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 高校に入ってはじめての夏休み。電車の中からすでに人は多かった。通学のときは強く感じた冷房も今日は弱く感じる。格好を見るだけで、みんな同じところに行くのだとわかり、自然とため息がこぼれた。  窓に映る自分の姿。家の姿見で見た自分。  同じ自分なのに、どうしてうまくできないのだろう。胸の中がむず痒くて、心地悪くて……「やっぱりやめる」と言わずにはいられなかった。 「あれ? 浴衣着なかったの?」  待ち合わせ場所に着くと浴衣を着ていない女子は私だけだった。白地にピンクの花模様、水色に赤の金魚、紺地に黄色の花火、視界は一瞬でカラフルになる。  みんなで着ようね、と言っていたときと同じ。曖昧にしか頷けない。 「うん。ちょっと苦手で……下駄って足痛くなるし」  わかるー。確かにー。同意の声が重なって、そっと息を吐く。「みんなで」とは言っていたけど、私が着るか着ないかなんてそんなものだろう。 「その代わりレジャーシートと絆創膏持ってきてるからね」  必要なときはいつでも言ってね、と明るく笑えば、同じようにみんな笑ってくれる。「さすがオカン」「頼りになる」と声が重なり、ホッと息を吐き出す。やっぱり私に求められているのは「浴衣で着飾る可愛い女の子」ではないのだ。間違えなくてよかった。そもそも私のあだ名は「オカン」なのだから。  オカンと呼ばれるようになったのは中学生のとき。  小学生までの私は、年の離れた姉に憧れていて、同級生たちよりも少しだけ自分を上に見るくせがあった。先生や友達。求められていることは何かを考え、先回りする。一人ぼっちのクラスメイトに話しかけるのも、先生の手伝いを積極的にするのも、「いい子」で「優しい」私が好きだったから。褒められるのも感謝されるのも心地いい。  変わってしまったのは中学一年のとき。小学校の延長のような気持ちでいた私に「あの子のこと好きなの?」とクラスメイトが聞いてきた。男子も女子も関係なく話す私は、少し目立ちすぎていたのだろう。あの子、と表現されたのはクラスの中でも目立つ男子だった。つまり「ライバルかどうか」を確かめられたのだ。いい子で優しいことを心掛けてきた私にとって、誰かにライバル視されるのも、敵意を向けられるのも避けたい。少しだけ気になってはいたけれど、それを言うことはできなかった。 「違うよ」  ――だよね。  返ってきたのは、安堵よりも笑いの混じる声。  たった三文字でも伝わるものはある。言葉にされたわけでもないのに「釣り合うわけないしね」と付け加えられた気がした。  いい子で優しくて目立っていいのは「可愛い女の子」でないといけない。そうでないとおかしな敵意を向けられる。嘲りの対象にされる。私は誰と並んでいても受け入れてもらえるような、納得してもらえるような存在ではなかったのだ。  目立つことがこわくなった。  変な噂を立てられないよう、仲間外れにされないよう空気を読むことを心掛けた。自分のポジションを決して間違えてはならない。嫌われないよう振舞ううちに見つけたのは、困っているところに助けに入ることはあっても、決して目立つことはない、見守り役のような立ち位置。  ジュースを机にこぼしたクラスメイトのところにティッシュを持っていったとき。 「久住(くずみ)さんって、なんかお母さんみたい」  そうクラスメイトが言ったのをきっかけに私のあだ名は確定した。いい子で優しかった私は気遣い屋で便利な「オカン」となったのだ。  高校に入ってからも心配性で荷物が多いのは相変わらずで、「オカンなら持ってるかも」とみんなに頼りにされる。だからカバンはいつも大きめ。小さくておしゃれなバッグに憧れるけど、持ち物でパンパンに膨らんだら、おしゃれなんて消えてしまう。そもそも私には似合わない。 「揃ったし、そろそろ行く?」  遠藤くんの声にみんなが「うん」「行こう、行こう」と声を弾ませる。さっきよりも少し高い響き。浴衣を着ようと決まったのも彼の存在が大きい。自分たちが楽しいからはもちろんだけど、着飾った姿を見せたいっていう気持ちがあるから。  みんなハッキリとは口にしないけど、遠藤くんのことを気にしているのは伝わってくる。彼のいるグループと花火大会の約束ができたときのテンションの上がりようはすごかった。  私も一緒に「よかったね」と笑ったけど。みんなと同じようにはきっと笑えていなかっただろう。  何着る、とか。髪型どうする、とか。弾んだ声に頷くことしかできない。どうしたらみんなと同じように楽しめるのか。その場のノリに合わせるフリはできるけど、心までは動かせない。  自分を可愛く見せることに素直な彼女たちが羨ましかった。いつもと違うのがいい、とハッキリ言える強さが私にはないから。  何事も無難が一番。いつもと同じが一番いい。浴衣じゃなくて制服でいい。髪型だってこのままでいい。可愛くなりたいって思わなくはないけど、自分を変えることやそれを誰かに見せることに恥ずかしさを覚えてしまう。何より目立つことがこわい。  みんなのことを「恥ずかしい」だなんて思ったことはないのに。自分がやろうとするとどうしても違和感を覚えてしまう。「そういうタイプじゃないでしょ。オカンなんだから」と自分で自分に言ってしまうのだ。  本当は浴衣も着てみたけど。母も姉も「似合ってる」と言ってくれたけど。でも、鏡の中の自分が自分ではないみたいで、どうしても着たまま外には行けなかった。
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