01 黄昏

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01 黄昏

「はい、これでよし」 「ありがとう先生~」 「これにこりたら怖そうな霊には近づかないこと。いいね?」  作家、斑目綴は幽霊のたぐいが見える。先天的なものではなく後天的なものではあるが。  ある日、変な夢を見て目が覚めたら……どういうわけか見えるようになっていた。その時見た夢の内容は覚えていない。覚えていなくても大丈夫なものだったのだろう、と斑目はその時見た夢をそう定義した。もしかしたらふとしたきっかけで思い出す可能性だってあるかもしれない……とは、思っている。  見えるようになった斑目は、その日から何かと無害な霊の面倒を見るようになった。うっかり話しかけた霊の悩み相談を聞いたことがきっかけだったような覚えがある。そしてその霊が噂を流したのも原因にあるのだろう。その日以降、斑目は暇があれば霊の話し相手になったり、今訪問している霊にしたように簡単な手当を施したりしている。見えるようになったからには、その手の知識も必要だ。斑目はそう考えた。考えて、その手の知識を身に着けた。  その結果、無害な霊の訪問が増えることとなった。   「はーい」 「はい、それじゃお大事に」  増えることとなったとはいえ、訪問してくるのは文字通り無害な霊のネットワークでつながっている霊たちだ。後から思えば危険な霊とニアミスしかけたこともあるような覚えがあるが、寸前ですんだあたり斑目はどうやらそういう点では運がいいと言える。  書斎机のノートパソコン。そのキーボードに指で触れたとき、外から鈴のなるような声がした。ひょこり、と魂の形に近い(らしい)丸っこい姿をした霊が顔を見せる。無害な霊のネットワークでつながっている霊たちは、なぜか一様にそんな姿をしている。理由はわからないが。   「先生、先生」 「はい、どうしたんだい」  キーボードから指を離し、椅子ごと窓の方を向く。霊はどうやら斑目の様子を気にしていたらしい。開口一番に放たれた言葉からもよく分かる。 「先生、なんだかお疲れのように見えるけど……」 「あ、いや。今日はやけにお客さんが多いなあって思っただけだよ」 「さっきも誰か来てたの?」 「怪我した子がね」 「あ~」  さっきの霊はちゃんと言いつけを守るだろうか。斑目はそう思ったが、守らなかったら守らなかったでまた釘をさせばいいだけだ。  そう思いながら、斑目は訪問者の霊を見る。視線に気づいたのか、霊はその丸っこい体でお辞儀をした。それはそれとしてね、と霊が言葉を続ける。   「伝言を預かってきてるんだよ」 「伝言?」 「うん。先生に会いたいっていう人から」 「それ、人じゃなくて怪異のたぐいじゃないのかい?」 「うん」 「そうだろうねえ……」  霊のネットワークで伝言頼まれる相手は、たいてい怪異のたぐいだ。あたりまえではあるが。とはいえ、無害な霊のネットワーク経由での伝言である以上は、その怪異も無害なである可能性が高い。一般的な霊たちは、案外危険な霊には関わらないものだ。  伝言の霊によれば、その怪異は黄昏時にとある坂道に来て欲しいと言っていたらしい。斑目は窓の外を見る。まだ日は高い。黄昏時にはまだ時間がありそうだ。  斑目は椅子ごとノートパソコンの方を向く。そして顔だけ窓に向ける。 「まあ、それくらいの時間なら空きを作れるから大丈夫だけど……」 「だけど?」 「待ち合わせ場所には案内してくれないかい」 「いいよ~」 「あと俺の仕事が一段落するまで待っててね」 「はーい」  ◇ 「ここ、ここ~」  人通りのない上り坂の入り口。幽霊に案内されて斑目がやってきたのは、そういった場所だった。  斑目は出不精だ。必要があって行くところ以外の情報は、地図で見たりした範囲のことしか知らない。     「先生ここ来たことないの?」 「近くに危険なオカルトスポットがあるってことは知っているよ」  なので、このあたりに関する知識は小さな禁足地があるということくらいだ。いわくつきのオカルトスポットであることも知っているが、そこに入らなければ何も危険はない。   「あるんだ……」 「逆に君はなんでそれを知らなかったんだい……」  どうやら幽霊の知識にも色々あるようだ。 「ところで俺に伝言を頼んだひとはどこにいるんだろうね」 「えっとねー……」  案内の幽霊が促すので、斑目は坂を登り始めた。その過程で、ふと空を眺める。  黄昏の空だ。太陽の光を映す雲が、ゆるやかに流れている。そのオレンジを覆い隠すように、夜の蒼が降りてきている。 「斑目先生ですか?」  そうして空を見ていると、ふと年若い男性のような声がした。斑目の視線は自然と、その方へと向く。  黄昏の空の下、坂の一番上に黒っぽい猫のような見た目をしたなにかがいる。きらきらと日の光が毛に反射してきれいだ。この存在が、自分に用があるという怪異だろうか? 斑目はなにかの様子を観察した。ぱっと見の印象は、黒っぽい猫。猫との決定的な違いは、なにかの目は一つ目であることだ。  とは言え観察し続けるのもあれだ。まだ、問いかけに対する返事もしていない。斑目は怪異に対して「そうだよ」と答える。視界の中で、怪異が尻尾をゆらしてその一つ目をぱちくりと瞬かせた。そうして、斑目の方へと寄ってきて、深々と頭を下げる。 「来てくださってありがとうございます」 「まあ、時間もあったからね」  反射的に斑目はしゃがんで怪異の頭を撫でる。見た目通り、ふわふわとした手触りだ。  ……ところで、撫でている場合なのだろうか? 斑目は怪異の頭から手を離すと、わざとらしく咳払いをした。ごまかしきれている気はしていないが。 「君は俺に用事があるんじゃないのかい? それを聞かせてもらえるとありがたいんだけど」 「ああ、そうです。そうです」  怪異が斑目に視線を合わせてくる。しゃがんだまま、その目を見つめ返した。怪異は先程の斑目のように咳払いをし、話をこうきりだした。 「先生は怪談に興味はおありですか」 「まあ、ホラーもたまに書くからね。興味はあるよ」  本業は違うが、ホラーを書くこともある。学生時代はホラーも結構な量書いたものだ。下手の横好きではあったが。その頃は、将来自分が作家として仕事を得たり幽霊が見えるようになったりするとは思いもしていなかった。実は今でも、現在の自分を取り巻く状況は夢なのだろうかと思うこともある。  そう、過去に思いを馳せていると、斑目の後ろで大人しくしていた案内の幽霊がぽつりとこぼした。   「先生ってホラー作家じゃなかったんだ……」 「俺はサスペンス作家だよ」 「話を続けても?」 「あ、ごめんごめん。どうぞ、続けてくれないかい」  そうだった。過去を思い返したり、謎の勘違いを修正するのは後でもいい。後でもいいのだが先程軽くやってしまったような……ではなくて、今は怪異の話を聞くことを優先すること。  そうして再び怪異と視線をあわせれば、安心したように怪異が言葉を続ける。何度か、その一つ目を瞬かせて。 「自分は何かというと夢喰に近い怪異でして」 「ふむ」 「怪談や怪異談義、オカルトトーク……などなど、そういったたぐいの話をしている場に満ちる空気、それが食事なのです」 「ふむ……」 「ですが先日、野良の怪異猫に襲われて怪我を負ってしまいまして……そのせいもあり、一人でうろつくことに危険を感じておりまして」 「……あー、あの猫のたぐいのアレか」 「しかし、食事をするにはうろつかないといけない。いけないのですが、そういった事情もありまして……」 「俺の手を借りたい、と言うことかい?」 「はい」  見えるようになってから知ったのだが、この街には怪異猫という猫の姿をした怪異があたりまえのように存在している。そんなどこにでもいるような怪異が天敵となってしまったとあれば……生きづらくなるのも仕方ないことだろう。  この怪異と怪異猫は別の種族なのだろう。推測でしかないが、この怪異が襲われたのは異種族が縄張りに勝手に入ったなどの都合があったのかもしれない。  とはいえ、今重要なのは事実だ。この怪異は困っており、見える人間に助けを求めたという事実。  斑目はじっと、怪異と目を合わせた。そして、笑いかける。   「まあ、常にその手の話が入ってくるわけじゃない。それでいいなら」 「かまいません、かまいませんとも」  斑目は手を差し出した。怪異がおそるおそる、前足を手に乗せてくる。ぎゅっと前足を握って、軽く上下に揺らした。 「それじゃあ、よろしくね」 「よろしくお願いします、先生」 「ところで君、名前は?」 「自分に名前はありませんので……そうですね、ナイとでもお呼びください」 「わかった、そう呼ぶよ」
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