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消えない記憶
ようこそ、いらっしゃいませ。
当店は、お客様がすでにお忘れになられた「音」を取り扱う
「音の瓶詰屋」でございます。
百聞は一見に如かず。
えぇ、えぇ。
まずは、実際にお聞きいただいた方がよろしいかと。
こちらの瓶の中に、お客様の大切な音が詰まっております。
さぁ…もっと近づいて、耳をすませて…いかがです?
『…』
…こちらはお子さまの産声でございましたか。
えぇ。それは感動的な瞬間であったことでしょう。
瓶詰を開封いたしますと、皆様、口をそろえて仰います。
「音とともに当時の記憶が蘇ってくる」と。
では、よろしければ、こちらもお試しくださいませ。
ぐっとこちらにお耳を寄せて頂いて…では開封いたしますよ。
『…』
いかがでしょうか。
あぁ…初めて子どもが「ママ」と呼んでくれた声、でございますか。
…そうでしょう、そうでしょう!
お子さまのご成長は、常に新しい記憶で上書きされます。
ご多忙極まる日常の中では、記憶が薄れてしまうのも、
至極当然というもの。
これは、なにもお客様に限ったことではございません。
先ほど、ご説明申し上げました通り、
こちらの瓶ひとつひとつに詰められている音は、
お客様が「すでにお忘れになられた音」でございます。
店を管理しております私自身も、瓶にどんな音が詰まっているのか、
その音がお客様にとって何を意味するのかは、分かりかねます。
例えそれが、愛する人が囁いた最期の言葉でも、
殺したいほどの憎い相手の断末魔だったとしても。
ですので、中身の良し悪しについて、
私からお伝えすることはできかねます。
ここに瓶詰として存在する理由は、ただひとつ。
お客様にとって大切な記憶だった、ということだけでございます。
ご理解いただけましたか?…ありがとうございます。
なお、無料でお試しいただけるサービスは以上となります。
以降の開封につきましての、お支払い金額は、こちらでございます。
…かしこまりました。
すべてご一括でお求めでございますね。ありがとうございます。
奥に別室をご用意しておりますので、すぐにお楽しみいただけます。
お時間の許す限り、ごゆっくり「音の瓶詰」をお楽しみくださいませ。
『…』
…お呼びでございますか、お客様。
少々お顔の色が優れないようでございますが。
…はい…えぇ…お子さまを罵り、意のままに操ろうとする
不快な声が詰まっていたので、代金の払い戻しをご希望、と。
心中お察し申し上げます。
ただ…恐れながら、その「声」というのは、
お客様ご自身の声ではございませんでしたか。
…おや、いかがなさいました。
お顔の色がますます優れないご様子。
いくらお子さまにむけて「あなたのため」と仰られていても、
実際に出てくる言葉は、相手を傷つけたり、縛りつけたり、
自分の思うがままに操りたいがために発する言葉であった…
という「ご記憶違い」もございます。
…お心当たりはございませんか?
音とともに当時のご記憶が蘇っては来ませんか?
今までお客様がご記憶をされていらっしゃったのは、
ご自身にとって都合のいい「妄想」ではございませんでしたか?
…おや、こちらのひと瓶は、未開封でございますね。
失礼して、私が開封させていただきます。
『…』
あぁ…どおりで…。
実は私、最初に瓶詰を開封差し上げたときから、気になっておりました。
なぜ空になった瓶を、私の手からひったくっては、
床に落として叩き割られるのかと。
まるで忌々しい「証拠」を消すかのごとく、
それはそれは、鬼気迫るご様子で…いえ、大変失礼いたしました。
ご安心ください。
当店は、お客様がお忘れになられた「音」を取り扱う
「音の瓶詰屋」でございます。
お客様が意図せずお忘れになられたのか、
はたまた、どうしてもお忘れになりたかったのか、
私には、全くもってわかりかねます。
ここに瓶詰として存在する理由は、ただひとつ。
お客様にとって唯一無二の大切な記憶だった、
ということだけでございます。
ご利用、ありがとうございました。
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