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なるべく目立たないように、そしてその人の視界に入らないように。
僕のことを彼にどんな風に話しているのか分からないけど、僕の存在は姉にとってあまり歓迎できるものではないだろう。だから僕は親族の席ではなく、新婦側の一番後ろの席の端に座った。
席についてどれくらい経っただろう。
目立たないようにひっそりと座っていたすぐ横のドアが開く。
新郎の入場。
あとから父親と共に入ってくる姉に先がけて、新郎の彼が入場してくる。そのために開かれたドア。そしてそこから漂ってくる香りに、僕の心臓はどくんと大きく脈打った。
まるで早鐘を打ったように早くなる鼓動。そして高まる体温に上手く息ができない。
何が起こったのか分からなかった。
オメガと診断されて三年。
けれど僕は未だに発情期を迎えていなかった。そしてオメガとしての性にも目覚めてはいない。
誰かのフェロモンを感じることはなく、両親や姉の香り、既に性に目覚めた友人たちからも何も感じることはなかった。そして自分からも、全くフェロモンは出ていなかったはずだ。なのにその瞬間僕は、新郎の香りを嗅ぎ、フェロモンを感じた。
それは発情ではない。
まだ未体験であったけれど、それが発情したのでは無いことは分かった。だけど僕は確実に、新郎の香りで欲情したのだ。
性に目覚めていなかった僕はそれまで欲情などしたことはなく、下肢が熱くなることもなかった。それがいま、身体は熱くなり、その熱が下肢に集まっていく。
どきどきとした鼓動は大きく、他の人に聞こえてしまいそうだ。それに身体が震えて顔が熱い。
そんな自分の変化が信じられず、けれどドアから目が離せなかった僕の視界に飛び込んできたのは、驚いたような顔をした新郎だった。
信じられないような顔をして僕の方を見つめ、一瞬目が合う。けれど次の瞬間付き添いの人に何かを耳打ちされ、視線を正面に戻し、何事も無かったような顔をした。
僕はそれでも彼から目が離せなかった。
横を通る彼を見つめ、神父の前に行くのを目で追った。
そんな僕の頭の中で警鐘が鳴り響く。
だめだ。
これ以上彼を見てはいけない。
僕は新郎から視線を引き剥がし、そっとその場を離れた。
幸いまだ新婦の入場では無い。
ドアの前に姉はまだ来ていなかった。
こんな姿を見せるわけにはいかない。
僕はそこから、逃げるように控え室へと走っていった。
姉は正しかった。
僕は彼と会ってはいけない。
どきどきと未だ高鳴る鼓動に、頭がパニックを起こす。
彼も僕に気づいていた。
入ってきた瞬間に向けられた彼の視線。
彼も僕に気づいたのだろう。
僕が彼の香りを感じたように、恐らく彼は僕の香りを嗅ぎとった。
彼は何を思っただろうか。
それでも係の人に促され、何事も無かったように歩き始めた彼。
彼はきっと、僕のことなど見なかったことにするだろう。
そして予定通り式を挙げ、姉と結婚してアメリカに行くんだ。
心臓が痛い。
きりきりと痛む胸を抑え、それでも僕は立ち上がった。
このままここにいてはいけない。
僕は具合が悪くなったので帰る旨を式場の人に伝え、教会を後にした。
本当はこの後披露宴もあったが、もうあの人と同じ空間にいることは出来なかった。
それから僕は、彼に会うことは無かった。
式にも出ずに帰った僕に、両親も姉も何かを感じ取ったのだろう。そのことには一切触れず、また新しく家族になった彼と会う場も設けず、姉夫婦はそのまま新婚旅行に行き、そしてアメリカへと旅立った。
あの日彼に会ってオメガの性に目覚めた僕からはフェロモンが出るようになり、アルファのフェロモンも感じ取れるようになった。けれどどんなアルファに会いそのフェロモンを感じても、あの時ほどの高揚感は起きなかった。
彼を見たあの瞬間、僕の脳裏にはあの人の姿と香りが焼き付き、そして心はあの人に染まってしまったのだ。
あの人の顔が頭から離れず、心臓がどきどきする。
今まで誰かを好きになったことなどなかった。
恋がどういうものかも分からなかった。
なのに僕は初めての恋を、決して叶わない人にしてしまった。
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