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「行っていいよ」
そうやって、日だまりみたいに笑う。
「でも……」
「たまには俺だってカッコつけさせてよ。あいつみたいに」
18時37分。
涙でぼやけた一馬さんに深く頭を下げて、玄関を飛び出した。
だけど言い残したことがあることに気づいて、一度立ち止まる。
再びドアを開けて、彼に向かって大声で言った。
「ありがとう」
今までずっと、私を受け入れてくれて。
「ごめんって言われなくて助かった。……また店来てね。来なきゃ恨むよ」
最後まで、大切にしてくれて。
「……ありがとう……」
微笑み合って頷くと、また走り出した。
私は最低なことをしている。
だけど、今までで一番、自分の気持ちに正直に生きている。
走りながらタクシーを探した。
一馬さんのお店の前を通った時、まだ言い残したことがあったことを思い出す。
二軒先のバーへ勢いよく駆け込み、カウンターで笑顔を振りまいていた彼女を見つけた。
「笛木さん、」
呼びかけると笛木さんはすぐに気づき、あんぐりと口を開け絶句した。
「なに?……なんであんたが」
薄暗い店内は、いつもだったら物怖じしてしまう雰囲気だけど、今の自分にはそんなことを気にしている余裕もなかった。
お客様に手を振って、私の元へ近寄ってくれる笛木さん。
困惑した顔の彼女に、威勢良く声を出した。
「一馬さんと別れました!」
「はや!」
目を丸くさせる笛木さんに続ける。
「私、倫が好きなんです」
途端に彼女はムッとする。
「つまり、心変わりしたから一馬さんを返すってこと?振られた私に、やっぱりどうぞって?てか、心変わりするの早くない?超軽いじゃん」
自分の悪行を全て指摘され、情けなくて目を合わせるのもしんどい。
……でも、それが私だ。
「……そうです」
ハッキリとそう伝えると、急に噴き出して笑う彼女。
ひとしきり笑った後、私ににっこりと微笑む。
「超自己中女。……でも、今までで一番好き」
そこでやっと思い知った。
笛木さんは妖精というよりも、人を守る騎士だ。
人を奮い立たせ、勇気づける人。
「……店長は任せて。私の可愛さだったらいつか絶対落ちるから。可愛いは正義だし」
神々しい笑顔にまた涙が滲んで、彼女にも深く頭を下げる。
「ありがとう、笛木さん」
一馬さんは王子じゃなくて、笛木さんは妖精じゃなかった。
だったら倫はなんだろう。
そんな突飛なことを考えながら、タクシーに乗り込む。
一つだけわかっていることは、自分はやっぱり悪役だったってことだ。
細菌マンのキーホルダーをぎゅっと握った。
悪の帝王、悪役令嬢、鬼の始祖。
私に力をください。
____「○○ホテルまでお願いします」
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