ドモヴの思い出

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ドモヴの思い出

「その……乱暴な言葉遣いは止めたほうが良いと思います」 「言葉遣いが乱暴?どこが?」  暴言を吐いた覚えはないが、とリードさんは言いました。前髪が短くなった今、威圧感は大幅に減っていました。  どうやら、ぶっきらぼうな言葉遣いは無意識のようでした。 「その、始めて来るお客さんが驚いてしまうでしょうし」 「ふむ……じゃあ、丁寧な言葉遣いを教えて欲しい。具体的に言われないと改善のしようが無い」  彼が乗り気であるのが、正直意外でした。ならば、改善する可能性も十分にあります。  そこで私は、簡単に実践できることから教えてみることにしました。 「お屋敷では物をお鏡、お靴……そう言ってます。そうすると、丁寧な印象になります」 「物にも気を遣うってか」  彼が渋い顔をしたちょうどその時。扉の開く音が聞こえました。 「いらっしゃいま、ひっ……!」  目の前にいたのは、一つ目の人ならざる大きな緑色の化け物。私は思わず悲鳴をあげ、リードさんの後ろに隠れました。すると、彼はひそひそと耳打ちをしてきました。 「そのうち慣れる。我慢しろ」  腕は二本で目は一つの化け物。胴体から股にかけてフープスカートのように広がっており、その下に不格好なほど小さな足が二本見えました。  その辺の落ち葉を集めて固めたように毛羽立った深緑の身体は、この世のものとは思えない造形でした。 「いやあ、怖がらせてしまいましたね」  申し訳なさそうに、化け物は頭をかきました。察するに自分の外見のおぞましさを理解しており、決して悪い存在ではないようでした。 「失敬失敬。頼んでいた品を受け取ったらすぐ帰りますので」 「入ったばっかの新人なんだ。悪いな」 「いえいえ、こんな化け物が来たら誰しも驚きますよ。慣れっ子です」  どうやら、彼もリードさんに靴を頼んだお客の一人のようでした。 「すぐ持ってくるから、座って待ってな」  リードさんは、作業部屋の奥から大きな箱を持って来ました。その箱の中には、丸みのある黄色い靴が入っていました。  今私の足元にある改良された試作品の靴とは違い、それは木でできているようでした。 「ああ、なんて素晴らしい……!」  緑色の彼は興奮したように、テーブルに身を乗り出しました。それにより、床に緑色の液体が少し飛び散ったのでした。 「……失敬。感情が昂ると体液が吹き出してしまうものでして」 「後で拭けば良い。気にするな」 「申し訳無い。ただこれで、あの子と離れても寂しくない。……本当にありがとう」 「あの子……とは?」  気になってしまい、私はつい口を挟んでしまいました。どこか人間味のある緑色の化け物の存在を、徐々に受け入れている自分がいました。  リードさんの言った通り、そのうち慣れるというのは本当みたいでした。 「自分語りで恐縮ですが……それでは少しだけ、お話いたしましょうか」  懐かしそうに目を細め、彼は話し始めました。 +  申し遅れました。私の名は、ドモヴと申します。  こんな出で立ちなので信じて貰えないでしょうが……こう見えて、私は木に宿る精霊なのです。 「化け物のような精霊なんて、笑ってしまいますよね」  とある裕福な家の庭に生えた、一本の大木。そこが私の住処でした。姿こそ人前に現さないものの、その家の人々を遠くから見守って過ごしていました。 「当然、彼等は私の存在を知りません。けれども、私からすれば彼等は皆、勝手ながら大切な存在でした」  しかしその家は、代々やんちゃな子供ばかりでした。木の根っこを蹴飛ばして遊んだり、木に登って枝を折る悪童なんて、何人見たかも分かりません。 「けれども、一人だけ風変わりな女の子がいたのです」  黄色の木靴を履いて、木陰で本を読む少女。物静かな彼女のことが、私は気になって仕方がありませんでした。 「家から庭を横切って木の根元まで歩いてくる際、カランカラン、と木靴を打ち鳴らす音がよく響きましてね。私はその音が大好きでした」  けれども、木製の靴とは元々農民など身分が低い者が履くもの。そんな粗末なものを履くのはお止めなさい、と彼女の両親は咎めていましたが、少女は何処吹く風といった様子でした。 「だって歩くと音が鳴るなんて、楽しいじゃない」  屈託の無い笑顔でそう言っていたのが、とても印象的でした。 「やがて彼女は成長し、結婚して家を出ることになりました」  またそれを機に、大木は切り倒されることになったのです。  彼女は泣いて悲しんでくれました。正直、彼女からしても大木と共に過ごした日々がかけがえの無いものであると知った時は、嬉しくて仕方ありませんでした。  彼女と大木、大木と私。間接的ではあるけれども、心の繋がりを感じられたからです。  そして彼女は嫁ぐ直前、嫁入り道具として、大木の一部を使った木靴が欲しいと両親にねだりました。 「そこで私も思ったのです。彼女と同じ木の靴が欲しいと」  僅かながら感じられた彼女との繋がりを、目に見えた形として残すために。 + 「で、お前はこれからどうするんだ?」 「住処も無くなってしまったので、これからは森でひっそり暮らそうと思っています」  森で会ったらよろしくお願いします、とドモヴさんは頭を下げました。 「念のため、履いてサイズの確認をしてくれるか?」 「はい、喜んで」  木靴は、ドモヴさんの足に不思議なほどぴったりとはまったのでした。そして彼が少しつま先をかち合わせると、カランと小気味よい音がしました。  きっとこれからは、森に木靴の音が明るく響き渡るのでしょう。 「一応、要望通り飾りを……」  どうやらそこで、リードさんは私の言葉を思い出したようでした。 「……ここに、''お''飾りを付けてみた」  苦虫を噛み潰したような顔で、彼は言い直しました。丁寧な言葉遣いが、そんなに苦痛なのでしょうか。  彼の取って付けたような言葉は続きます。 「で、雨でも滑らないように、お靴裏をギザギザにしたから、お泥が挟まったらこまめに取ってくれ」 「ほうほう、成程」 「それで、お雨の時履いた時はおカビが生えるのを防ぐために陰干しを……」  ちぐはぐながらも丁寧な言い方なのに、リードさんの苛立ったような禍々しい雰囲気は、凄まじいものでした。  彼の嫌そうな表情と言葉遣いの落差に、笑いが込み上げてこないはずがありません。 「……っ、ふ、」  しかし絶対に笑ってはいけないと悟り、私は自分の手を抓って必死に笑いをこらえました。 「……説明としては以上だが、他は大丈夫か?」  ドモヴさんへの説明が終わり、私とリードさんの地獄のような時間にも、ようやく終わりが見えたのでした。 「結構です。本当に、希望を叶えてくれてありがとう!!」  感極まり、ドモヴさんはおいおいと泣き始めました。 「貴方は最高の靴職人だ……!」  ドモヴさんが思いっきり抱きついて寄りかかったことにより、リードさんは全身緑の液体でベトベトになったのでした。 「ふっ、ふふふ」  そこで、私の我慢は限界に達しました。漏れ出す笑いを止めることはできませんでした。  しかし。はっと気付くと、死んだ魚のような目で彼は私を見つめていました。泣き続けるドモヴさんは、そんなこと気付いていません。 「後で、おタオルを取ってきてくれるかい?……ミア」  ドモヴさんが帰った瞬間に、リードさんの言葉遣いが元に戻ったのは、言うまでもありません。
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