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「光子さん......ごめんなさい。急に娘が産気づいちゃったの。明後日の山登りは、どうしても行けないわ。天候も芳しくないから延期しましょう」
房代は大きく肥えた掌で申し訳なさそうに華奢な光子の拳を包む。
「そんなこと、どうでもいいわよ房代ちゃん。それよりも楽しみだね赤ちゃん。早く逢いたいね。抱っこさせてね!」
房代はドタキャンした自分を微塵も責めることなく、屈託のない笑顔でハートマークで飾られたフォントのような言葉をくれる光子が愛おしくて堪らなかった。けれどその会話が二人の最後の交流になった。
光子は房代に黙って、予定していた軽登山を単独で実行したらしい。奇しくも戦後最大の台風がやって来ようとしていた週末に。華やかなアウトドアウエアで身を包んだ光子が、晴れやかな笑顔で何処かを目指しているだろう姿は、路上や駅で何人もの知人に目撃されていた。
光子が悪天候の山々に向かったのは間違いなかった。ツインピークスと呼ばれる乳房のような双子岳を有する県が急速な大型台風の暴風域に見舞われた時、天文台も観測出来なかった超速な二つの隕石落下の衝撃が、数万個の核弾頭でも太刀打ち出来ない自然の脅威の渦を一瞬で消し去って、二つの乳房を抉れたクレーターに変えた。
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