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それでも。愛している。
別れても、隣に別の誰かがいたとしても。
僕はずっと、キミだけを想っている。
「葵、お待たせ」
親友だった佐橋雄大と付き合い始めて、
1年が経つ。
今日は、佐橋の誕生日の8月2日。
あいにくの雨で、
片手に傘、片手にケーキの箱と
荷物が持ちにくいが、
連日の暑さが和らいだのでよしとするか。
佐橋と付き合うようになったのは、
まだ僕が他の人と付き合っていた頃に
佐橋から告白されたのがきっかけだ。
そう。
僕はそれまでの恋人と別れ、
今の恋人である佐橋に乗り換えた。
それでもまだ、思い出す。
最愛の恋人だった、川瀬由貴のことを。
同じ大学3年生だった由貴とは
去年の5月、マッチングアプリで知り合った。
迫り来る就活のプレッシャーで、
後腐れなくカラダの関係を持てる相手を
探すことにしたのだ。
どんなに意気投合したとしても、
初めからたった一晩の関係のつもりだった。
『上野駅で待ち合わせして、
鶯谷駅のラブホ街まで歩かない?』
アプリの画面の中で、
由貴は同じ年齢とは思えないような
突飛な発言を繰り返していた。
だから僕は由貴に会うまで
由貴のことをかなり軽く見ていたし、
まさか自分の初めての恋人になるとは、
思いもしなかった。
それまでの出逢いも、マッチングアプリ。
特定の相手と愛を交わして束縛されるのが
嫌で、男子高時代から告白されてきたが、
全て断っていた。
6月17日。
間もなく21歳の誕生日を迎える
金曜日の夕方に、初めて由貴と会った。
上野駅にはたくさんの改札口があるが、
入谷口改札の前に雑誌を持って立つと
言うので、どんな変な奴が来るのかと
ある意味ワクワクしながら行くと、
起きないで欲しいことが起きてしまった。
色素の薄い髪と瞳、細いウエスト。
180センチ近くある身長に、黒縁の眼鏡。
間違いなく美形と呼ばれる青年が、
おじさんが読みそうな雑誌を手にして
立っていたのだ。
今まで僕が抱かれてきたのは、
ウエスト太めの中年男性。
今回は同世代までターゲットを広げて
由貴に行き着いたのだが、
まさかこんな美形が来るとは思わなかった。
呆然と立ち尽くしていると、
由貴が僕に声をかけようか迷い始めている。
仕方ない、腹を括ろう。
「ゆう、さんですか」
僕が尋ねると、
由貴は雑誌をトートバッグにしまい、
はい、と微笑んだ。
「あおさん、こんにちは」
ああ、ダメだ。
言動が変な奴の癖に、外見が好み過ぎる。
「来ていただいて、ありがとうございます」
僕の内心を知らずに、由貴が頭を下げた。
「あのさあ、まさかキミみたいな人が。
アプリなんて必要ないんじゃないの」
早速、率直な感想を口にすると、
案の定、由貴は僕の耳元でこう囁いてきた。
「アプリではわざと変な発言してましたが、
大学ではミスターの称号、もらってます。
子供の頃からモテすぎて、女の子がまるで
ダメです。もちろん男女とも経験なしです」
「はあ?!」
マジか。というか、いいの?
こんなゆきずりの男に、初めてを捧げて。
僕は、戸惑っていた。
いちばん後腐れない関係に程遠い人が、
来てしまったじゃないかと。
「ゆうさん。あのさ」
「あおさん。僕、本名は由貴と言います。
由貴って呼んでください」
「‥‥僕は、葵」
「素敵な名前ですね。惚れちゃいそうです」
彼にかかると、そうなるのか。
一瞬で、今まで女の子名前で悩んでたのが
馬鹿馬鹿しくなった。
とりあえず、ホテル直行はなしだ。
由貴を説得し、
ちゃんとカタギの道に戻ってもらおう。
「由貴」
いきなり呼び捨てもどうかと思ったが、
さん付けが苦手な僕だ。
「今夜は、飲んでからにしよう」
「そうなんですか?」
「あと、タメなんだから敬語はなしで」
「うん。でも葵、鶯谷には行こう。
上野の方が居酒屋は多いけど、
その後ホテルに行くなら近い方が
絶対にいいし」
「わかった」
こうして、由貴との縁が始まった。
20分後。
僕と由貴は
カウンター席でホルモンを焼きながら、
ハイボールを煽っていた。
本当は大学がどこ、本名が何かなんて
言うつもりもなかったが、
由貴は席に着くなり学生証を見せてきた。
「葵には嘘をつきたくない。
初めてアプリを使ったけど、
最初からこんなにいい人に会えたから
嬉しいんだ」
だから川瀬由貴というのは間違いなく、
本名だ。
そして、大学は難関のひとつのT大。
僕だって決して負けてはいない
難関の大学に通っているが、
由貴は容姿まで素晴らしい訳で。
天が二物を与えないのは、嘘だと思った。
「だからね由貴。キミはちゃんと恋愛して、
付き合った方がいいって」
酔うと同じことを繰り返し言う癖を持つ
僕は、さっきから由貴の肩を抱き、
そればかりを繰り返していた。
「それができないから、アプリ登録を
したのに。じゃあ訊くけど、
何で葵こそ誰とも付き合わないの」
「僕はいいの。束縛が嫌いなんだよ」
あくびをしながら、そう言った。
由貴は酔ってもキレイな所作のままだった。
箸づかいも丁寧で、
さすが大学でミスターなだけある。
「ねえ。葵。聞いてくれる?」
「何」
「キミとの関係を、今夜だけで終わりに
したくない」
最初それを聞いて、意味がわからなかった。
「ん?」
「僕、葵となら付き合えそう」
「はあ?」
「だって葵は、僕のこの境遇を理解してる。
大学の友達には自分の嗜好を言えないもん。
それにさっき、言ってくれたでしょ。
変な虫がついたら大変だから、
下手な奴と付き合って欲しくないって。
僕だって恋愛したいけど、
葵以上の人とアプリではもう出会えないよ。
だから、僕と付き合って」
「そこに、愛がないのに?」
何かのCMみたいだなと思いながら、
ハイボールを飲み干した。
「僕は、もう葵を好きだけど」
「なるほど」
由貴の発言は、
決して頓珍漢なものではなかった。
由貴に情が湧いている今、
変な奴に捕まって傷つかれたくはなかった。
いちばんいいのは、僕と付き合うことだ。
僕以上に由貴の嗜好を知っていて、
由貴の初めてを大切にしたいと思う奴は
いないのだから。
由貴の貞操を守る意味でも、
それがいちばん正しい選択だと思った。
「いいよ。由貴、付き合おう」
「ホント?」
「そのかわり」
「何?」
「一線を越えるのは、まだだよ」
「何で?」
「ちゃんと、愛が育ってから」
今までマッチングアプリの相手と
やりまくっている自分が言うのも何だが、
自分の中で由貴に抱かれたい気持ちが
本当に高まるまではしないと決めた。
これは、今でも驚くべきことだ。
佐橋と付き合うことにした時は、
そんなことを考えもしなかったのだから。
結局僕は、
由貴と鶯谷で2時間ほど飲んだ後、
京浜東北線沿いにある
家族と住む由貴の自宅にお邪魔した。
由貴の部屋は、10畳の洋室。
机と大量の本が並ぶ本棚とベッドだけの
シンプルな部屋だった。
「葵、泊まっていいよ」
駅近くのコンビニで買った缶ビールを開け、
2度目の乾杯をした僕たちは、
そこで子供の頃の話をした。
由貴も僕もある時期を境に、
恋愛対象が異性ではなくなることが共通し、
親身に話を聞き合ってしまった。
由貴のきっかけは、先程少し本人が言った
大量の異性からの告白で、
僕は中学生の異性からの性的いたずら。
「アプリ利用の時に、ついおじさんを
選んじゃう理由ってそこにあるのかな」
「さあ。とりあえず、オンナはダメ」
「なるほどね。ねえ、葵」
「何?」
「さっき一線を越えるのは、まだだって
言ってだけど、それはキスも含まれる?」
「キス?」
「うん」
僕は戸惑った。
アプリで知り合う人とは
本番はしてもキスはしないし、
そもそも付き合った経験がないので、
他人とキスをしたことがなかったのだ。
これはちゃんと言うべきなのか。
黙っている僕を見て、
由貴はどうやら誤解したようだ。
「ごめん。今は完全にプラトニックだね」
「いや。あのさ」
やっぱりちゃんと言おう。
「キス、したことないんだ。僕は」
「えっ」
「由貴とするとしたら、初めてになる」
「じゃあしようよ」
「ええっ」
「そんなに大切なこと、ちゃんと言ってよ」
何故か、由貴に怒られてしまった。
「どうやって」
「とりあえず、目を閉じればいいのでは?」
「ある程度、顔を近づけないとさあ」
「それはもちろん」
「由貴は、経験あるの」
「ある訳ないじゃん」
「だよね」
僕たちの間に沈黙の時間が流れた。
由貴と見つめ合い、
やがてどちらからともなく顔を近づけた。
そしてあと数センチというところで、
お互いの顔が止まった。
「由貴、ホントに初めてが僕で大丈夫?」
「葵こそ、ホントに初めてが僕で大丈夫?」
「僕は、由貴ならいい」
「僕も。葵がいい」
「ん」
ドキドキしながら先に目を閉じたら、
由貴の唇が僕の唇に柔らかく触れた。
あ、キスしちゃったと珍しくときめいた。
それから2ヶ月弱で
由貴と別れることになるまで、
会う度に必ずキスをした。
たぶん相性は良かったんじゃないかと思う。
もうそろそろ、
由貴と別れることになった詳細を話す。
決して、由貴を嫌いになった訳ではない。
それどころか
会う度に気持ちは高まるばかりで、
こんな恋もあるんだと本気で思っていた。
佐橋は、中学時代からの親友。
高校まで一緒で、
由貴以外で僕の嗜好を理解する奴だった。
それまで特定の相手と付き合うことを
避けていた僕が、
由貴と付き合うことになったと
佐橋に伝えたのは、
由貴と初めてキスした出逢いの日から
約1ヶ月後。
夜、佐橋の家で2人きりで飲む予定があり、
そこで話した。
親友だけに話す、とても個人的なこと。
佐橋は何を話しても、
いつも笑って「そうなんだあ」と言う。
だから今回もそうだと思っていた。
伝えた時、瞬時に佐橋の表情が崩れた。
「嘘でしょ」
「嘘なんて言わないよ」
あれおかしいなと思いながら言葉を続けた。
「川瀬由貴っていう、T大のタメだけど」
「だから、嘘っ」
泣き始めている佐橋に、呆然とした。
そして逆上した佐橋に抱きつかれた。
それから‥‥由貴との絆である唇を
奪われるのは何とか回避したが、
カラダを奪われてしまった。
佐橋に抱かれながら、
僕のことを好きだったのかと落ち込んだ。
由貴に合わせる顔がないと思った。
そもそも由貴の貞操を守るために
由貴と付き合うことにしたのに、
僕が貞操を守れなくてどうするんだ。
何と言って謝るべきかと
次に由貴に会う予定の5日後まで悩み抜いた。
会う度に好きになっていく魅力的な由貴を
絶対に手放したくなかった。
しかし僕は正直に話すことを選んだ。
嘘をついても、
嘘を守るために更に嘘をつかなければ
ならなくなったら、もっと由貴を傷つける。
由貴に対する裏切りを黙っていられる程、
僕はしたたかではなかった。
由貴の家で。
親友の佐橋と飲んだ時に佐橋に襲われ、
抱かれてしまったことを話した時の
由貴の表情は今でも忘れることはできない。
「本当に、ごめん」
後から後から涙が溢れて、止まらなかった。
いっそ引っ叩いてくれたらと思ったが、
由貴は最後の言葉を口にするまで
ずっと微笑んでいたのだ。
「そうかあ。葵、大変だったね」
「違うだろ?怒れよ」
「で、佐橋くんはどうするの?」
「あいつとは、縁を切る。忘れる」
「で、僕はどうしたらいいのかな」
「由貴に決めてもらいたい」
こうなってしまったのは、
今までの浅はかな言動が原因だと思った。
佐橋だけが悪いんじゃない。
もっと早く真面目に付き合っていれば、
佐橋が逆上することはなかったかも
知れない。
由貴とは出逢えなかったかも知れないが、
由貴を傷つけることはきっと回避できた。
僕は由貴を愛し始めていた。
たった一言。
別れたくないと言えれば良かった。
由貴は微笑みを絶やさず、僕を見つめた。
「僕の言うこと、聞いてくれる?」
「ああ、何でも聞く。だから、言ってくれ」
僕は必死で由貴に縋りついた。
次の瞬間、
由貴は膝を折っていた僕の前にかがみ込み、
僕を抱きしめて言った。
「佐橋くんと、付き合ってあげて」
川瀬由貴という人に出逢い、僕は変わった。
特定の相手との関係を築くことに
初めて重きを置くようになった。
あの日由貴に言われ、
佐橋と付き合っているこの1年は、
決して平坦なものではなかった。
恋焦がれている由貴ではない相手に
抱かれる日々は本当は辛い。
しかし由貴への罪滅ぼしが済むならと
ひたすら耐えた。
このまま時間が経てば、由貴を忘れ
佐橋を愛せる日が訪れるかも知れないと
さえ思いながら過ごしてきたのだ。
神様の気まぐれで
再び由貴に出逢うことになったのは
知り合いに会うために
久しぶりに京浜東北線に乗った、
10月1日。
世の中的に衣替えの時期だったが
その日は朝から気温が高く、
汗ばむ陽気だった。
「あ、すみません」
車内の暑さで電車に乗り込んだ早々に
薄手のカーディガンを脱いだ僕は、
同じく電車に乗り込んだ人にぶつかり、
頭を下げた。
「葵」
そのハスキーな声に、聞き覚えがあった。
瞬時に視界がぼやける。
顔を上げると、
逢いたくてたまらなかった人がそこにいた。
「由貴」
最後に逢ったあの日から
全く変わらない由貴の微笑みに触れ、
僕は恥も外聞もなく涙を流した。
「やだなあ。こっち来て」
由貴は僕の手を引き、僕を席に座らせると
自分も隣に座った。
そして僕の涙をタオルハンカチで拭き、
「どこまで乗るの」
と言った。
「蕨」
「そうかあ」
「由貴は?」
「浦和。彼氏んちに行くんだ」
由貴が言った彼氏という言葉。
覚悟はしていたが、ショックを受けた。
1年は決して短くない。
僕が佐橋と関係を築いているように、
由貴も新しい人と新しい恋を始めている。
僕は小さく息を吐いた。
「彼氏、できたんだね。おめでとう」
やっとのことでそう言うと、
由貴は満面の笑みを浮かべ、呟いた。
「バーカ」
「えっ?!」
酒を飲んでも箸づかいのキレイだった
上品な由貴に初めて罵られ、言葉を失った。
「彼氏なんて、いねーよ」
「は、はあ」
「とりあえず、降りよっか」
「は、はい」
蕨も浦和もまだだったが、
由貴に言われるまま、降りることにした。
王子駅の幅の狭いホームに降り立ち、
改めて由貴を見つめた。
「幸せそうだね」
そう言って、由貴が微笑んだ。
「幸せ、なのかな」
「佐橋くん、元気?」
「うん」
「まあ、よくLINEが来るけどね」
「はあ?!」
誰からLINEが来るって?
と聞き返そうとし、由貴の言葉が重なった。
「佐橋くんにT大の川瀬由貴と付き合うって
話したことがあるでしょ」
「あ、うん」
「佐橋くんがT大の川瀬由貴を探しに来た」
「えっ、それで」
「とりあえず、葵の近況報告するからって、
佐橋くんからLINE交換をお願いされた」
どんな繋がりだよ‥‥お前らは女子か。
唖然とした僕に、更に由貴が言う。
「だから葵を忘れるどころか、付き合ってる
時よりも葵のことを知ることができました」
「それは、謝った方がいいの‥‥?」
由貴の話の着地点が分からず、問いかけた。
「まさか。いい暇つぶしになったよ」
「あ、そうですか」
「誰とも付き合ってないし、してないし」
「えっ」
「あれから、時間は止まったままだよ。
葵、どうしてくれるの?」
「そう言われましても‥‥」
由貴の問いに対する答えに悩んだ。
率直に言えば、嬉しかった。
由貴が誰とも恋もしていないことに。
しかし、それを言ってもいいのだろうか。
だいたい僕は、
由貴を振って佐橋と付き合っている身だ。
いや、振られたのか?
ちょっと、いやかなりよくわからない。
「今日、久しぶりに逢えたのは偶然だけど、
近々佐橋くんが僕を葵に会わせる計画が
あったんだよね。計画が潰れて残念だなあ」
「あのさ」
「何?」
「由貴は、怒ってないの」
そう。あの日もずっと笑顔で。
今も変わらず、笑顔のままだ。
元カレの裏切りをどう思っているんだろう。
「葵のこと、今でも好きだけど?」
「えっ」
今、全然違う角度の答えが返ってきたぞ。
びっくりしたが、また嬉しくなった。
「由貴、僕だって。ずっと変わらず」
そう言いかけて、佐橋のことを思い出した。
由貴に言ったら、佐橋にバレる?
もはや、どうしていいかわからなくなった。
だから由貴に、
「葵。今度は僕が葵を奪いたいって言ったら
どうする?」
と訊かれて、頭が混乱してしまった。
ここが駅のホームだということも、
知り合いに会うこともどうでも良くなった。
「由貴の言う通り、佐橋と付き合ってる。
それなのに、そんなこと言うのか?」
由貴はそれには答えず、微笑んでいる。
「由貴」
「あ。時間だ。本当に用事あるんだよね」
「由貴っ」
由貴の手首を掴み、僕は言った。
「一生、許してくれないつもりなの!」
僕の叫びに、
ホームにいた何人かが振り向いた。
由貴は動じることなく、
僕に手首を掴まれたままでいる。
「由貴‥‥佐橋に言ってくれて構わない。
それでも、僕は由貴が好きだ」
由貴は相変わらず、微笑んだままだ。
今の由貴への思いを口にしたら、
腹が決まった。
もう一度、由貴を振り向かせる。
その後何とか知り合いに会い、
用事を済ませた僕は、
スマホに届いた佐橋からのLINEを確認して
思わずその場で笑ってしまった。
『電車の中で、川瀬に会ったんだって?』
やっぱり、ここは筒抜けなんだな。
ホント、女子っぽい。
『会ったよ』
そう返信し歩きかけたら再びLINEが届いた。
『好きって、言っちゃったの?』
佐橋は気づいてたんだ、僕の苦しみを。
僕はあの日、由貴に嘘をつきたくなくて、
結局、佐橋を選んだ。
由貴に縋って、嫌だ別れたくないと言えば
状況が変わったのかはわからないが、
今でも佐橋には嘘をつき続けている。
『うん。好きだって言ったよ』
もう限界だ、佐橋への偽善的な態度は。
由貴への罪滅ぼしから始まった関係、
長く続いた方ではないのか。
そして佐橋からの返信は途切れ、
僕は天を見上げた。
これ以上、自分にも嘘をつきたくなかった。
その勢いで、
由貴へのLINEを送ろうと思い立った。
久しぶりの連絡だったし、
ブロックされていたらそれはそれでと
文字を入力した。
『佐橋に、由貴が好きだって話したよ』
スマホを閉じてすぐ、由貴から返信が来た。
『信じられない』
『由貴。ちゃんと話そうよ』
『今は無理』
『いつなら大丈夫?』
『考えさせて』
由貴も混乱しているのだと思った。
僕たちはこれからどこへ向かうのだろうか。
それでも僕は、もう嘘をつかない。
川瀬由貴だけを、愛している。
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