恋しぐれ

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   ――恋なんて、愚か者のすることだ。 「そんなことを言わないの。恋はね、自分の意志でするものではないの。ある日突然、落ちてしまうものなのよ。お前にだっていつかきっと、この母の言うことがわかる日がやって来るわ」  まだ十歳前――女子の成人の義である裳着もまだならば、月のものだってまだ来ていない――綾音が口に出してそう言うたびに、母は白くたおやかや指で娘の髪を梳いて、艶やかに笑って見せたものだった。  京中で噂になるほどの恋多き女人だった。  血を分けた兄弟の親王様、兄と弟の二人に愛されただの。恐れ多くもその父親である帝の寵愛を受け、皇子をお産み申し上げただのと。物心つく以前から、綾音は乳母や周りの人達から、母の華麗な恋愛遍歴を子守歌代わりに聞いて育った。本人も自らの恋物語を世間に隠す気はなかったらしく、情熱的な恋歌を何首も読んで、歌詠みとして名の知られた彼女ことを、人は和泉式部と呼ぶ。  一体、何かどうしてどういうわけでこの恋多き女性が、自分の父のような堅実で真面目な受領の男と結婚などしてしまったのだろうか。  恋多き女・和泉式部の夫となった綾音の父は、親王様でも帝でもなく、和泉の守・橘道貞である。聞くところによると祖父が決めた婚姻であったそうだが、最終的にその結婚を受け入れて子供を儲けたのは母と父の双方だ。まさに水と油、月とすっぽん――二人の娘である綾音は、裳着を終え、月のものが来て、一人前の女として中宮様にお仕えするようになった今でも、何故自分がこの世に生を受けたのか、ずっと疑問に思い続けている。
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