大切な宝物

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何とか二人の支度をして、自転車の後ろの座席に泰雅、前の座席に若葉を乗せて、保育園と向かった。 私は侑吾さんと離婚後、生きていた母を訊ね、大阪に行った。 母は梅田の北新地で小料理屋の女将として店を切り盛りしていた。 母の店で働くようになり、その後妊娠が発覚。 私は…折角授かった二つの命を中絶する事が出来なかった。遺伝病のリスクにも思い悩みながらも、どんな子供でも受け入れて、責任を持って育てる覚悟を決め、双子の男児と女児を出産した。 泰雅は遺伝病の発病もなく健康体で生まれ、若葉も遺伝病の保因者ではなかった。 二人は50パーセントの確率を見事にクリアして、生まれて来た。 母も涙して喜び、泰雅と若葉は私の大切な宝物となった。
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