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いたい。
「『穴があるなら入りたい』男の末路」
小さなステージの上、器用に首を後ろに90度曲げ逆立ちをし……まるで首から上が地面に埋まったようになっている男が言う。
だが、ソーシャルディスタンスへの配慮がばっちりな観客席からは笑いの一つも出て来ない。ステージ上の中年の男、アキヒロの荒い呼吸音が聞こえるだけだ。
未だネタの最中であるというのに、一円もかからない入場料すら高かったとでも言うように肩を落として帰って行く客の姿を見送る。
自分以外誰1人として居なくなった劇場に、アキヒロの陽気な声だけが虚しく響いた。
思い返すと、いつもこうだった。
14歳で手を出したweb小説では、少し人気が出た。
だが書き続けていると、書きたいものに実力が伴っていないことに気付いた。何を書いたってその事実が付き纏って、虚しくなるだけだったからやめた。
16歳で手を出した絵は散々なものだった。
参考書通りに練習しても全く技量が上がる気がしない。悲しきモンスターを生み出し続けるのはただ辛いだけだったからやめた。
20歳で手を出した動画投稿も散々なものだった。
先人たちに憧れてゲーム実況を始めたが、実際にやってみると驚く程下手だった。
カメラの前となると、面白いことが話せない。企画が面白くない。サムネイルも異常に古臭い。
有名実況者の動画を見て呟いていた一言が頭に浮かぶ。
「あんなの俺でも出来る」
出来るはずはなかった。
手元には、総額50万円の機材が残った。
そして24歳で、お笑い芸人を始めた。
親には内緒で、適当な会社に就職すると嘘をついて上京した。
お笑い芸人は小さい頃からの憧れで、web小説でもコメディの評判が良かったから……売れると思った。
実際やってみると、誰にも興味を持たれる事は無かった。いびきをかいて爆睡する客が居る事なんてザラだった。
それでも自ら出演料を払って、ライブに出続けた。
こんな生活、掛け持ちしているバイトをクビになったなら、すぐ破綻する物だった。
そんな自分でも、少し笑ってくれたり、おひねりをくれるお客様が居ればとても嬉しかった。
お笑い芸人も、ステージに上がる事も、楽しいからここまでやれていた。
依然として生活は苦しかったが、嘘をついて上京した手前、帰ることは不可能だった。
『ちゃんとした企業に就職した』息子が、実は売れないお笑い芸人をやっていたなんて事がバレた日にはどうなる事か。考えたくもなかった。
それに、既にこの道を歩んできた年月も相まって、もう引き返せないところまで来ていた。
だがすぐにバレた。俺の有様を目にした親は、今まで見たことが無い程泣いていた。
それからは、毎月仕送りが届くようになった。
そうして気付けば、40代。
40代後半で賞レースに優勝し大ヒットした芸人を見て、自分にも未だチャンスはあると言い聞かせる日々。
今月もまた、仕送りの中から「いつでも帰ってきなさい」と書かれた紙が覗く。
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