プロローグ

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プロローグ

 最高の気分だった。  レオナール・ブランは、本日幾度目になるかわからない柔らかなため息を漏らした。  辺りは見渡す限りのどかな田園風景で、頭上には満天の星空が広がっている。  なだらかな丘の向こうにちらほらと見える民家や外灯の明かりが美しい。  陽が落ちた後、自分の住む村をこんな風に眺めることはめったにない。子どもの頃から見慣れた風景が新鮮に映り、レオナールはふと足を止めた。  秋の匂いが混ざった涼しい夜風が、頬を撫でる。アルコールのおかげか、寒さは微塵も感じない。  ほのかな光を眺めながら、友人のデレデレと締まりのない顔を思い浮かべると、自然と口元が緩んだ。  素晴らしい結婚式だった。花嫁は美しく、笑顔に溢れ、絵に描いたような幸せがそこには存在した。  カフェで働く彼女に一目惚れをした友人は、その日から猛アタックを繰り返し、とうとう結婚にまで至ったのだそうだ。 『一目見た瞬間に、ビビビッときたんだよ!』  直感的に運命の人がわかったのだと、散々飲まされ酔っぱらった友人は、赤い顔で幸せそうな笑みを浮かべながら惚気ていた。  自分もそんな人に出会えたならば、どんなに幸せだろうか。もしも出会えたならば、きっと自分も彼のように必死になるに違いない。けれど、現実は望むべくもない。  本当に良い結婚式だった。そう思うと同時に、レオナールの心に、一抹の切なさが湧きおこる。  友人の結婚を心から祝福している。しかし、羨ましさがないとは言い切れなかった。  誰かを想い、そして相手からも想われる幸福を、レオナールは知らない。  交際の経験はあるものの、それはいつも、相手からの告白を受けてのことだった。その度に相手と誠実に向き合う努力をしてきたが、最後には、レオナールの方から別れを告げる形になった。罪悪感からだ。心の底から相手を想うことが、どうしてもできなかった。  本気で誰かを好きになったことが、一度もないのだ。  もしかしたら、自分は望む『幸福』を、一生知ることはないのかもしれない。そう思うと、胸が塞がるように小さく痛む。  視界に靴の先が映り、レオナールは慌てて頭を振った。  そうだ。自分にも、いつかきっと現れるはずだ。運命の人が、きっとどこかにいるはず。そう自分に言い聞かせる。まるで夢見る幼い少女のようだが、くよくよしているよりはずっといい。  それに、優しい家族に余計な心配を抱かせたくない。家に着いた時、いつものように笑っていたい。  意識的に口角を持ち上げたレオナールは、手土産のワインの入った袋をしっかりと持ち直し、顔を上げた。  その瞬間、農道のど真ん中に佇む一人の男性の姿が視界に入る。  村の人間が、こんな夜更けに外に出るなど珍しいことだ。一体、誰だろう?  レオナールの暮らす村はとても小さく、村人同士はほとんどが旧知の仲だ。  遠目から見てもほっそりとしている体躯は、自分と同じくスーツを身に纏っている。  村にあんな人間がいただろうか?  うろうろと辺りを見渡す横顔が目に入り、どきり、と鼓動が跳ね上がった。  レオナールの視線に気がついたのか、男が振り返る。  猛禽類のような鋭い視線を向けられた瞬間、時間が止まったような気がした。  指先に甘い痺れが走り、全身の血が沸騰したのかと思うくらい一気に熱くなる。沸き上がる歓喜に目眩を覚え、高揚感が身体を支配した。  まさか、そんな――ああ、でも。  間違いない。  レオナールは確信した。  この人だ、と。
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