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五百円でやめておけば
ポトッ、と何かが落ちてきた。
オレ――ケイマ――は、思わず「それ」を拾う。
足元には、古びた御守りがあった。
見慣れた赤い袋に、「たなぼた守」と黒字で刺繍が施されている。
オレは上を見上げた。御守りはオレ目掛けて「降ってきた」のだ。それなのに、周囲に人がいそうな高い建物はない。夕焼けが広がるだけの、退屈な空間。
ここは空き地だ。放課後や休日に友達と立ち寄る、憩いの場。古びたデカイタイヤがあちこちにあり、そこで座ってのんびり過ごすのが楽しみなのだ。
「カラスが落としたのか……?」
独り言は空しく消えた。
いや、そんなわけなかった。今まで鳴き声も羽音もしなかったから。本当に、何もない空から御守りが落ちてきたのだ。
捨てよう。薄汚れてるし――そう思ったはずなのに、オレは赤い袋を手放す気になれなかった。
不思議な魅力がある。持っていると、なにかとてつもないラッキーなことが起きそうな気がする。オレが手放した「これ」を他の誰かが拾うなんて、考えただけで腹立たしい。
そうだ、この御守りはもう、オレのものだ。オレのそばに落ちてきたじゃないか――気づけば「たなぼた守」を制服のポケットにしまっていた。
★★★★
「――で、その直後に五百円玉拾ったんだわ。正にタナボタ。オレ、ラッキー少年じゃね?」
翌朝の高校で。オレは幼なじみのユリナへ報告した。ユリナは後ろの席。振り向いたらすぐに会話できるから、退屈しない。
「それ、ヤバい代物じゃないの?」――対するユリナは、整った顔を明らかに歪めた。声のトーンも、オレとは真逆で警戒心むき出しときた。
「『捨てられた物には負の力が宿る』って。おばあちゃんが生前に言ってたし」
「ユリナのばあちゃん、ホントおっかなかったよな……。でもほら、オレはいいことあったし」
膨らんだレジ袋を見せた。中身は、パンに菓子類、パックのジュースなど。拾った五百円で買った「戦利品」だ。
「だから、拾った物はよくないんだって。その『いいこと』が『悪いこと』に変わる前に、引き取ってお祓いするよ?」
「さすが神社の娘。忠告がやたらホラーだな」
「茶化さないでよ。『神社の娘』の勘は当たるんだから。ケイマは警戒心なさすぎだって」
昔から危なっかしいんだから――そう返すなり、不満げなユリナ。
この信心深さがアダなんだろうな。ユリナには友達がほぼいなかった。見た目は可愛いのに、恋人もいないのだ。
ユリナの実家、「つくよみ神社」は曰く付きだった。「死神を祀っている」だの「お礼参りしなかったら不幸になる」だの……。
噂を本気で信じてる周囲のヤツらが、オレには信じられない。実家が敬遠される理由なのが、なんだか気の毒に思えた。青春をないがしろにされてるみたいで。少しお節介だが、ユリナはいいヤツなのに。
腐れ縁のオレくらいだ、こいつとこんなに会話できるのは。
――御守りを渡すなんてあり得ないけど。ユリナとの会話はテキトーに打ち切った。
ポケットの「たなぼた守」を指で撫でた。こいつが引き起こすラッキーは、全部オレのものだ。
★★★★
昼休み。いつもの中庭へ出たオレは、レジ袋から「戦利品」たちを取り出す。特に、パックのフルーツオレはお気に入りだ。
階段に座り、フルーツオレを隣に置き、パンを手に取ったときだった。
「パンッ!」という凄まじい破裂音がした。
フルーツオレの中身が弾け、オレの全身に飛び散った。
頬が引っ掻かれるような衝撃も、一瞬あった。
ビクッと背中が震えた。フルーツオレのパックがあった場所には――割れた植木鉢が転がっていたのだ。
「すまん! ケガはないか?」
上から叫び声がした。見上げると、三階の渡り廊下から生物教師が顔を出していた。
真上にあった植木鉢をうっかり落としてしまい、それがパックに直撃したようだ。
★★★★
青ざめた生物教師により、保健室へ連行されたオレ。
頬にはデッカイ絆創膏を貼られた。植木鉢の破片で切ったらしい。
フルーツオレでベタベタな制服から、ジャージに着替えた。「クリーニングに出して返すから」と、生物教師は何度も謝ってきた。
学校指定のダサいジャージ……そのポケットには、赤い「たなぼた守」が入っている。一緒に洗濯されるわけにはいかなかった。
でも、もしもだ。
もしもあの瞬間、オレがフルーツオレに手を伸ばしていたら――いや、考えるな。
もしもこの教師が、もっと大きな植木鉢を落としてしまっていたら――いや、考えるな。
ジャージのポケットに手を突っ込み、四角いシルエットを指でなぞった。ラッキーアイテムの感触に、胸を撫で下ろす。
偶然だ。オレらしくない。ユリナの言葉を真に受けるなと、ひたすら自分に念じる。
その後は、担任だけでなく教頭や校長までやって来て、生物教師がひたすら謝り、いろいろとオオゴトになった。
教室へ戻ったオレを、ユリナは絶望するように見てきた。
「だから言ったでしょ?」――そんな表情に見えたのは、オレの心がまだ冷静じゃなかったからだろう。
★★★★
ダサいジャージで帰るのは恥ずかしいものだ。
放課後に帰り道を歩きながら、オレは何度もそう思った。
ジャージの太もも部分を触った。ポケット越しの四角い感触――はなかった。
ドクンと心臓が跳ねた。しまったはずの御守りがない!
すぐに振り返り、歩いてきた道を目で辿る。
赤い御守りは、雑居ビルの前に落ちていた。
いつの間に……? 全く覚えがなかったけれど、今はどうでもいい。
あれはオレのもの。大事なものなのだ。
全力で駆け戻ったオレは、「たなぼた守」を拾おうと屈んだ。
「おい!」
そのとき叫び声がした。ひどく焦った男性の声。
「キャー!」という、女性の悲鳴も脳に刺さる。タダゴトじゃない、なんだろう?
顔を上げようとしたオレは――頭に強い衝撃を受け、意識を失う。
★★★★
夕方。雑居ビル周辺はパトカーが集まっていた。
人が二人も同時に亡くなり、周囲は大騒ぎだった。
「男子高校生が、飛び降り自殺したサラリーマンの下敷きになったんだって……」
「ええっ、かわいそう。関係ない若者を巻き込むなんて……」
――そんな野次馬たちの話は、嫌でも耳に入る。私は気分が悪くなった。
「だから警告したのに。なんでケイマが拾うのよ……」
私の呟きは、周囲のざわめきに溶けた。当然、一番聞いて欲しい相手に届かない。
「捨てられた物には負の力が宿る」。
これは先代の「死神」であるおばあちゃんから受け継いだ教えだった。
おばあちゃんは「おっかない」。当然だ、つくよみ神社の「死神」なんだから。必要以上に命をあの世へ送らないように、送られる対象にならないように、子どもには厳しかった。
それが、おばあちゃんの優しさ。厳しさで命を守っていた。
孫の私は、きっと残酷なのだろう。そこまで他人に関心がないから。
「たなぼた守」を空から降らせるのも、「死神」の仕事だった。送る命の数は決まっており、ノルマを満たせないときは、あの世から「たなぼた守」が発行される。欲深い人間が必ず拾う御守りだ。
それを、唯一の友達が拾ってしまうなんて――空しさがこみ上げた。
あの御守りが呼び寄せる「棚からぼたもち」は、最初だけ。欲深い人間の命を放さないためのフェイクだった。二回目は「予行練習」の不運が起こり、三回目で命を奪う。
そういう作りだった。「予行練習」を食らうと、もう逃れられない。
「五百円で止めておけばよかったのに……」
最初の幸運で、御守りを私に預けていれば。ケイマは死なずに済んだのに。
――いや、綺麗事だな。「ぼたもち守」は、「そういう人間」の元へ落ちるから。「そういう人間」が自滅するようにできているから。私に、人を見る目がなかっただけ。
おばあちゃんから教えられたじゃないか。「友達がいない『死神』は優秀な証」だって。
今後、欲深い命をあの世へ送り続けないといけないのだから。毎回友達が「たなぼた守」を拾っていたら、耐えられないだろう。
「死神」に拒否権はない。だからこそ、厳しさで愛する命を欲から遠ざけたおばあちゃんは、人間として立派だった。心まで「死神」にならないように、必死だったのだろう。
「ごめんね、おばあちゃん」
私の懺悔は、野次馬のざわめきで消えた。
私は死神として「優秀」みたい。人間に向いてなかったみたい。
心に焦げついてくるもの。「他人なんて放っておけ」って思いが。
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