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「姉」と「カンニング」
3つ上の姉とは基本的に仲がよい方だと思います。
殴り合いの喧嘩になったことは1度もないし、なんなら互いを助け合う仲。
姉は1度も母のことを毒親と言いませんでしたが、おそらく毒親だと思いたくないだけだと思います。
姉には姉用の毒でもあるんでしょうね。
姉という立場だけで、残り1つのクッキーを妹である私に譲れと。
よくある「お姉ちゃんなんだから我慢して、妹に譲りなさい」です。(姉妹差別)
妹より先に生まれてきただけで、我慢を強いられる。妹の立場である私がその理屈はおかしいと思い、おやつでも何でも余りが出てしまった時に姉に譲るようになりました。
「この間のお菓子は譲ってもらったから、今日のはお姉ちゃんが貰って」といったような形で理由をつけて言わないと姉は受け取ってはくれませんでした。「姉が我慢する」を当たり前と考えているんじゃないかと思います。
母には妹と弟がいます。ゆえに母は3人のなかでは長女にあたります。
母も同じように「お姉ちゃんなんだから下の子に譲れ」と言われてきた口です。
「言われて譲るもモヤモヤする。なんで私ばかり我慢しなきゃならないのよって思ったことあるわ」と過去を振り返って愚痴をこぼしていました。
私としては愚痴るほど嫌なことを、なぜそのまま私の姉にまで丸っきり同じように言うのかが意味不明でした。
それが正しい躾と思ってやっていたのなら、悪意なき毒を姉は味わっていることになります。
「毒親の親は毒親」という典型的な例ですが、母には全く同情しません。毒親と思っていない、かつ子育ての例は親しかないから親のしてきた躾は正しいと解釈して、そのまま自分の子どもにも同じことをする。悪循環に加担している張本人ですから。
「今」毒を浴びせられて嫌な思いをしている子どもの立場の人間が一番可哀想だと思います。
姉妹差別があれば、必然的に姉妹比較もあります。
姉は勉強もスポーツも交友関係も優秀で良いからこそ、もっと上を目指せとプレッシャーをかけられていましたし、私はそんな姉みたく出来の良い子ではなかったので優秀になるようにプレッシャーをかけられました。
姉のように通知表オール5の最高評価をもらえるほどの脳みそは私にはなかったです。
3が1つか2つで残りは4か5という通知表が多かったと記憶しています。姉と比べるのではなくて、私の前期後期の通知表で見比べて欲しかったですね。それなら、まだ自分でも納得できる部分があったかもしれない。
まぁ、私のそういった思いを母が汲み取ってくれるはずもなく、ずっと姉と比較されました。
中学2年ぐらいからだったか、その時期から高校に入るまでは特に教育虐待を受けました。
学校から疲れて帰ったら第一声に「おかえり」ではなく、「宿題だけじゃなくて、ちょっとでもいい高校に行けるように勉強しろ」が飛んできていました。問題集を買い漁りドサドサと渡されて、笑顔になれる子どもがいるのなら教えていただきたい。
数学や英語などの塾にも通っていましたが、塾に重きを置かれて部活の時間が必然的に削れていきました。
この頃は運動をほとんどしていなくても痩せていきました。脳みその使い過ぎです。
自分の部屋で勉強していましたが、トイレやおやつの5分10分の休憩くらいしていいはずなのに、そのタイミングに限って母が来て「勉強サボってる!」「遊んでんなっ、ちゃんとやれ!」と叱られることもありました。そんなことを2回くらい経験した後は、誰かが階段を昇ってくる音がしたら、即座に勉強に戻るようになりました。
寝ても覚めても疲れが取れないし、嫌々やらされている感に苛まれて、毎日のようにプレッシャーをかけ続けられた結果・・・期末テストでカンニングをしてしまったんです。
テストの直前までノートにばぁぁーっと書き殴っていたのが、自分の知らぬ間に机にまで至っていて、それを先生が見つけるという具合で発覚しました。テスト用紙が配られる前にノートを片づけて机の文字も全部消しましたが、当然このことは母親に連絡がいきました。
ひどくヒステリックに罵られました。自分でもちゃんとカンニングはいけないことだと反省していましたが、その日の晩御飯もお風呂もなしになるほどの時間叱り飛ばされました。
「成績が良くならないからってカンニングはするな、恥を知れ」
「あんたなんか信用してない」
「どれだけあんたに手をかけてやったと思ってるのよ、姉を見習え」
「世間から悪く見られるじゃない、どうしてくれるのよ。」
「勉強してなかったんだな、この裏切者」
などいくらでも気がすむまで母の口は世話しなく動きっぱなしでした。
私は鬱とまではいかずとも、リストカットを1度してしまったくらい心が疲弊していました。
そんなに優秀な子がいいなら姉のクローンでも作ればいいじゃない・・・と、私っていう人間を見る気がない、私のありのままを受け入れる気もなくこれからも延々と教育虐待されるんだなとそう思って涙で枕を濡らして寝ました。
この日以降、明確に母には「嫌い」「一刻も早く死んでくれ」と思うようになりました。母が毒親だと気づくまで、何度も「そういう考え方は親不孝者だ」と気持ちと思考がケンカして葛藤を繰り返しました。結局、自分の気持ちを認めてあげられるのは自分しかいないと気持ちが勝ちましたが。
毒親の外面はパーフェクトですから、周りには教育熱心なお母さんで通っていたでしょう。
少し覗けば脳だけでなく心まで疲弊した子どもがいるのに誰も気づかない。
心が死ぬ感覚はこの時だけではないのが、毒親の毒がいかに猛毒かと分からされるし、同じ人間かと恐怖しました。
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