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「そうだな……例えば俺が行くんじゃなく、本来未来で買わない予定の他の奴に無理にメロンパンを買いに行かせたとしたら。ラスト一個を美唯が買えないどころか、そいつが先に買い占めて本来食べられた筈の全員が食べられなくなる未来になるかもしれない」
「メロンパン泥棒だ……!」
「はは。まあ、そんな感じで、他人を思い通りにしようとすると未来は歪になるんだ」
「……何か嫌なものを変えようとして、もっと悲惨な未来になるかもしれないってこと?」
「嗚呼、それでも、今の行動が未来を作る……俺は垣間見た未来のネタバレに不穏な空気を感じたら、ハッピーエンドに変えたくなるんだ」
何だろう。ハッピーエンド、なんて前向きな発言をしているのに、彼の様子がいつもと違うことに、凄く、嫌な予感がする。幼馴染みの勘というやつだろうか。
思えば朝こうしてわざわざ家まで私を迎えに来たのだって、いつぶりだろう。
「……、薫。もしかして最近、未来泥棒、した?」
「誰にも盗んだことを知られず、代わりに幸せな未来を残す。何とも健全な泥棒だろう?」
「……ねえ、答えてよ」
「……俺が動くしかないんだ。他の人の行動は、未来は、決まっているから」
話しながらも彼の歩みは止まらない、もうすぐ学校に着く。人通りも多くなって来た。近くにいつも挨拶を交わすクラスメイトも歩いて居る。
今聞かないともう聞けない気がして、詳しく問い詰めようと彼の前に回り込み足を止めようとすると、ふらふらと向かいから歩いて来る男にぶつかりそうになった。
その瞬間、薫は私を突き飛ばす。
驚いて、何が起こったのか分からなくて、思い切り手と膝を擦りむいた痛みに文句を言おうと起き上がると、私を突き飛ばした彼は、地面に突っ伏していた。
「え……?」
突き飛ばされたのは私だ。なのにどうして、薫が倒れているのだろう。
どうして、彼から大量の血が流れていて、どうして、ぶつかりそうになった男の手も赤く染まっているんだろう。
訳がわからない。先程の思考で体内のエネルギーを全て消費してしまったのかもしれない。目の前に赤が広がる光景に、頭は真っ白になって呆然とするしか出来なかった。
「……薫……? ねえ、やだ……薫……」
ようやく彼の名前を呼べた頃に、周りから誰かの悲鳴が上がった。
『通り魔』『警察』『救急車』『誰か』『刺された』色んな声が耳に届くのに、現実味がまるでない。
先程見掛けたクラスメイトが私の傍に来てくれたけれど、私は地べたに座ったまま、動けなかった。
男が、薫の血に染まったナイフを持っている。その事実を認識して、混乱と戦慄が一気に押し寄せた。
逃げないと、でも、どうやって、薫は、なんで。嫌だ、怖い。たすけて。
「大丈夫……あいつが刺すのは、『ひとり』だけだ」
「え……」
不意に耳に届いたその言葉通り、直ぐに男は通行人達に取り押さえられて、私達の元にも人が駆け寄って来る。
救急車が来るまでの応急手当をと現場が騒然となるのに、その中心で彼は私を見上げて、先程と同じように柔らかく微笑む。
そして脂汗が滲み、顔面蒼白になり、刺された腹部を押さえながらも「よかった」と呟いた。
彼の見た未来で、本当は誰がその『ひとり』だったのか、考えるまでもなかった。
「なんで……」
「言っただろう、ハッピーエンドじゃない未来を、泥棒しただけだ」
「……薫が刺されたんじゃ、ハッピーエンドなんかじゃないよ!」
男が通り魔と知っていたなら、別のルートを通って通学することも出来た筈だ。でも、そうすると他の誰かが、一人どころではなく大量に刺されていたかもしれない。
珍しく朝彼が私を迎えに来たのは、未来視前から確定された未来ではなかった筈だ。だって、約束もしていなかった。だから、寝坊して、迎えが来てご飯を食べる間も無く急かされて、急いで一緒に通学したのだ。
彼は、いつも通学に此処を通る私の行動を変えないまま周囲への影響を最小限にして、ぎりぎりまで引き付けて、自分だけ犠牲になったのだ。
しばらくして救急車が到着して、薫は病院に搬送された。軽い擦り傷の手当てを受けた私は、後からやって来た警察に状況を聞かれたけれど、彼が助けてくれたと言って泣くことしか出来なかった。
私が刺される未来を変えてくれたんです、なんて、言っても信じてくれなかっただろうから。
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