『逃亡』

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『逃亡』

『何それ? どこらへんにある国?』 俺の質問を聞いて、女はまたふり返って何事か会話を始める。さっきとは少し違い、何か興奮している。心無しか連中は喜んでいるように見えた。 『どこら辺って、四ヵ国の真ん中だけど……。あなたはどこの人なの?』 『どこって、日本だけど。ここ日本だろ?』 『あなたの言っているのがどこのことか、ちょっとわからないわ』  女は微笑みながら語りかけてくる。 『ねえ、私達で話し合った結果、あなた、古代人じゃないか? ってことになったんだけど……。遺跡に埋まってたし』 『古代人?』 『いや、ええと……今よりだいぶ昔の時代の人じゃないかと思うんだけど……。言葉も通じないし。ほら、服とかも雰囲気違うじゃない?』 俺は女の背後の奴らの顔も見てみた。途端にニコニコしてこっちに手を振ってくる。女がやたら愛想よくしているのは、俺を怖がらせないように気遣っているのだ、とハタと気付いた。もしくは興奮させないようにしているのか。 女は俺のことを昔の人間だと言っている……。向こうの頭がおかしいのか俺の頭がおかしいのか。少なくとも言葉が通じないのは、その通りだし、周囲も昨日までいたところと全然違う。 なんかのはずみで俺だけどっかの外国に飛ばされたのか……? 寝てる間に誘拐されたとか? そんなこと有り得るのか? それにしても『日本』を知らないってのは……。 いや。俺は思い直した。考えてみたら俺だって、外国の知識なんかそんなに無い。 世界地図を見せられてもはっきりわかる国は、日本、アメリカ、ロシア、中国ぐらいのものだ。あとカナダもわかるか。 『ここ、なんて国だっけ?』 『アーヘン』 『周りにはどんな国があるの?』 『リマ、メイクト、ドゥシャンペ、ダクシナパイハ』 参った。全然わからん。 『イギリスとか知らない? フランスとかドイツとか』 『聞いたことない』 何となく雰囲気からしてヨーロッパのほうかと思ったが違うらしい。  『あの、さっきの話なんだけど、あなたは地下の古代遺跡に埋まってたのね。だから古代人じゃないか? って思うんだけど……私達は発掘調査してるの』 俺は促されるまま、さっきまで自分が居た穴の中を見てみた。確かに石作りの、遺跡っぽい場所だ。 『俺があんたの言うように古代人っていうか、大昔の人間だったとして、何で生きてんの? 干からびてミイラかなんかになってるんじゃないのか?』 『それは……私達もよくわからないわ。古代人のことはまだまだわからないことだらけなの。だから調べてるんだけど』 何か変な理屈だ。常識で考えれば生きているわけがないと思うのだが。 『ねえ、あなたさえ良ければ、私達と一緒に、その……研究室まで来てくれない? あなただって急にこんなことになって大変でしょう? 色々話も聞きたいし。あなたのこれからのお手伝いも出来るかも……』 俺は再び、女と、その後ろにいる奴らの顔をちらっと見た。みんなニコニコしている。愛想はいいが、何か狂気じみたものも感じる笑顔に思えた。 色んな情報が短い期間にいっぺんに入ってきて頭がパニックになりそうだ。いきなりこんなところに放り出されても困るし、ついて行ってもいいのだが……。 どうしても、あの笑いの裏にあるのは何か、気になってしまう。 俺は、結局ついて行かないことにした。 あいつの言っていることが全て本当だったとしても、ノコノコついて行ったら研究材料か何かにされるかもしれない。それに、他の人間に会って意思疎通出来ればここがどこでどうすれば元の場所に戻れるのが、すんなりわかってしまう可能性だってある。あの女が嘘をついているかもしれないのだ。 『あの、怪しいと思うかもしれないけど……』 女は一生懸命たどたどしく俺の頭の中に伝えてくる。こいつは、前髪が長く目が隠れているので他の奴より表情が読みにくいが、何か人を安心させるようななごやかな雰囲気を持っていた。 『あ、いや。わかった。ついていくよ』 俺が答えると、女はふり返って仲間に何事か伝えた。わっと歓声が上がる。 『じゃ、行きましょうか。大丈夫? すぐ歩ける? なんなら少し休んでからでも……』 俺は反転して一目散に後ろに向かって走り始めた。肩越しにふり返って、一瞬確認すると、連中はみんな呆気に取られている。まだ俺が何をしているのか理解出来てない。 よし、これで少し時間は稼げた。 俺は気を緩めずに更に速度を上げる。ちょっと進んで、木々の中に飛び込んだ。危険かもしれないが、下草も生えてないしあまり鬱蒼としていない。大丈夫だろうと判断したのだ。 『待って! 手荒なことはしたくないの!』 女の声が頭の中に響く。どうやら追いかけて来ているらしい。 冗談じゃない。手荒なことなんかされてたまるか。そんなことを言われて止まる奴はいない。俺は振り返らず更にスピードを上げた。 『……しょうがないか』  暗い、呟くような声が伝わってきた後、重く、黒い何かが頭の中に侵入してきた。 急激に思考力を奪われ、目の前が暗くなってくる。意味がわからない現象に混乱しながらも俺は懸命にもがくように手足を動かし続けたが、やがて何も認識出来なくなり、ぷっつり意識が途切れた。
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