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リリーが亡くなって三日目。
リリーとの思い出の詰まった部屋からラズは引きずりだされた。
ラズを迎えに来たのは神殿の使いの白衣の神官と、黒い甲冑に身をつつんだ若い兵士。
頭も眉もそり上げ柔面を不気味にはりつけた神官と、心情そのままに口を引き結び仏頂面の兵士は対照的だった。
「ラズや。悪く思わないでくれ。リリーと、お前には絶対に客を取らせないと約束したんだ。死んだ者の約束は守らないと呪われちまう。客も取らない男の子は娼館では不要なんだ。一人前に働くにもまだ早すぎる。だから、恨まないでおくれよ」
夜に真っ白に塗られた女将の肌は、太陽の元では皺とシミでいっぱいだった。
母を失い、自分で食い扶持を稼げないラズは、手広く子供を求めていた神殿に売り渡されたのだった。
連れていかれた先は王城の奥にある豪奢な神殿。
そこには異様に目を光らせた20人ほどの子供たちがいる。
ラズが新入りだと知り、安堵の色が見える。
その理由はわからなかった。
仏頂面の兵士は別れ際にラズの手に何かを握らせた。
「これがお前を助けてくれるはず。肌身離さず身につけろ。魔力があると見なされれば、早々に生贄にされることはないだろうから。娼館で男娼として生きるのも、ここで生きるのも、辛いという点ではどちらも同じ。何も代わりはあるまい。だから、まずは生き残ることだけに集中しろ」
男が顔を寄せラズにささやいた。
おまえと俺との秘密だと言わんばかりに。
朔月のころの夜空のような、漆黒の目だった。
だが、兵士の興味はラズからすぐに離れる。
その顔は王の居城にむけられた。
怜悧な目は冷たい焔に燃えていた。
男の声には魔力が帯びていたのかもしれない。
わけがわからないままに、ラズは夜まで握りこんだ手を開けられなかった。
持っていることを誰にも知られてはならないと思った。
神殿に仕える女たちに、ラズは着ているものをはがされて体を清められた。
与えられた服は誰かが着古した服だった。
母のおさがりを縫い直したものよりも、触れた肌がざらつき、嫌なにおいがした。
「まあ、この子、ずっと手を握っているわ。もしかして手が開かないのかしら?」
女はラズの指を開けようとしてあきらめた。
その夜、窓のない部屋に並べられた固いベッドでラズは横になる。
薄いシーツをかぶって逆の手を添えて固まった指を開く。
黒い兵士が握らせたのは、指の関節ほどのちいさな石ころだった。
とがった角がにぎりしめた掌に幾筋も傷つけていた。
割った瑠璃のような、黒曜石のかけらだった。
この石を握らせてくれた男もこんな目をしていたと思う。
子供たちが自分を見て安堵したわけがほどなくわかる。
子供たちはことあるごとに一人選ばれた。
選ばれた子供は清められ、着飾られ、神官と共に神殿を出る。
戻ってくるものもいれば、戻らないものもいる。
戻ってきたものは多くは語らない。
生きて戻ってこれるだけましだという。
戻らないものは、精霊に捧げられたのだという。
ラズを見て子供たちが安堵したのは、選ばれる順番が一回分後ろにずれたから。
その分だけ、長く生きられるのだ。
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