『馴染みの稼業』

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『馴染みの稼業』

ひと気の無いバス停に、爺さんが一人座っている。俺は立ち止まらず、少しスピードを緩めて爺さんの様子を窺う。別に爺さんに興味があるわけではなく、その手に大事そうに持っている物が俺の注意を引いたのだ。 何やら小さな風呂敷包みを大事そうに膝に抱えている。 現金……ということはないだろう。今時あんな持ち運びの仕方はするまい。 貴金属……? うん、『箱』だ。中身が何かはわからないが、小さな箱を風呂敷で包んで、この爺さんはどこかに運んでいる。茶道具とかそういう類のものか? あんなに大切そうに持っているのだ。値打ち物かもしれない。 俺は、もう覚悟を決めた。こういうのは即断即決だ。まごまごしているほうが怪しまれる。 バス停はベンチはあるが、屋根や覆いのないタイプのものだった。俺は辺りを見回し最後の確認をして、爺さんの背中から手を伸ばした。後ろから近づいたのは顔を覚えられたくない、というコソ泥の本能のようなものである。 ひょいっ、と風呂敷をつまんで取り上げ、俺は走り始めた。 ちらっとふり返って爺さんの様子を伺ったら、呆気に取られているようだった。何が起こったのか、まだわかっていないようだ。俺は自分の腕は落ちていないな、と思い密かに少し誇らしかった。 「待て! 待て、待つんだ! それは持っていっちゃいかん! ダメだ……」 爺さんはようやく状況に気付いたらしく、俺を追いかけながら何やら呼びかけてくる。声の調子からして、結構必死で追いかけてきているようだ。これは中身にも期待出来る。 爺さんの追いかけてくる速さはお話にならないが、声につられて人が集まってきそうな気配がある。 急いで姿をくらませなければならない。と思っていると、 「引ったくりか?」 「警察呼べ!」 等の声も聞こえてきた。 警察はマズいな。俺は舌打ちした。 聞こえてくる声は、少なくとも二人以上はいる。俺が追いつかれることはまずないだろうが、携帯電話くらい持っているだろうし、遅かれ早かれ呼ばれるだろう。近くに交番はなかったはず……だが。 俺は角を曲がり、周囲を確認する。都合良く隠れることが出来るような場所はない。 が、少し進んだ場所に、古い和風の壁があるのが見えた。金持ちそうなデカい家だが、監視カメラがついている様子はない。俺は塀の上に飛び乗った。 庭に人はいない。屋内には……人の気配は感じなかったが、正直在宅かどうかはわからなかった。 いちかばちかだが、俺は素早く決断し、庭に降りる。身を低くし、素早く床下に潜り込んだ。この辺の古い家は縁の下が大きく取ってあり、潜り込みやすい。 床下に入ってからは慎重に、なるべく音を出さないように進み、やがて大きな柱の陰に隠れた。 柱にもたれ、俺は一息つく。油断は出来ないが、おそらく大丈夫だろう。 ……しばらく耳をすませ周囲の様子を窺ったのち、俺は風呂敷包みを開けてみることにした。そろそろ夕暮れも近く、床下だと光も届きにくい。今の内に中身を確認しておかないと、明日の朝まで中身を拝めないのだ。 「なんだこれ?」 風呂敷包みの中には、きれいな丸い玉が入っていた。硬い。表面はツルツルしているが、材質は石のように思える。色は……なんというか、油の表面みたいに光を反射して虹色にグニャグニャ変化していた。似たものを見たことがないので、これがなんなのか、何に使うのか全くピンとこない。 どっちみち金に代えようと思ったら故買屋に持って行くしかないのだが、どう説明すればいいのか……。向こうが知っていればいいのだが、買い叩かれるのも癪だ。 「そういやあのオッサン、まだ故買やってんのかな」 馴染みの故買屋はまだ営業できているだろうか。ヘタなまねをして捕まってないだろうか? 俺はそんなことを考えている内に自分の瞼が重くなってくるのを感じていた。 なんだかこの石だか宝石だかを抱いていると、妙な気分になってくる。何か心からの安らぎ、というか母親の胎内にいる赤ちゃんのような感じがする。ちょっと気持ち悪い言い方だが。 それに今の俺の姿勢……石を抱いてうずくまっている、この格好から考えたら、どちらかというと俺が母親役だろう。俺が母で、石が子供。 やめよう。自分で言っておいてなんだが、本当に気持ち悪い。 俺は眠気に身体をまかせ、座ったまま寝ることにした。どっちみち今はここを動けないし、見つかったらそれまでのことだ。 ……しかし、出てすぐいきなりまた塀の中はちょっとキツいな。 まあいいか、どうせ行くところがあるわけでもなく、最低衣食住はあるのだ。今度行くとしたら、年少じゃなくて本格的なムショだな……。 俺は、不安と安堵が混ざり、何かグネグネする胸の中を意識しながら眠りについた。その感覚は、今まで感じたことない妙なもので、ふとすると何かに対する期待と間違ってしまうようなものだった。
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