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父の腕はもはや狂ったように上下していて、上部からは言葉にならない呻き声が降ってくる。
「さゆっ、さゆき」
母だ。私は必死に首をひねって、母の姿を捉えようとした。が、
「――にげて」
瞬間、私を覆っていた温もりが、弾き飛んだ。
視界に飛び込んできたのは、血の流れる首を掻きむしり、のたうち回る父の姿。
焦点の合わない瞳。限界まで開かれた口から飛びる血や体液が、白い床に狂乱の跡を刻んでく。
そして母も。奇声をあげ、常人とは思えぬ動きで荒ぶったかと思うと、パタリと突っ伏し動かなくなった。
頭の下でジワリと滲んだ赤色が、和紙を染め行くように白を侵食していく。
追うようにして、父もまた。
「……とうさっ、おかあさん」
二十六年前、真っ白な雪が降りしきる日に私を抱きとめてくれた人達は、真っ赤な血だまりに倒れ逝ってしまった。
事件の詳細と犯人の顔を知ったのは、それから一週間後のことだった。
私は病院にいて、まだその身に起きた現実を受け止めきれずにいた。
頭はぼんやりしていて、誰が話していても、言葉は耳をすり抜けていくだけの意味をなさない音になっていた。
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