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彼、時浦薫には秘密がある。ほんの少し先の『未来』が見えるのだ。
けれど、それだけ。時を遡って過去を変えるだとか、そんな大それたことは出来やしない。
「俺に出来るのは、細やかな未来泥棒くらいだよ」
いつもと代わり映えしない通学路、彼の秘密を知る唯一の存在である幼馴染みの私、坂井美唯は、聞き慣れない単語にスカートの裾を翻して振り返る。
「未来泥棒?」
「そう、良くあるタイムリープものとは違う、過去に遡り未来を変えるんじゃなくて、『今』を変えて『未来』を盗むんだ」
「……どういうこと?」
彼が自らその『未来視』について語るのは珍しかった。彼が幼い頃から有していたその特殊な能力。勿論興味深く、私も色々と知りたかったのだが、普段は聞いても面倒くさそうにするか、聞こえない振りをされてしまうのだ。
そんな話題に思わず食い付けば、彼は満足気に口許に笑みを浮かべる。
「……そうだな、例えば『美唯が今日の昼食に、購買のメロンパンのラスト一個を買って食べる』という未来が、未来視上の確定事項としてあるとする」
「あ、うん、ちょうど今メロンパン食べたいなって思ってた!」
例題が具体的且つタイムリー過ぎて、思わず話を遮ってしまった。
ちょうど今朝は寝坊して朝食を食べ損ねて、出掛けにテレビでやっていたパン屋のそれが美味しそうだったのだ。
しかし慌てて口を手で塞ぎ、続きを促す。……メロンパン食べたい。
「……だが、美唯が本来あるべきその未来に辿り着く際、俺は教室で君の帰りを待ってるんだ。それが、俺が今朝見た未来だとする」
「……うん? そうだね、薫はいつもお弁当だし、購買には行かない」
「でも俺が今日、もしも美唯より先に購買へと駆けてメロンパンを確保するとしたら、美唯が得られるはずだったメロンパンはその手に渡らず、それは俺の腹の中だ」
「……それが、未来泥棒?」
メロンパン泥棒の間違いではないだろうか。思わず怪訝そうに視線を向けると、彼は楽しそうに笑う。
「嗚呼、でも例え俺がメロンパンを食おうと、俺がそうしなければ美唯が確実にメロンパンを買えていたという未来自体、証明も出来ない」
「薫が買わなくても、他の人が買ってたかも知れないしね?」
「だけど、俺が動かなければ確実にラスト一個は美唯の物だ。他の妨害要素はないと、断言できる。それが俺の見る『未来』だから」
これから学校に行って、勉強に頭を使うというのに、朝から脳みそを随分酷使している気がする。思わずこめかみに指をあてながら、私は必死に整理する。
「難しい……。ええと、つまり薫が動かなければ、薫の言う未来は確定ってこと?」
「そうなるな」
「んん、いっそ漫画とかみたく、薫がタイムリープしてきて過去を改変! とかの方がまだ分かるのに」
私の言葉に、薫は肩を竦める。そして緩く首を振って、少しだけ眉を下げた。
「過去に遡るなんて、そんな特殊能力ないさ。俺にあるのは、未来を見る力だけ。……それすら俺の行動で変わるんだから、正確とも言えないけどな」
「メロンパンの抜け駆けみたいに?」
「そう、未来を見て『外れない予想』を自分が動くことで『外すことが出来る』し『成り代わることが出来る』……それだけだ」
彼の未来視は本物だ。
突拍子もないことだが、これまで何度も彼が見た未来が現実になるのを目の当たりにして来た。
とある日に人身事故で電車が遅れることも、授業中の教室に大きな虫が乱入して来ることも、テレビの生放送のハプニングだって言い当てていた。
昔、誕生日のサプライズパーティーがケーキの種類まで予見されていたのは、少し残念だったけれど。
でもそれは、見たままを受け入れたから。メロンパンの例題のように、彼が見た未来を変える行動を取らなかったからだ。
「えっと、それじゃあ薫が知っている未来は『確かな未来』だけど『周知されてない』し『証拠もない』から、薫が動くことによって未来をねじ曲げても、対外的にはそれを変えたことにはならなくて……それが正しい事実になる?」
「正解、にゃあ」
「……?」
あっていたらしい。糖分の足りていない頭にしては上出来だ。彼もふわりと表情を緩めて、何故か猫の鳴き真似をした。そして薫は、前方の曲がり角を指差す。すると数秒後、一匹の黒猫が顔を出し、私達の前をのんびりと横切って行った。
彼の予知は、相も変わらず秒単位で正確らしい。
「俺は猫が来るのを知っていた。でも、それを見越して俺が大きな音を出したり、猫より早く駆け出していたら、この擦れ違いはなかったことになる」
「えーと、なら、薫が今まで言い当てた事柄は薫が何もしてない状態で……最初に話した『未来泥棒』っていうのは、知らない間に薫が私に教えてない未来を変えて、本来あるべき未来を泥棒してたかもしれないってこと?」
「あはは、今日の美唯は賢いな」
「笑い事じゃないよ! え、まって、いつ未来を変えたの?」
この話題について自ら振るのもそうだし、こんな風に笑うのも本当に珍しい。未来を見る能力のせいであらゆる日常を退屈そうにしていた彼が、こうして声を上げて笑う姿を、一体いつぶりに見ただろう。そして今日は、やけに饒舌だ。
「……、過去には戻れない。未来を見て今の行動を変えたとして、購買のメロンパン程度ならまだしも、関わる相手が増えればその行動がどんな影響となるかわからない」
「……? 例えば?」
彼の話を聞きながら、猫の横切った道を通りすぎ、赤信号ひとつ引っ掛かることなく私達は進む。
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