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身勝手な間借り人 第四話
「あなたの側にも責任があると言った理由が少しはわかって頂けたでしょうか? そうなんです。気づかなければいいんですよ、二重生活なんてものはね。実際、世間では仮面夫婦関係なんてのもありますけれど、夫婦ってのもかなり怪しいですよね。血は繋がってないわけですからね。言うなれば他人でしょう? 顔が好きだか、才能に惚れたか知りませんが、正直言って、夫婦というものだって、互いに騙し合いながら生活しているわけです。出てくる言葉は嘘だらけですよ。お互いに何らかの利益が見い出しているから、仕方なしにくっついているだけで、例えば、立派な夫を持つことで……、体面だとか、他人への自慢とかですかね。愛なんて言葉も陳腐ですけど……、ふふ、まあいいか、この際使いますか。例え、愛なんてものが存在するとしてもね、それによってピッタリとくっついていたとしても、元々は半生の大半においては他人だったわけで、お互いに見られたくない部分も多くあると思うんですよ。趣味だって他人に知られたいものばかりではないでしょ? 朝はずっと妻が家を支配して、夜になって夫が帰ってくるわけですが、妻は昼間家で何をしているかわかったもんじゃないし、それこそ、まあ、例えが下品ですが、愛人を家に連れ込んだり、夫の貯金やクレカを不当に使い込んだりしているかもしれませんし、旦那だってそうですよね? 会社で他の同僚とつるんでどんな悪事をしているかわからないし、自分がやっている仕事の詳しい内容を妻に話している夫なんて、ほとんどいやしないと思うんですよ。夜は枕を並べて寝ているとしたって、夫婦関係ってのも、こりゃあ怪しいもんですよ。これまでの我々の関係と似たり寄ったりです。いや、もっと言えば、同じ生活用品を日常的に扱っておきながら、お互いに何の干渉もしてこなかった我々の方が、あるいはレベルの高いお付き合いだったかもしれませんよ」
「うう……、あんまりだ……、この心を引き裂かれたような思い……、どんなに慰められても容易に消えそうにない……。なんで……、なんで、私に狙いを付けたんですか……? これまで、何の悪事もやって来なかったし、規則正しい生活を送ってきただけなのに……」
私は事態が飲み込めてくると、すっかり動揺してしまっていた。
「そんな……、泣かないで下さいよ。これだって立派な巡り会いじゃないですか。実は調査会社の方で、間借りする相手の人の生活を事前に調べてくれるんですがね。趣味や嗜好がだいたい一致する同年代の同性の住家をね、紹介してくれるわけです。合い鍵はこちらが登録料と紹介料を振り込んだ後にもらえるわけです。どうしてもね、家を持たない、間借り人希望の人ってのは、私のように男性が多いんですよね。そういう意味ではこの国では今のところ、女性の方が身持ちがしっかりしてるという見方も出来ますよねー。例え安くても、自分でしっかりと給料を稼いで、自宅を持っている人の割合が多いわけです。でも、女性は成人しても親兄弟と一緒に住まわれている方も多いみたいですね。間借り人は登録をするときに、女性の家を希望することもできますが、私の経験で言えば異性はやめておいた方がいいと思いますね。いや、なんというかね、うは、思い出し笑いしちゃうな。やはりね、趣味が全然合わないんですよね。家をお借りしてもね、面白くないんです。若い男性もののアイドルCDや、写真集ばかり置いてあったりしてね、くくく、実は、それについて他愛もない日記なんて書いている方もいましたけどね、まあ、その辺は話さない方がいいでしょう。間借り人にも一応のルールがありまして、他人のプライバシーをかなり知ることになりますから、それはなるべく他言しないということになっているんですよね。まあ、他人に話してしまうと、そこから足がついてしまいますからね。そういうわけで、なるべく自然に溶け込めるような家をお借りするのが理想です。なにしろ、その方がお付き合いが長続きしますからね。私とあなたのようにいい関係が長続きするんですよ。私としてはね、間借りしている間に、ここにはどんな人が住んでいるのか夢想していたりもしますね。置いてある本や音楽やパソコンソフトから、だいたいの人物像を想像したりとかしましてね。いや、あなたはずいぶん難しいストーリーの本ばかりお読みになるから、仕事に対しても真面目な、堅い人だろうなっていう印象はあったんですよね。そういう人は心にもろいところもあって、傷つきやすくもあるから、なるべくこの関係が崩れないようにと努力していたんですよ」
「では、あなたのように他人の家に勝手に侵入して、昼間の間自由に使っている人が全国にかなり多くいるんですか?」
「もちろんですよ。安心して下さい、騙されて、家を乗っ取られているのは、何もあなたひとりじゃないですよ。調査会社の方は全国に展開していましてね、間借り人の方で希望を言えば、どの都道府県の家でも紹介してもらえます。登録料は一ヶ月に数千円ほどですね。紹介してもらう部屋はどうしても、あなたのような独身のサラリーマンの家が多いですが、例えば、自宅兼店舗になっている床屋や八百屋なども昼間の間は台所や寝床が空いていたりしますからね、紹介してもらうこともできますよ。ただ、侵入してみたら、居間で小さな子供が遊んでいたりもしますから、一人暮らしの家に比べて油断ができないというか、ばれずに住み続ける難易度は遥かに高いですね。今もちょっと言いましたけどね、実際ね、私たち間借り人がやっていることは、ほぼ全て自己責任でしてね。何が起こっても、調査会社は一切責任をとってくれないんですよ。彼らは情報を扱っているだけですからね。別に泥棒をしろと指示を出しているわけではない。昼間空いている家を教えてくれているだけです。ですから、今日のような問題もそうですが、間借り人と実際の居住者との間に、どんなトラブルが起こったとしても、調査会社は一切介入してくれないんです。登録料を払う、情報を貰うだけの付き合いですね。そこから先、上手くやっていけるかは、すべて間借り人のテクニック次第ということになります。それを利用して、本当に泥棒のような行為をしている人間もいます。金品を盗んだり通帳やカードを勝手に悪用したりですね。でも、そこまでやってしまうと当然のことながら罪の上塗りですから、自身の危険は否応なしに増えていきます。見つかってしまった時に、私とあなたのような穏便な話し合いでは済まなくなってしまうんですね。どうしても警察が絡んで来てしまう。そこでね、我々の間でも暗黙のルールのようなものがありまして、『なるべく、家の中の物に手をつけるな』ということですね。置物は勝手に動かさない。布団やフライパンなど使用した物についてはきちんと元にあった場所に戻す、そういうことですね。スナック菓子程度だったらいいんですけど、饅頭などに手を出してしまいますと、几帳面に残りの個数を数えている人などいますからね。ばれてしまいますよ、居住人以外にもここに人が住んでいるってことがね」
「最近、実家から送ってくる野菜ジュースが減るのが早いと思っていたんだが、それもあんたのせいだったんですか……」
「ええ、そうなんですよ。でもね、その辺は私もこの道のベテランですから、きちんと間合いを計らせてもらってね、慎重にやってるんですよ。完全に大丈夫だと思っている範囲の物しかお借りしてないんですよ。醤油やマヨネーズは使っても大丈夫。水道や電気代も多少増えていても問題はない。野菜ジュースは最初はちょっと躊躇していたんですが、まあ、あなたの人となりを確認してね、この人なら大丈夫だろうってことで先月辺りから飲ませて貰うことにしたんですよ。たいへん美味しく頂きました。ありがとうございます」
「あなたのお話はだいたい伺ったんですが、しかし、やはり理不尽だと思いませんか? この家は私が日頃から社会で努力して、まあ、給料も決して良いとは言えませんが、それでも何とか生活できる分を稼いできて、やっとこさ借りている部屋なんですよ。あなたはこの部屋については何も努力していない。途中から現れて、勝手に布団や家具を使って食い散らかして去っていくだけ。そんなこと不公平だと思いませんか? 同じ額の家賃を払って一緒に住んでいるのなら、まだ話はわかるんですよ。いや、例え家賃を折半して払っていたとしても、私としては男の人とこんな狭い部屋で一緒に住むのは嫌ですけどね」
このままのペースで相手の男の話を聞いていたのでは、こんな不法行為を正当化されてしまいかねないので、私も自信を持って自己主張することにした。部屋を乗っ取られるのではないかという危機感も少しはあった。しかし、間借り人の方は、私の言葉を聞いてもまったく動揺を見せないばかりか、警官が冷や汗をかきながら必死に言い訳をする道交法違反者の話を聞くときのような余裕の表情で聞いていた。これでは立場があべこべではないか。本来説教されていなければいけないのは向こうのはずなのに、追い詰められているのは、逆にこちらのような気さえしてきたのだ。
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