狂言

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 出動ベルが鳴った瞬間の消防士の如く、高速で頭を回転させた。待て待て。そもそもなぜ僕の鞄にこんなものが入っている。それも特徴が矢倉の言っていたものに酷似している……というかおそらくそのものが、なぜここに。  あらゆる可能性を考えても、即座にすべて否定される。最後に残った結論としては「何者かが僕のいない隙に、鞄の中に矢倉の下着を入れた」ということだけ。犯行時間は今日の朝、腹痛でトイレに行っている間だろう。結局ホームルーム開始のギリギリまでトイレにいたから、チャンスはいくらでもあったはずだ。  問題は、なぜそのターゲットが僕になったのか……ということに尽きる。極端に嫌われてはおらず、かと言って好かれてもいない人間というのは、いじめのターゲットにすらされないというのが僕の持論であるし、実際これまでそのとおりだったと思う。大人数で騒ぎたくはないが、完全なる孤立も望まなかったからこそ、丁度いい塩梅のこの位置を守り続けてきたのだ。  にもかかわらず、この教室の中にいる誰かの悪意によって、僕はいま静かに、そして確実に窮地に立たされている。他人の物を盗むのは泥棒だが、盗んだものが悪すぎる。女子生徒の下着だなんて。いやちょっと待ってくれ、だから僕は盗んでないんだってば。他の誰かが盗んだんだ。  しかし、この鞄の中身が衆目に晒された瞬間、そんな言い訳の説得力は内閣支持率よりも簡単にゼロになるだろう。いつまでも机に手を突っ込んでいるほうが怪しまれると思い、水色の下着をファスナーのあるポケットに突っ込んでから、手を引き抜いた。ファスナーは普段よりも力強く、しっかりと閉めた。魔物を封印する勇者の如く。トイレから戻ってきたら勇者になっていた件。いいね。僕がライトノベル作家になったなら、そんな題名で書いてみてもいい。だからこの状況を誰かどうにかしてほしい。このままでは、うかつに席を離れられない。  でもまだ一番うしろの席でよかった……と思いながら、なにげなく少し離れた矢倉の席のほうへ目をやった。  視線がぶつかった。この瞬間、矢倉美久は間違いなく、僕のことを見つめていた。偶然ちらりと見回したときにぶつかる視線とは違う。三十人くらいがひしめき合うこの教室の中で、僕の姿にだけピントを合わせていた。これは自惚れや勘違いなどではなく、紛れもない事実である。  その瞬間、矢倉は僕に向かって、はっきりと笑いかけてきたのだ。
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