ファーガスという男(2)

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ファーガスという男(2)

「目覚めたか」  目を開けると、私は広いベッドの上に転がされていました。そして手足は、縄できつく縛られていました。  シーツに染み込んだ匂いは、やはり昼間に嗅いだ覚えのあるものでした。 「よく眠れたかね?」  ベッド脇から私を見下ろしていたのは、ファーガスさんでした。 「ファーガスさん……どうして?」 「お前の柔らかな肌や髪に触れてみたかった。それだけだ」  ベッドに乗り、私を組み敷くような体勢になりながら、彼はことも無さげに言いました。  頭巾の奥に潜む表情が一切読めず、私の恐怖心は増すばかりでした。 「さて、夜は長い。気が済むまで付き合ってもらおうか」  恐怖のあまり口をきけない私を他所に、彼の手は私の顔に伸びてきました。 「……っ、」  強く目を瞑ると、包帯を巻いた手指で髪や頬が撫でられていくのを感じました。  それは決して乱暴ではなく、襲われるという言葉とは程遠い感覚でした。 「人の肌とは不思議だな。……本当に柔らかく魅力的だ」  私のふくらはぎから太ももを撫で上げながら、ファーガスさんは呟きました。  小動物を可愛がるような愛撫。けれども私に触れる指や手の感触は、包帯越しにも分かる程に凸凹で奇妙なものでした。 「分かるか?この感触が。私の顔や身体は、お前のように美しくは無いのだよ」 「え……」 「まあ、見た方が早いか」  そう言って、彼は手元の包帯を解きました。  現れたのは、大きな火傷跡の残る爛れた手指。  そして5本ある指の先には、5つあるはずの爪が、2つしかありませんでした。 「折角だ。ここまで不幸に遭っているのだから、こちらも見せてやろう」  シーツの上に、ぱさりと頭巾が落とされました。そして頭の包帯が解かれると、彼の素顔が顕になったのです。 「まったく、酷いものだろう?」  片耳は削がれ、頬にも火傷跡やナイフで刻まれたような跡が見られました。歯も何本か抜けています。 「こうなったのは事故や病気ではない。……仲間内から受けた刑罰だ」 「!?」 「偶然ではなく故意に生まれた産物、とでも言おうか」  あまりのことに、目を見開くことしかできませんでした。しかし、彼も私の返答を期待してはいないようでした。 「包帯だらけの姿を見て、さぞ驚いただろう」 「……」 「斯様なまでに醜く成り果てた自身を封じるために、包帯を巻いた訳だ。ただの病人などではない」  彼の言葉には、言い知れない哀愁と自虐が滲んでいました。  醜い自分を封じる。その一言で、私の恐怖心は、少しずつ溶けていったのでした。 「残念だったな。香しい花は、蜜蜂や蝶に限らず、醜い虫をも惹き付けてしまうものだ」 「私はそんなに、綺麗な存在ではありません」 「何だと?」 「どうぞ、私の靴を脱がしてみてくださいな」  足を軽くもぞつかせながら、私は言いました。  かつてずた袋の中に隠し、未だ靴の中に潜む''秘密''。それを、彼には知って欲しいと思ったのです。 「私は……」  ゆっくりと、私は自らの''秘密''を打ち明けました。ファーガスさんは遮ることなく、私の言葉に黙って耳を傾けてくれました。  先程まで恐怖していた筈なのに、今心にあるのは、一種の安堵感でした。  それはまるで、暗闇に迷っていて人に会えたような感覚でした。 「……似たもの同士。それでも良ければどうぞ、好きなだけ触れてください」  秘密を語り終えて、私は最後微笑みました。これから私は彼の好きなようにされるのでしょうが、拒む気は起きませんでした。  私達は、似たもの同士なのですから。 「……もう良い」 「え?」 「十分だ」  そう言って、ファーガスさんは私を縛っていた縄を解き始めました。 「興ざめしてしまいましたか?」 「勘違いするな。一生分の悪意を使い果たしてしまった。それだけだ」  私を解放してから、彼は大きく溜息をつきました。 「さて。どうしたものか」 「その……」 「何だ?」 「喉渇いちゃって。ハーブティー、またご馳走してくれませんか?」  こうして、二度目のお茶会は始まりました。 + 「全く、変わった娘だ」 「ふふ、よく言われます」  昼間と同じように、私と彼はテーブルで向かい合ってお茶を飲み始めました。  昼間と違うことといえば、彼が包帯も頭巾も外していることでした。  それでも、彼に対する恐れはありませんでした。 「自分を攫った男と茶を飲むなど、どうかしてる」 「だって、ファーガスさんのお茶はそれくらいに美味しいんですもの」  悪びれることなく言うと、彼はまた大きく溜息をつきました。 「夜を誰かと共に過ごすなど、一体何時ぶりか。それすらも忘れてしまったわ」  どうにも落ち着かん。そう言いながら、彼はティーカップにお茶をもう一杯注ぎました。 「夜も遅い。朝方になったら送ってやろう」 「ありがとうございます」 「さて。私はお前の秘密を聞いてしまった訳だ。詫びと言ってはなんだが、化け物の昔話でも聞いて帰るか?」 「喜んで。夜は長いですから」 「言うようになりよって……猫かぶりが」  お茶を一口飲んでから、ファーガスさんは語り始めました。 +  その昔、私は巨人族の集落で薬売りをしていた。  決して裕福では無かったが、平穏な日常を送っていた。ささやかではあるものの、今思えばこの上無く幸せだったと思う。  ある日、集落で金貨が盗まれる事件が起きた。無論、被害者は犯人探しに血眼になった。 「そこで、私に疑いの目が向けられたのだ」  親しい友人も数える程しか居ない。対して、被害者は巨人族の族長。そんな状況で、味方になってくれる者などいないに等しかった。  私は必死に否定したが、服の中を漁られ、そこから見覚えの無い金貨が一枚落ちたのだった。  そう。私は何者かに、濡れ衣を着せられたのだ。 「こうして私は、刑罰を受けることになった」  刑が執行される最中も、私じゃないと言い続けた。けれども、そんな言葉に耳を傾けてくれる者など一人もいなかった。 「手足と鼻を残してやっただけ有難くと思え。その一言を最後に、私は集落を追い出された訳だ」  手足を残されたのは、族長の''恩情''だった。鼻を落とされ無かったのは、私のせめてもの願いが聞き入れられたからだった。  昔から、薬草に限らず草花が好きだった。  その匂いを感じることだけは、せめて残して欲しかったのだ。その代わり他はどうしてくれても良いと懇願した訳だ。 「まあそのせいで、鼻以外は何も残らなかったがな」  余生は愛する草花に囲まれて過ごしたい。そう思い辿り着いたのが、ここという訳だ。 + 「幸い薬売りの知識で、日常生活に支障が無い程度に怪我は治った」  ファーガスさんはそう言いましたが、痛めつけられた心が癒えていないのは、想像に難くありませんでした。 「先程、似たもの同士と言ったな」 「はい」 「残念ながら、それは違う。秘密を共有する相手は私じゃない」  包帯を巻き直しながら、ファーガスさんは言いました。  拒絶する言葉ではあるけれども、そこには隠しきれない彼の優しさが滲んでいました。 「……そうでしたか」   その言葉を最後に暫く沈黙が続きましたが、それは決して気まずいものではありませんでした。  彼が頭巾を被り終えたところで、私はまた口を開きました。 「そういえば、お茶のブレンドを変えたって言ってましたけど、どこを変えたんですか?」 「ああ、それは季節の草花を……」  それ以降は、取り留めのない会話が緩やかに続いたのでした。
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