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ローナの支え(2)
私が生まれた家は酷く貧しくて、日々食繋ぐのがやっとのことでした。
そんな生活に嫌気が差して、私は幼いながらも街にお針子として出稼ぎに行きました。
「けれども、田舎者に厳しいのが街というものでね」
やがて仕事場で、私はからかわれるようになりました。田舎者だとか貧乏人だとか。どれも本当のことなので、言い返すこともできませんでした。
「それが悔しくて、私は裁縫の勉強に没頭しました。一丁前に、負けん気だけは強かったのです。」
その甲斐あり、裁縫の腕はみるみる上達しました。僻みもあって周りは褒めてくれませんでしたが、全く気になりませんでした。それ程に、裁縫が好きで仕方無かったのです。
「そんな時出会ったのが、彼……後の主人でした」
仕事場近くの靴工房で職人見習いをしていた彼と出会い、仲良くなるのに時間はかかりませんでした。
私は服、彼は靴。互いに物作りが大好きだったんです。気付けば、作った作品を見せ合うのが日課になっていました。
「私が縫った服を、本当によく褒めてくれたんですよ」
彼の素直な褒め言葉は、嬉しいばかりでした。
職人仲間という関係は、やがて支え合う仲に変わっていきました。彼の服のボタンが取れたならば私が付け直しましたし、私の靴が壊れたならば、彼が修理してくれました。
「やがて成人したのを期に、私達は結婚しました」
それからの生活は楽しいものでした。大切な人と暮らし、笑い合う日々。彼と協力して、仕立て屋と靴工房を合わせた店を開くこともできました。
裕福では無いにしても、毎日が非常に幸せでした。
「……本当に、あっという間の数十年でした」
けれども、幸せには終わりがつきもの。半年前に主人は病に倒れ、亡くなってしまいました。
それからというものの、何も手が付かなくなりました。大好きな服作りを再開しようとしても、手指が全く動かないのです。
「さっきみたいに、ちょっとした針仕事は出来ても、作品を生み出すことは出来なくなってしまいました」
いっそ、後を追ってしまおうか。一時期はそこまで思い詰めたりもしました。
しかし。彼と若き日に交わした約束を、最近になってふと思い出したのです。
「死ぬまで、物作りは続けよう……とね」
物作りには、向き不向きがあります。簡単に技術を習得できる人もいれば、どんなに努力しても上手くいかず、挫折してしまう人もいます。そんな人を、これまで沢山見てきました。
私と主人は運良く、一人前の技術を身に付けることができました。それを才能と言ってしまえば聞こえは良いけれども、そこで終わってはいけない。技術が身についたならば、それを活かしてお客さん達のために職人として努めていかねばなるまい。
……それが、彼の考えでした。そして私も、その意見に共感したのでした。
実際、彼は死ぬ直前まで靴作りを続けていました。ならば私だけ放棄する訳にはいかない。約束を果たさねばならないと、その会話を思い出した時感じました。
「この靴は、結婚する時に主人が作ってくれたものなのです」
若者同士の結婚で大したお金もなく、結婚指輪など買えませんでしたから。その代わりにと、私だけの靴を作ってくれたのです。
そして靴のお返しとして、私はネクタイを一本仕立てました。最期まで愛用された後、ネクタイは彼の棺で眠っています。
+
「どうしても、最期までこの靴と共に生きたいのです。これを支えに、職人としての人生を全うしたいのです」
そう言ったローナさんの目には、薄らと涙が浮かんでいました。
「待たせたな」
沢山塗料の瓶が入った箱を持ってきて、リードさんは戻ってきました。靴に合う色があって欲しい。そう願わずにはいられませんでした。
……しかし。
「全部、違うな」
「そんな……」
「まあ待て。あくまで今ある色に無かったというだけだ」
「え……?」
テーブルに大判のパレットを置きながら、リードさんは言いました。
「混ぜて色を作る。それなら出来るはずだ」
そして、彼はいくつかの塗料を混ぜ合わせ始めました。
「茶色の中でも、黄みの強い色だな」
「赤みを足していこう」
ほぼほぼ靴に近い色は、瞬く間に出来がっていきました。
けれども、靴の色と比べたら何かが足りないのでした。
「……さては、茶色以外の何かだな」
赤や青、灰色と別の色を足してみても、足りないものが埋まる気配はありませんでした。
「……」
使い古されてはいるものの、かつての色を僅かながら残した靴。けれども靴は、当然ながら答えを教えてはくれませんでした。
「やっぱり、駄目なのでしょうか」
諦めかけた矢先、リードさんは無言で作業部屋に戻っていきました。そして戻ってきた時手にしていたのは、塗料の瓶ではなく、小さな真珠でした。
最早塗料ですらありません。やけでも起こしたのでしょうか。
困惑する私達をよそにリードさんは机で真珠をすり潰し始め、粉状にしてから塗料に混ぜていきました。
これでは、折角作った色が台無しです。
しかし混ぜるにつれて、塗料は先程までに無かった艶を孕み始めました。
「これで、どうだ」
試し塗りの革に塗ってみると、なんと革靴と同じ色になったのです。そして靴の端に塗ると、違和感なく馴染んでいったのでした。
「凄い……」
確かに靴は、息を吹き返し始めたのです。
「良かったですね!これで……」
ローナさんに呼びかけると、彼女は呆然としていました。
「あの……?」
「良かった。本当に良かった。……これでまた、共に歩んで行けますね」
靴をそっと撫でながら、静かに涙を流したのでした。
+
「俺が作った靴には、全部魔法がかけてあるんだ」
ローナさんが帰った後、残りの部分に塗料を塗りながら、リードさんは言いました。
机の上には、使わなかった塗料の瓶が山のように置かれたままでした。
「迷わずにこの工房に来れるように、という魔法だ。預かり修理になった場合は、その日客が履いてきた靴に魔法をかける。だから、一度靴を買った客は迷わずにうちに来れるって訳だ」
「成程」
「だが、始めて来る客はそうはいかない」
だからこの工房に来るのは森に住む人ならざる者達か、森を通り掛かった旅人がほとんどだと、リードさんは言いました。
「ならば、その気持ちには誠心誠意答えないとな」
「そうですね」
「さっき言った一言はそういうこった」
「え?」
「立ち止まっても、躓いても、足元を支えるのは靴だ。だから、人一人を見守ってくれる品物を作る仕事だと解釈している」
あの物騒な物言いの意図を、私はようやく理解したのでした。
塗料の瓶を片付けながら、私は気になっていたことを質問しました。
「ところで、何で真珠だと分かったんですか?」
「ああ。ただの勘だ」
とは言いつつも、彼は種明かしをしてくれました。
「彼女が着ていた服の模様からして、南部の街に住んでいるんだとまず仮定した。山間部の街だから、山で採れる鉱物だと最初は考えた」
が、それは誤算だったと、リードさんは呟きました。
「鉱物を混ぜてもあの色にはならないと直感した。ならば、と真珠が思い浮かんだんだ」
「……」
「海か川沿いの街でしか手に入らない希少な一粒を手に入れて、指輪が買えない分、ささやかな輝きを靴に与えた訳だ」
ご主人が遺してくれた思い出の品。きっと、これからも彼女の生きていく活力となっていくのでしょう。
「ところで。さっきみたいな勘違いを生む言動は辞めた方が良いと思います」
「は?」
一旦作業の手を止めて、リードさんは私を怪訝そうな目で見ました。けれども、もう怖くなどありません。
「支配と言ったらびっくりしますし、最初会った時だって」
そこで一旦口を噤みましたが、彼は私の言葉を待っているようでした。
「何だ?最後まで言えよ」
「身体で払うと言われるとその……いやらしい意味にしか聞こえません」
言った途端に、リードさんの動きがぴたりと止まりました。硬直したと言った方が正しいかもしれません。
不思議に思っていると、段々と彼の顔が赤くなっていきました。
「ち、違ぇよ!!勘違いするな!!」
先程までの理知的な物言いは何処へやら。耳まで真っ赤にして言い返す姿は、なんだか少しだけ幼く見えました。
「ひょっとして、こういう話が苦手でらっしゃる?」
「るっ、せえな!」
知らぬ間に、彼との間にあった気持ちの壁が無くなっているのを感じました。
「片付け終わったら、もうやることないから帰れよ!」
「ふふっ、じゃあ失礼します」
夕焼け色の森を歩きながら、私はローナさんの話を思い返していました。ご主人からすれば、彼女は紛れもなく唯一の''お姫様''だったのでしょう。
お姫様。それは遠き日の憧れ。その言葉を思い浮かべるだけで、切なく胸が締め付けられました。
ずっと憧れていました。そう、あの日までは。
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