第2話

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第2話

「この木なのか?」 「うん。そうみたい」  私は携帯を耳に当てたまま、原君に木のことを教えてあげた。  木はかなり高くて、枝の数も多かった。  その枝の間に鳥の巣がある。 「あっ、あれ」  私は鳥の巣から落ち、枝に引っかかっているひなを指さしてあげた。  親鳥が人間を警戒してか、離れた場所で「ピー、ピー」鳴いている。  原君はアゴに手をやり、 「なるほどな。ところで、その携帯の相手。誰なんだ?」 「えっ? う~ん……。親戚?」 「そっか」  それ以上何も聞いてこなかった。  ――信じるんだ。  こんなに素直な人だとは思わなかったなぁ。 「それで、あのひなを助ければいいんだな?」 「うっ、う~ん。助けてほしいらしいよ」 「わかった。でもよく知ってるな? 俺が木登り得意だってこと」 「えっ? まっまあね」  私の下手な芝居にも、原君は疑うことなく付き合ってくれる。  ――未来の私の指示なんだけどね。  それを言いたいのを我慢する。  原君はさっそく木を登り始めた。  得意というのはうそではないらしい。  ひょうひょいと枝をつたっていく。  もうひなの所までいってるし。 「ん?」  私の耳に変な音が聞こえ始めた。  ギィ……ギィ……。  木が鳴いてる。 『ありがとう。中学生の私。助かったよ』 「……あの、この木、折れそうなんだけど?」 『腐ってるから折れるよ。そして彼は落ちて死ぬ』  未来の私が言ったことに、言葉をつまらせてしまう。 『心配しなくていい。君が殺したんじゃない。彼は事故死……いや、未来のこの私が殺したのかな?』 「まって、その、何を言って……」 『どのみち彼は死ぬんだ。三日後にね。――人類を絶滅にまで追いやった新種のウイルスによって』  未来の私が何を言っているのかわからなくて、私の頭がくらっとする。 『彼が死んだとき、私は大泣きしたんだ。葬式に行けないほどにね。その後だ。新種のウイルスが世界中にまん延して、人類を死の淵に追いやった。増殖が早く、致死率も百パーセント。ワクチンを作ることができず、一年で数億の人間が死んだ』 「あのっ……」 『私はね。ウイルス学者なんだ。彼が死んでから、死に物狂いで勉強して、ウイルスの正体をつかもうとした。だけど無理だった。この年になっても、ウイルスのワクチンすら作れない。学者失格だね』  未来の私から漏れる乾いた笑い。  疲労と絶望。  私自身だからこそ、声でわかる。 『だけどね。ウイルスの発生源だけはつかむことができた。彼だ。彼の体内にある腫瘍からウイルスが発生していたことがわかったんだ。彼がウイルス源だったのさ。転落死してくれれば警察が死体を解剖して、腫瘍が見つかる。もう百人も人類がいない私の世界になるようなことがなくなる』 「未来が、変わる?」 『そうさ。中学生の私の未来は、ね。こちらの世界線は変わらないだろうから、ウイルスによって人類は死滅するだろうけど。だから私はずっとひとりなのさ』  未来の私が言っていることが壮大すぎて、私の思考が回らない。 『すまなかったね。これが人類のウイルスに対する最後の抵抗なんだ。なんでこの任務に私が手を上げたのかわかるかい?』 「彼の、ことが、好き、だった?」 『正解。彼を亡くしてから気づいたんだ。ああ、この感情は好きって感情なんだってね。自分の感情に気づいてやれなかったけど。だからウイルスに殺されるぐらいなら――ここで私が彼を殺そうと決めたんだ』  だめだ。未来の自分が言っている意味がわからない。  私は携帯を耳から外し、彼を見上げる。  原君はひなを助けると、丁寧に巣に帰していた。 「はら……」 『無駄だよ。その木は必ず折れる。何度もシミュレーションしたんだ。君は彼を助けられない。もう、遅い』  離したはずの携帯から、未来の私の声がはっきり聞こえる。  涙がこぼれる。  こんなことしていいの? 未来の私はそれで納得できるの?  だめ。  今の私は――こんなこと納得できない。 「あっ、うっ……」 「よし。ひなを巣に戻したぞ。もう大丈夫だ」  原君がこちらを見下ろした。  木が大きくうなった。  折れて、彼は、転落死する。 「私! あなたのことが好き!」  私は卵の殻を破ったかのように叫ぶと、木の幹を両手で押さえる。  私の力でどうにかなることじゃないって、わかってる。  だけど、彼のために何かしないと、いてもたってもいられなかった。  このままただ死を見守るだけなんて―― 『ふふっ、あははははははははははははははっ!』携帯から未来の私が楽しそうに笑い、 『大丈夫だよ。中学生の私。その木は音がうるさいだけで、折れはしないよ。そもそも、腐ってる木の上に、鳥は巣なんて作らないよ』 「へえっ?」  私の口から変な声が出た。 「どっどうして……」 『私はウイルス学者じゃない。時間学者なんだ。この世界でも人類は平和に暮らしているよ。それにしても中学生の私は、こんなおとぎ話を信じるとはね。われながら情けない。あっ、そうそう。その素直に人の言うことを信じる性格は、大人になったら注意したほうがいいよ』 「どうして、うそを……」 『私が独身なのはほんとさ。この年になって恋ってやつをしたことがないんだ。誰にも好きだって言えなかった。それで私を時系列順に分析してみると、その木のそばで、彼に告白することが、最後の恋愛のチャンスだとわかったんだ』  未来の私は楽しそうに笑う。 『そこで告白を逃すと、彼とは高校生までは一緒だったけど、卒業して別れて、それっきりになるんだ。安心していいよ。こっちの世界での彼は有名な学者になって、奥さんとお子さんもいるから』 「あっうっ」 『それでは、未来であるこの私が経験できなかった恋愛というものを楽しんでくれたまえ。健闘を祈る。――さようなら中学生の私』  優しい声の携帯が切れ、私はぼうぜんと立ちつくす。 「――西城さん」  原君が私の目の前に立っている。いつのまにか木から下りている。  原君は赤く染まったほほを指でかきつつ、 「俺も、好きです。図書館で会ったときから」 「あっ、いっ……」 「あっ、デートに行くか? どこに行きたい?」 「こっ、こここっ……」 「公園だな。わかった。公園に行こう」  恥ずかしさのあまり声が出てこない私に、笑顔な原君。  ――恋愛する未来が落ちてきてしまったようだ。
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