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「なに、してんの」
ドアを開けた先に千花は笑顔で立っている。
「どっか行こ、どっか」
屈託のない笑顔を見て私は泣きそうになってしまった。けど、それを隠して言う言葉。
「馬鹿じゃないの」
それだけでイエスの代わりには充分だった。千花に手を引かれぐんぐん歩く深夜の住宅街。まだところどころの電気が付いていて、人が今日も生活をしているんだなって思えたりする。そんな些細なことが今は全身に刺さって痛いくらいだった。
「どこ行くの」
「どっかだよ、どっか。どこでもいーの」
強く握られた手は、千花もどこか不安げな様子を表しているようで何故か安心した。私だけじゃない、きっと千花も漠然とした不安に包まれてしまっているのかもしれない、そんなふうに思えた。
少し歩いた先にあったのは、普段ならなんてことの無いちょっとした高台。街が見下ろせて、千花の通う学校や私たちの母校の小学校だって見える。この時間はいつも配信をしてるから知らなかった。街がこんなにも綺麗だってこと、キラキラしていて眩しいってこと、だから。
「世界が落ちて来たみたい」
そんな事をつい口走ってしまったんだ。
「いいね、それ」
「うん」
ただの肯定じゃなかった。震える手のあたたかさが伝わる、やさしい肯定だった。
「ウチさ、今のグループで浮いててさ」
前を向いたまま、街を見下ろしたまま話し出した千花の横顔は夜のいろんな灯りに照らされてひどく綺麗だった。
「うん」
「なんかそういう時って七湖のこと思い出してさ、ウチには七湖がいるし〜って強がるんだけどね」
静かに、句読点の代わりに風が吹く。
「うん」
「今日の朝は、そんな七湖と喧嘩みたいになっちゃって八つ当たりしちゃった。ごめん」
前を向いたまま謝る千花の目には大粒の涙が浮かんでいて、咄嗟に近寄ってしまった。近寄ったところで私に何が出来るというのか、分からないのに。
「私ね、こんな生活続けてちゃダメだって分かってるの。千花にも頼りっぱなしだし。千花には千花の生活があるのに、それを抑制してないかって考えてて、最近ずっと」
今まで見下ろしていた街に背を向け、ガードレールに背をつけながらしゃがみ込んだ。ひんやりと背中を冷やすガードレールが、今の時間を教えてくれる。
「馬鹿。なんで相談してくれないのさ」
「ごめん」
「馬鹿」
立ったままだった千花も私と同じ体制になり、そして泣いた。当たり前に、つられて私も泣いてしまって。さっき落ちて来たばかりの世界が今度は水でぼやけて滲んでいく。今この時だけはあの嫌な浮遊感もなく、しっかりと地に足が着いたままだった。
「私ね、何かに取り残されてるってずっとおもってた。何かに、誰かに。けど違ったんだね。千花はこうやって連れ出してくれた」
「うん。置いていかないよ。意地でも置いていかない。嫌だって言われても引きずってでも連れてく」
「はは、それは強引だなぁ」
ところどころに鼻声が混ざる千花の声が余計に私にまで涙を連れてくる。
「行こ、もっともっと、どっかに」
「うん」
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