
子どもの将来の夢は、大人になるまでの間に複数回変わると言われています。
実際、わたしも将来の夢はコロコロと変わっていました。
小学生時代;花屋さん・パン屋さん
中学生時代;カフェ&バーの経営者
高校生時代:イラストレーター・栄養士
小学生時代はなんとも可愛らしく、パン屋さんの夢を見ていた時は落書き帳に売ってみたいパンのレシピを書き込んだりなんかしていました。
『からすのパン屋さん』という絵本の影響が強かったんだと思います。
中学生時代は特に仲の良い友達2人と一緒になって「昼はカフェして夜はバーをする飲食店を経営したいね、食品衛生責任者には誰がなる?」なんて言いながら、店舗の間取り図を引いたり。
高校生時代は文芸図書部で文字書きまがいをしたり、創作のイラストを描いて、文化祭で冊子にして販売していたから途中までイラストレーターを目指そうかと思った。思ったし、それの勉強ができる大学か専門学校のことを調べようともした。
ここまで書いた夢たちは栄養士を除いて、母に否定されました。
「花屋さんは華やかだけど、手は荒れるし力仕事もあるし、売れなかった花は枯れて可哀想になるでしょ。あんたには無理」
「パン屋さんなんて、朝はものすごく早く起きないと仕事にならないし、小麦粉の重い袋をあんたなんかに運べるはずない。暑がりだから、オーブンでパンを焼いてる間我慢してられないでしょ」
「カフェ&バーの経営者?昼も夜も働き詰めになりたいって?バカじゃない。お店なんてテナント探すのか建てるのかでも全然違うし、上手くいくかどうかも分からないことにお金を注ぎ込むなんて許さない」
「私より上手く絵が描けるからって思い上がってるの?イラストレーターなんて、食べていけるレベルの人はほんの一握りしかいないのよ?才能も実力もなしに夢見ちゃって・・・情けない。もっと現実的な夢見なさいよ」
実際はこれよりもっと色々言われました。ニュアンスは変わらず、こんこんと。
叶う叶わないは別として、子どもが何を夢みようと自由だと思うんです。
よく、ドラマなんかで描かれる親は子どもの夢に対して「叶うようにコツコツがんばるのよ、お母さんもお父さんも応援してるから」と子どもの味方となって肯定し、応援します。
それを私の母はできません。毒親ですから。
唯一否定されなかった栄養士という夢は、もう私の夢ではありませんでした。
高校生で母が毒親だと気づいて間もない頃に、母方の祖父がガンを患っていたことが分かりました。
進学か、就職かを考え始める時期にもなっていたので、私はどうしようと考えました。どんな夢を抱いても否定され、目指そうと思わなくなっていたので【何になりたいのか】がハッキリせず迷子状態。
・・・組み合わせてしまったのが運の尽きだったんです。
医者にも看護師にもなれないだろう自分の頭で考え付いたのが、栄養士。
「直接的に救えずとも、少しでも祖父の力になりたい。祖父の為に栄養面が完璧な食事を考えたい。間に合わなくても、家族に振る舞うにも活かせるし立派な資格だから仕事にすれば、お給料もそこそこいいと思う」
なんて言い訳を並べ立てて、進学をすることになったんです。特段なりたかったわけでもないけど体裁上、母にも家族にも世間にも納得はされるだろうと。
母が否定しなかった理由なんて、容易に想像がつきます。
「資格はもっていて損になることはないから」
「あんたの将来の話より、お父さんのことが心配。私は長女だからしっかり病院とかの世話にかってでなきゃ」
「世間様に涙誘ういいネタができたわ」
そんなところです。
結局、祖父は私が栄養士の資格を取る前に他界。
私は好きでもなければ楽しくもない調理実習をして、インターンシップとして実際の栄養士の働く現場にチームで行って、「思っていたのと違う、こんなことを毎日仕事としてやるのはとてもじゃないが身が持たない」と自信を消失。
資格を取って卒業するも、栄養士として仕事に就くこともなく・・・といった具合で堕落していきました。
「私」がなりたくて描いた夢ではなく、「母」の都合のよい夢を描いて進んだ結果の成れの果て。
毒親と気づいた時にはもう遅かったんです。
優先順位は自分より母が上。母のご機嫌取りの舵をきっていた。
おかしいですよね、自分の人生なんだから自分の意志・意向を最優先にしていいのに。
苦い思いをしたり、挫折を味わったり・・・人生の醍醐味でもあるマイナスな出来事の大半は「母」の影響を多くはらんでいて「私」の意志がまるでなかった。私は不満な気持ちを押し殺したまま生きていた。
自分の気持ちに逆行して生きることほど、気持ちの悪い事はない。
このときになってハッキリと自覚したと思います。
母の言う通りに、思うように行動すればするほど「私」は不幸になる。
「私」は自分らしさを取り戻して、この(母の)支配からの卒業を果たす。
監視下に置かれている「私」を辞めて、なんでもかんでも自分で決める自由な私になる。
夢と呼べるようなものでもないけど、それが私の夢となった。
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