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俺の焦燥を嘲笑うように、ゆっくりと近づくそれに俺は覚悟を決めた。
――銃を抜く。
だがまだ。まだ、だ。ギリギリ、ギリギリまで――。
神経を研ぎ澄まし、彼の挙動、纏う空気の僅かな変化も逃さず睨む。
急く本能を押し留め、彼の唇が触れる直前まで待って、待って――。
――っ、今!
止血の手を、ベルトの内側に隠した小型銃へと滑らせようとした刹那。
「ご機嫌よう、お二人さん。見たまえ。この美しい大空を! まるで空がエーゲ海を抱きしめて連れ去ってきたようじゃないか」
「…………は?」
重なった声はふたつ。
今まさに命の駆け引きをしていた俺達は、揃って間抜け面で声の主を捉えた。
野次馬の一人もいなくなった路上で、両手を広げ大空を仰ぐ細身の男がひとり。旅行者なのか、傍らには腰丈よりも大きな革製のキャリーケースが佇んでいる。
ゆったりとした無地のカットソーに、くたびれたジーンズ。羽織った薄手のロングカーディガンが、下ろされた彼の腕に合わせて波を描いた。
視線に気づいた彼が、顔を戻して、にこりと笑む。
若い。十代後半……か、いって二十を少し超えた程度だろう。
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