怪盗は月明かりに輝く

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 月明かりを背に、その男は音もなく突然現れた。 「おや、泣いているのですか?」  声をかけられた女性は涙でぐしゃぐしゃになった顔をパッと上げる。 「……だ、だれ?」  目の前には黒い燕尾服にシルクハット。目元を仮面のようなもので覆い、長いマントをヒラヒラと靡かせる不審な男が立っていた。年齢は二十代半ばといったところだろうか。月の光にキラキラと輝く銀色の髪が美しい。男は女性に向かって軽く一礼をすると、薄い唇をニヤリと釣り上げた。 「私は怪盗ハーツ。今宵、貴方のを頂きに参りました」 〝怪盗ハーツ〟  その名前には聞き覚えがある。  満月の夜に現れる、アルセーヌ・ルパンを彷彿させる紳士的な振る舞いと格好をした、今時珍しい〝怪盗〟と呼ばれるタイプの泥棒。ただし、盗むものは現金でも宝飾品でも絵画でもない。  ある時は笑顔いっぱいの花嫁の幸せを、ある時は母を亡くした家族の悲しみを、ある時は大切に育てていた花が咲いた主人の喜びを、ある時は試合に負けた青年の悔しさを。  つまり人々のを盗んでいくという少し、いや、かなり変わった怪盗だ。別名〝(こころ)泥棒〟。理由も目的も謎に包まれた、最近世間を騒がせている大注目の男である。しかも、盗まれるものが〝感情〟という実に曖昧なものなので被害届けもなく、警察も困惑しているともっぱらの噂だ。 「こ、心泥棒……?」  ぽつりと溢れた言葉に、怪盗はぐっと眉をひそめた。 「個人的にその呼び方はあまり好きではないのですが……まぁいいでしょう」  怪盗は再び笑みを浮かべる。 「さてお嬢さん。貴方の心にあるその感情、私が盗んでもよろしいでしょうか?」  その言葉に、彼女はあの噂は本当だったのかと驚いた。が、すぐに自嘲的な返事をする。 「……こんなもの盗んだってしょうがないわ。わたしの感情なんてなんの価値もないもの」 「価値がないですって!?」  すると突然、怪盗はこちらがびっくりするほどの大声を出し、鬼気迫る顔でグイグイ彼女に詰め寄った。 「価値がないなんてとんでもない!! 貴方は自分が感じているがどれだけ素晴らしいモノなのかわかっていないのです!! いいですか? 感情は心! 心は命! すなわち人間のすべてであり原点なのです!! その感じ方は十人十色! 一つとして同じはない!! ああ、感情とはなんて奥が深いのでしょう!!」  いくら周りに誰もいないからって、世間を騒がせている人間がこんな大声を出して大丈夫なのかしら。ていうかこの人、熱く語りすぎてなんだか怖い。  自分の力説にドン引きしている彼女に気付いたのか、怪盗はコホンとひとつ咳払いをし「……失敬」元の口調に戻ってさらりと話題を切り替えた。 「盗む前に一つお聞きします。貴方はどうして泣いていたのでしょうか?」 「……え?」 「不躾な質問で大変申し訳ないのですが……盗む前にどうしてその感情を抱いたのか理由を聞く、というのが私のポリシーでして」  彼女は少し戸惑った様子だったが、小さく溜息をついて話し出す。
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