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ファーガスという男(1)
森の坂道を上り、川を越え、それで今度は下り坂。どれだけ歩いたか最早分かりませんが、それでも目標の場所は見えませんでした。
「リードさ、ん」
「どうした。へばったか?」
「あと、どれだけ、歩くんですかぁ!!」
少し遠出するぞ。そう彼に言われて来てみた結果が、これです。私達はかれこれ、お屋敷から工房までの距離以上に歩いていたのでした。
工房が森の奥とするならば、どうやら今日行く場所は、森の奥の奥のようでした。
しかし、新しく作ってもらった靴のお陰で、足が痛くなることはありませんでした。それについては、彼に感謝しなければなりません。
頭から足の先まで汗でベタベタになった頃、リードさんが遠くを指さしました。
「ほら、見えたぞ」
「へ、ぁ、」
見えたのは、大木の下の窪みにすっぽりはまるように作られた、大きな扉。
その横には手入れされた畑があり、野菜類が植わっていました。また大木を囲むようにして、色とりどりの花が咲き誇っていました。
絵本に出てくるような可愛らしい家。まさにそれでした。どうやら、今回の依頼者の家のようです。
「今日のお客さんも、妖精さんとかですか?」
思い浮かんだのは、ドモヴさんの姿。一見恐ろしい見た目であっても、心優しい彼のような存在ならば、こんな家に住んでいてもおかしくはありません。
「……会えば分かるさ」
けれどもリードさんは、それだけしか言ってくれませんでした。
「おや、思ったよりも早かったじゃないか」
「!?」
後ろ、というよりも、上から声が降ってきました。振り向くと、思わず私は息を飲みました。
そこに立っていたのは、顔や身体に包帯を巻いた大男でした。服で肌のほとんどは隠されていますが、そこから包帯を巻いた手指や足首がのぞいているのです。
リードさんよりも頭二つ分以上に背が高く、彼は私達を見下ろしていました。
頭から肩にかけて大きな布が頭巾のように巻かれているため、顔は全く見えません。そのため、声で男性であることが分かるだけでした。
「久しぶりだな」
「ああ、一年ぶり位じゃないか?」
臆することなく、リードさんは彼と話し始めました。どうやら、この姿には見慣れているようでした。
「ところで。そちらのお嬢さんは、新顔かな?」
「はじめまして。ミアと申します」
「私はファーガスだ。こんな山奥までよく来てくれたね」
どうやら彼もまた、悪い存在ではないようでした。内心ホッとしていると、大きな手が大木の下の扉を指差しました。
「さ、立ち話もなんだ。家の中でゆっくり話そう」
こうして私達は、ファーガスさんの家に招き入れられたのでした。
+
「ようこそ我が家へ」
家の中は一つの大きな部屋になっており、巨木をくり抜いて作られたようでした。そして、部屋の壁には農具が何種類も置かれていたのでした。
「自給自足ともなれば、やはり物が多くなってしまってね。いやはや、お恥ずかしい」
物珍しそうに室内を見回す私に、ファーガスさんは笑って言いました。
ふと、彼はどうやってリードさんと連絡をとったのかという疑問が思い浮かびました。山奥と山奥の奥となれば、郵便屋さんも来れないでしょう。
しかし、その疑問もすぐに解消されました。部屋の隅っこから、見覚えのある白い鳩が飛んできたのです。
それは、この前工房に手紙を届けに来ていた伝書鳩でした。
「ファーガスさんが飼ってらしたんですね」
「ああ。この子には世話になってるよ」
見上げると彼は、肩に止まった鳩の首元を優しく撫でていました。どうやら、鳩は彼によく懐いているようでした。
「それで、今日はどうした?」
「以前作ってもらった靴の修理をお願いしたくてね」
ファーガスさんは、棚から一足の靴を持って来ました。
「ああ、靴底の取り替えか。持ち帰り修理になるが良いか?」
「勿論。今回もよろしく頼むよ」
そう言って差し出されたのは、金貨ではなく大きな麻袋でした。
どうやら、お代は麻袋に入っているようでした。しかし袋はやけに軽そうで、私は中身が気になって仕方ありませんでした。
「袋の中身が気になるかい?ならば一杯ご馳走しよう。長い道のりで疲れただろうし、ゆっくりしていくと良い」
私の視線に気付いたようで、ファーガスさんはそんな提案をしてくれました。
一杯ということは、どうやら野菜ではないみたいです。
「良いのか?」
「ああ。久しぶりの客人で私も嬉しいからね。もてなさせてくれ」
折角なので、私達はお言葉に甘えることにしました。
座って待っててくれと言って、ファーガスさんはキッチンに立ちました。しばらくすると、何だか良い匂いが部屋に広がり始めました。
「お待たせ」
彼がトレイに乗せて持ってきたのは、ティーセットでした。
見ると透明なティーポットの中で、乾燥させたハーブや花がゆらゆらと踊っていました。
「もしかして、工房にあるお茶って」
「ああ、ファーガスが作ったハーブティーだ」
ティーカップにお茶が注がれると、香りは部屋全体に一層広がりました。
「さ、召し上がれ。前渡した茶葉とはブレンドを変えてみたのだが……どうだろう」
幾重にも折り重なるような繊細な味。香り含めて、それは極上のものでした。
「美味しいです」
「相変わらず、本当に美味いな」
「そうか、それは良かった」
頭巾の奥で、ファーガスさんは嬉しそうに笑ったのでした。
それからしばらく歓談が続きましたが、彼は何故かリードさんの方にしか顔を向けてはくれませんでした。
同じテーブルについているのに、壁を作ったかのようによそよそしい態度。その違和感だけは、最後まで解消されることはありませんでした。
+
「ハーブティー、美味しかったですね」
靴屋に帰った後、工房の掃除をしながら私は言いました。これからも美味しいお茶が飲めると分かり、嬉しくて仕方ありませんでした。
「美味いからって、一気にがぶ飲みするなよ」
茶葉をさじで掬いながら、リードさんは言いました。お屋敷に戻っても飲めるようにと、彼は茶葉をお裾分けしてくれたのでした。
「な、失礼な、分かってますよ……!!」
内心ギクッとしたのは内緒にしておきましょう。
そうこうしているうちに、外はもう夕方近くになっていました。
「茶葉の袋、帰り道に落とすなよ」
「もう……大丈夫ですよ。お疲れ様でした」
そう言って、私は工房を出ました。思いがけないお土産に、すっかり心が浮き立っていました。
……そう。浮かれていたせいで、後ろから迫り来る足音にも、気付けなかったのです。
「ひぅっ!?」
いきなり、私は何者かに背後から口を塞がれたのでした。
「悪いな。恨むのならば、己を恨むと良い」
必死に抵抗したものの、息苦しさによりそれも徐々に出来なくなっていきました。
口に当てられた布に染み込んでいたのは、何処かで嗅いだことのある、草花の匂い。
そして薄れゆく意識の中、私が最後に目にしたのは……。
包帯で巻かれた、大きな男の手のひらでした。
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