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矜恃と前髪
「なあ、どういうことだ?」
明らかに機嫌を損ねたリードさんと、俯く私。客の居ない工房には、不穏な空気が流れていました。
長い前髪越しに、苛立ちを孕んだ視線が私に向けられていました。どうやら私は、彼の逆鱗に触れてしまったようです。
話は、つい先程にまで遡ります。
+
「靴、しばらく履いてみてどうだった?」
工房に来て早々、リードさんは私に問いかけたのでした。
「ええっと……」
今まで履いた靴より大分ましではあるものの、ずた袋を履いていた方が楽というのが、正直な感想でした。
お屋敷で仕事をする時も履いてみたものの、しばらくすると足の痛みに耐えられず、結局ずた袋に戻ったのでした。
けれども。靴職人である彼相手に、そんなこと口が裂けても言えません。
ちなみに先日クレイグ様からいただいた靴も、残念ながら私の足には合いませんでした。
「その、とても良かったです。ありがとうございます」
そう言うのがやっとでした。
「他には?」
「特には……ありません」
言った途端に、彼のまとう空気が一気に張りつめたのでした。
「なあ、どういうことだ?」
「……」
「無い訳が無いだろ?」
リードさんが屈んで至近距離で目を合わしてきた途端、心臓が跳ね上がりました。それは異性と間近で見つめ合う緊張からではなく、本能的な危機感からでした。
後ずさったものの、だんだんと壁際に追い込まれ、もう逃げ場はありませんでした。それだけでなく、金縛りに遭ったように全く身動きが取れませんでした。
「おい」
「……」
「改善点を具体的に言えないってなら仕方が無い。が、黙ってられたら話にならん」
「え?」
「もう良い。今日は帰れ」
「え、あ……!」
彼が離れると、足は独りでに玄関に進んで行きました。
今一度謝ろうとしたものの、靴は振り向くことすら許しませんでした。
「じゃあな」
素っ気ない一言を背に受けて、私は工房を追い出されてしまったのでした。
+
次の休日。本来ならば工房に行かねばなりませんが、酷く気が進みませんでした。
いっそ、仕事のふりをしてサボってしまおうか。そう思った瞬間、大分気が軽くなったのでした。
リードさんには申し訳ないものの、冷却期間は必要、と言い訳めいたことを考えながら、私はベッドを出ました。
が。朝食を食べて身支度をした瞬間、靴は勝手に歩き始めたのでした。
向かう先は……無論、工房のある森。
「い、き、たくないのにぃぃぃっっ!!」
木漏れ日の光る林道を、私の叫び声が駆け抜けました。
どうやら、私に選択権など無いようでした。
それからあっという間に靴屋に着いたものの、玄関扉の前で立ちすくんでしまいました。あのように怒られた手前、どんな顔で会えば良いのか分からなかったのです。
取り敢えず深呼吸……と思った矢先、急に中から扉が開かれたのでした。
「ひぁぁぁ!?」
「朝から化け物に出くわしたみたいな声出しやがって。……ったく」
「す、すみません」
「ん」
どうやら身支度の最中だったようで、リードさんの側頭部には寝癖が残っていました。
「ちょっと待ってな。身繕いすっから」
目の前にいる彼は、気まずそうでも怒ってもいませんでした。
まるで、前回のやり取りなど無かったかのような態度。安心するよりも、私は混乱してしまいました。
「で、また数日経った訳だが。靴はどうだった?」
身支度しながら投げられたのは、先日と同じ問い。しかし、今回は適当なやり取りで逃げる訳にはいきません。
正直に言っても言わなくても、機嫌を損ねるのは分かりきったこと。私は内心腹を括りました。
「……その」
「ああ」
「……足、痛いです。すみません、折角作っていただいたのに」
目を合わせることなく、私は呟きました。
怒られる。ぎゅっと目を瞑ったものの、怒鳴り声は聞こえません。目を開くと目の前にいたのは、身支度を整えた彼でした。
「取り敢えず、そこ座れや」
「え、あ、」
私を椅子に座らせてから、彼は私の足を靴越しに触り始めました。
「どの辺が痛い?」
「その、親指の付け根と、かかとが」
「成程。じゃあ底に工夫した方が良さそうだな。まだ転けたりはするか?」
「はい……」
膝には仕事中に転けて、新たな傷や痣が出来ていました。
「よし、分かった」
次回までに改良すると、リードさんは言いました。
「ずた袋の方が楽なら、それまではずた袋を履いていれば良い。合わない靴を履くのは身体に負担になる。分かったか?」
「はい、わ、分かりました」
怒られず終わったことが意外すぎて、私は間抜けな返事しかできませんでした。
「なあ、」
「……はい」
「改善すべき点は素直に言え。それを黙ってるのは、作った職人に対する冒涜だ」
紙に何やらメモを取りながら、彼は言いました。そこでようやく、私は全てを理解しました。
リードさんが怒ったのは、私の足に合う靴を作るため。にもかかわらず、私は彼の気持ちを踏みにじるような態度をとってしまったのです。
「……ごめんなさい」
「別に。ああ、それと」
「?」
「これからは、言いたいことがあるならはっきり口に出せ」
相変わらずのつっけんどん極まりない態度。……ならば、私だって言いたいことがあります。
「……貴方が言いますか」
「あ?」
''言いたいことは言え''という言葉を最大限に使って、私は言い返していました。勝手に口が動いたという方が近いかもしれません。
彼の視線が自分の方を向いていないのを良いことに、さらに私は続けました。
「言いたいことを言わせない位に、こ、怖い顔してるのは貴方でしょう?」
字を書く手を止めて私に向けられる視線。今度こそ怒られるかと思いきや、リードさんはずた袋を見た時のように目を丸くしていました。
どうやら私の一言は、ずた袋並に彼を驚かせたようでした。
「怖い顔……?どこが?言ってみ?」
「その……前髪、とか」
長めの前髪のせいで目の表情が分かりにくく、それが気味悪さや恐ろしさを増長しているのでした。
「そう言えば、しばらく切って無かったな」
前髪を指でつまみながら、リードさんは呟きました。それから奥の作業部屋に歩いて行ったかと思えば、その手にはハサミが握られていました。
そして。あろうことか、私にハサミを差し出したのでした。
「じゃあ、お前が切ってくれ。こういうのは苦手なんだ」
「良いんですか?」
「ああ」
彼に言われるがまま、私はハサミを握りました。
「じゃあ……失礼します」
恐る恐る髪にハサミを入れると、赤茶色の彼の髪が床に落ちていきました。
ショキン、ショキン、と部屋に髪を切る音だけが響きます。彼の髪はややくせっ毛だったので、多少切るのが曲がっても気付かれないのは幸運でした。
「こんなので、どうでしょう?」
髪を切り終わり、私はリードさんに手鏡を渡しました。
長さだけでなく毛先をすいたことにより、先程までの柄の悪さはすっかり消えていました。
「悪くないな」
「え、あ!」
急に手を引かれ、彼と顔が近くなりました。前髪を切った今、二人を遮るものは何もありません。
「本当によく見える」
吐息が重なってしまいそうな距離に、思わず私は赤面しました。こんな近くで男の人と見つめ合ったことなど、人生で数える程しか無いのですから。
「さ、そろそろ開店だな」
私を解放して、リードさんはエプロンを付けました。
「また外の掃き掃除から頼むわ」
ぶっきらぼうで、時折何を考えているかよく分からない。でも靴作りに対してはこれ以上無くひたむきな彼。
そんな彼のペースに、私は徐々に飲まれ始めていたのでした。
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