狂言

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 ホームルームの時間は、総じて退屈だ。提出物をいつまでに出せ、どこそこのあたりで「おまえの学校の生徒が煙草を吸ってる」とタレコミがあった……など。こんなクソ忙しい時期は一分一秒すら惜しいというのに、だらだらと。だいたいそれ、うちと制服が似てる近所の工業高校の生徒だと思うぞ。  脳内でツッコミを入れつつ、窓の外を見る。よく晴れた秋の空。焦燥感に駆られっぱなしのわれわれ高校三年生とは対照的に、雲のやつらめ、のんびりと泳ぎやがって。いまだ僕の模試の結果にはその雲と同じようなかたちの、Cの文字ばかりが泳いでいるんだぞ。なんの当てつけのつもりだ?  いついかなる時も五分五分。どっちになるかがいつまでも確証がもてない人生。特に爪痕どころか指紋ひとつ残せない人生。せめて進学先くらいかっちり決めてやりたいと思っているのに、いくらもがいても指先が触れることすらないまま今に至っている。輝かしい結果、というものに触れたときの感覚はどんなものなんだろうか。そう考えつつ、僕はかさついた右手の人差し指の腹を眺めていた。 「まあ、先生の口からは言いにくいものが盗まれました」  聞き流していた担任の言葉が、釣り針のように引っかかる。確か、直前までは「矢倉(やぐら)さんの私物が盗まれました」とか言っていた気がした。むろん、僕が盗んだわけではないので(そいつは大変だね)程度の認識しかない。ただ、盗まれたものについて担任が言葉を濁したのが気になった。探し物は見つけにくい物なうえに言いにくい物でもあるらしい。いくらあんたの口から言いにくかろうが、それを見つけるためにはこのままじゃ情報が少なすぎるだろうに。 「だーら、先生、下着だって。下着」  刹那、盗まれた被害者たる矢倉美久(みく)は、笑いながら大声で補足した。せっかく対象物をボカしてやった担任の配慮を丸めて教室の端っこのゴミ箱へポイ。いろんな意味での被害者がひとり増えたような気もする。  矢倉は明け透けであっさりした性格の女子で、男女分け隔てなく知り合いが多かった。学校のだいたいの人物は友達みたいなやつだ。まあ僕のような日陰者は除く。もっとも、友達のように親密ではないというだけであって、虐げられたりすることはないのだけど。  近くの女子が「美久、それマジで言ってんの」と驚きの声を上げる。それでも矢倉の調子が崩れることはなかった。ショートカットの髪先が、ケラケラ笑うたびに震えていた。 「マジなのさー。まあ別にくそダサい安いやつだから、いいんだけど」 「おい矢倉、せっかくボカしてやったのに、先生の気遣いを無下にするな」 「いいじゃん。そうじゃなきゃみんな探しようがなくない? そんなわけで、みんな美久の下着見つけてね」 「おまえさあ……」  担任はわざとらしく膝を折るだけだった。まあそれしかできることはあるまい。担任だって、自分から「あいつの下着が盗まれました」なんて言えなかっただろう。このご時世、なにが火種になって自分の身体を燃え上がらせるかわからないのだから。  どのみち僕には関係のない話だ。そういえば今日の最初の時間は倫理だったっけ。朝講習の途中に腹が痛くなって、準備するのを忘れていたな。矢倉の一言のせいで未だガヤガヤとしている教室の片隅で、僕はそっと鞄の中に手を突っ込んだ。  予定通りいけば、ざらざらする教科書の表紙か、あるいは捲りすぎてふやけ気味になったページの端の感触が指先に伝わるはずだった。しかしながら、今はなんらかの布の感触。あれかな、母親が作ってくれた弁当の包みかな。  いや、待て。いつもならそうだけど、今日は「お母さん早出だから、これで登校中になにか買いなさい」って小遣いをもらったんだ。そして買ったよ。コンビニで、幕の内弁当みたいな当たり障りないメニューの弁当を。これと言って特徴はないけど、マズくもない。自分みたいだよな、とか思いながら。  だったら、指先に伝わるこれは何だ。静かに鞄の口をさらに開いてみる。真上からさりげなく覗き込んだ。  水色の布。もとい、これは明らかにただの布ではない。少しすべすべしているし。っていうか、これ。  女の下着じゃねえか。 「水色だから。きゃははは」  そんな矢倉の補足が僕の右耳に突き刺さり、左耳から矢じりだけを出して止まった。
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