境界線

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 予想通り、兄は私より先に駅についていた。改札のあたりで壁に寄りかかり、近づいていく私をじっと見つめている。  その視線の熱は、ちょっと危ないほどだった。これでは、わたしと兄の間になにがあったのか、駅中の人にバレてしまうのではないかと恐ろしくなる。  お願いだからそんな目で見ないで。  半ば祈るような気持ちになりながら、私は兄の目の前で立ち止まった。  「美月。」  兄が私の名前を呼ぶ。  私は首を横に振った。  そんな声で呼ばないで。生き別れた恋人にようやく会えたとでも言うような、切なげな声。  「お兄ちゃん。」  私はなるべく平坦な調子になるように気をつけながら、兄の呼びかけに応えた。  兄は、人の感情を読み取ることに長けている。すぐに私の言いたいことを察したのだろう。ごめん、と囁くように言うと、うつむいて弱々しく微笑んだ。  その態度は、あまりにも兄らしかった。兄妹で抱き合うようになる前の兄。  「あのロシア料理屋を予約したよ。行こう。」  うん、と頷き、兄と並んで歩きだしながら、私は兄のことを考えている。今、すぐ隣を歩いている兄ではなくて、ひと月前までの兄のこと。  あの頃の兄と、今の兄は、まるで別人のようだ。  あの頃の兄も、確かに察しはよかった。だから、私が兄の肉体を欲していると分かって、私を誘った。  「美月?」   ぼうっとしているね、と、心配そうに兄が首を傾げる。  なんでもないよ、と、私は兄から目をそらした。  すると不意に、兄が半ば独り言のように言った。  「食事くらいは、普通だよね。」  その言葉で、兄もやはり、私と同じように煩悶していることが分かった。  分かってしまうと、途端に胸に込み上げてくるのは、愛おしさだった。  だめだ、と思う。  だめだ。食事でさえ、私たちにとっては普通ではない。  本当は、会ってはならなかった。  もうこの世にお互いは存在しないみたいな顔をして、生きていかねばならなかった。  それでものこのこと食事なんかに出かけてしまったのは……。  私は兄の顔を見上げた。  兄もちょうど私の顔を覗き込んでいた。  食事に行くには不自然すぎる温度がお互いの間に盛り上がっていくのが分かる。  汗ばむような熱。  ホテルか私の部屋に行って、肉体を重ね合わせなくては溶けないような温度。  それでも私と兄は、お互いから視線をそらし、そのまま歩き続けた。  駅から5分のロシア料理屋。  一緒に食事を摂るなんて馬鹿馬鹿しいほどの熱を上げながら、それでも。  
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