はじめに

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はじめに

2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送も残り三分の一となった秋の頃。 鎌倉幕府初代将軍である源頼朝の次男、実朝がわずか十二歳で三代目の将軍に即位する話が出てきます。 実朝が和歌のレッスンを受けるシーンも出てきました。 「そういえば、百人一首に実朝の歌が載っていたような…?」 思いついて、百人一首の本を紐解いてみました。 果たして、百人一首の終わりに近い93番に彼の歌が載っていました。 ついでに、私がこのエッセイを書こうと思ったのは、「百人一首の選者である藤原定家が、実朝の和歌の先生だった」ことを(これはドラマではなく本からの情報でしたが)この時に知ったのがきっかけでした。実朝は文のやり取りを通して、定家に歌を教わりました。実朝の住む鎌倉と定家の住む京都は距離があり、対面でのレッスンは難しかったので通信教育になったのでしょう。 百人一首は、平安時代の華麗なる貴族文化の歌のイメージが強く、実際、平安時代に詠まれた歌が一番多いのですが、始まりは飛鳥時代から終わりは鎌倉時代まで、百人一首に選ばれた歌は600年もの長い時の中で詠まれています。 それらの歌は大体年代順に並んでいますが、八十首を過ぎてくると、百人一首の世界に陽が陰り、薄曇りの空のような暗さが漂いはじめます。 優雅な王朝の時代から『平家物語』の諸行無常へ、そして、武士が支配する鎌倉時代へと向かっているからでしょうか。 百人一首の最後の頃の歌は、藤原定家が生きた時代に詠まれています。 定家と交流のあった歌人も多く、定家と同時代を生きてきた歌人たちの詠んだ歌が、王朝文化の歴史のフィナーレを飾ります。 小倉百人一首の選歌は、定家最晩年の仕事でした。 定家が、古き良き時代の、失われていく王朝文化への哀惜の念から百首の歌を選んだのは間違いありませんが、もちろん、それだけではありません。 百人一首を締めくくる、鎌倉時代という激動の時代に生きた歌人たちの歌について、調べたり感じたりしたことを鎌倉殿のドラマに重ね合わせつつ、心のままに綴っていきたいと思います。
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