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腹が満たされて少し眠たくなる昼下がり。同僚といつものように街の見回りをしていた私は町外れの教会で黒い影が見えたような気がして立ち止まる。
「ん……?」
「ベル、どうかしたのか?」
「あぁ、いや、大したことはないんだけど。黒い影が見えたような気がして……」
私が教会の方を指さしながらそう言うと、同僚は納得したようにうなずいた。
「あぁ、お前も見たのか」
「『お前も』?」
「そうそう。先輩たちが話してたんだ、『教会近くで黒い影を見かける』って。廃教会の近くを歩いていると黒い影がぼやーっと見え始めて、目を凝らすといつの間にか消えてるって噂。見える人と見えない人がいるみたいで俺は一度も見たことがないんだよなぁ」
「そう……」
「噂だと恐ろしい顔をした男だとか、顔の無い人形の魔物だとか、見たものを虜にする絶世の美女だって話だったな。アンデッドだとは思うが、それでも絶世の美女ってんなら一度は見てみたいよな!」
カラカラと笑う同僚の背後から黒い布がチラリと覗いている。風もないのに不自然に揺れるそれは魔力を帯びていて普通ではないことがよく分かる。
「ま、アンデッドだろうがなんだろうが実際に被害は出てないし、というか教会の聖職者たちも実態を把握できてないから対処しようがないんだよなぁ。一応騎士団でも把握してるから問題ないだろう」
「そうか」
「んじゃ、他に異常がないなら次の場所に行こうぜ」
「……分かった」
私は揺れる黒い布を横目で見ながら同僚の言葉に頷いた。
×××
夜。同室の同僚が寝静まったのを見計らって静かに部屋を出る。夜番の騎士たちに見つからないように隠れつつ寮を抜け出し街中を駆ける。
外はすでに真っ暗で街は静けさに包まれていた。灯りとなるランプの油もタダではないので夜に活動しているものはお金のある貴族ぐらいだ。私はできるだけ足音を消しながら、月明かりを頼りに暗い道を走り抜ける。
目的地にはすぐに付いた。町の外れの小さな教会。……同僚は「廃教会」と呼んでいたが、私の目には小さくも美しい建物にしかみえない。
「……いた」
教会のそば、闇に溶け込むように黒い影がゆらりと揺れていた。……昼間よりも纏っている魔力が強い。やはり夜のほうが力が出るようだ。それなのに夜に黒い影を見かけた話を聞かないのはアレがこの辺り一帯に幻覚の魔法をかけているからだろう。私の目を持ってすら一瞬ココが分からなくなるほどだったのだ、普通の人間に見破るのは難しいだろう。
同僚がここを「廃教会」と呼んでいたのも幻覚でボロく見せているからだ。何故ボロく見せる必要があるのかは分からないが、ともかくあの影がやっていることは間違いなかった。
敵意は感じないが王都の中でこれだけの魔法を使うアンデッドを放置することは出来ない。私はゆっくりと黒い影に近づいた。
「……もう、隠れても無駄ですよ」
「ひぇっ!?」
黒い影は小さく悲鳴を上げて飛び上がった。森の清流のように澄んだ綺麗な声だった。思っていたような邪悪さがなくて思わず少し固まってしまう。
「あ、あ……あ……」
影は震えながらこちらを振り返った。黒い布の隙間から白い美しい髪が見えた。相手の顔は長い髪と瓶底眼鏡で伺うことは出来なかった。だが、声と布からはみ出た白くて細い手から相手が女性だということは分かった。
「あ、あの、あ、……ご、ごめんっ、なさい……!」
相手はそういうと勢いよく頭を下げた。
「わ、わたし、自分が死んでるということは分かっています。早く、天へ……女神様の元へ旅立ったほうが良いって、分かってはいるんです! で、でも、どうしてもやりたいことが……やりのこしたことがあって、心が、ここにしばられて……わたし、私……」
相手は言葉をつまらせ、ついには泣き出してしまった。予想していない展開に私も頭がついていかない。
「(予想していたが、相手はアンデッド……になりかけの、レイスか。死んだ自覚はあるが理性を失っていないのは珍しい。この辺り一帯に幻覚をかけているのも教会の者たちに見つかり浄化されるのを恐れているのだろうな。この規模の魔法を維持できるとは、生前はさぞ名の知れた魔法使いだったのだろう)」
できるだけ冷静に現状を分析していく。眼の前でしずしずと泣いている女性のことは出来るだけ視界に入れないようにする。……女性に泣かれるのは苦手なんだ。
「ともかく、未練がなくなれば天に還ることはできそうか?」
「! は、はい、できる、と思います……!」
女性のレイスは小さく何度も頷いた。彼女が未練を断ち切る方向に前向きで良かった。これが「現世にしがみつく」場合だとそれこそ聖職者たちに無理やり魂の楔を断ち切ってもらわなければならないところだ。無理やり断ち切るので魂に負荷がかかるから最後の手段なのです、と聖職者が言っていた。
「それで、あなたの抱える未練とはなんだろう?」
「そ、それは……あ、あの……その……、を……した、くて……」
「? すまない、聞き取れなくて……もう一度いいだろうか」
俯いて小さく呟かれる声は闇に溶けて消えてしまう。次こそ聞き逃さないように耳をすませば、彼女はガバリと顔を上げて大声を上げた。
「こ、恋を……恋を、してみたい、のです!」
「恋とは……あの『恋』?」
「は、はい。……私、生きてるときは魔法の勉強と修行ばかりで、年頃の女の子みたいに誰かに恋をしたことが無かったんです……。街で楽しそうにしている人を見て『いいなぁ』って思ってたのですが、修行を辞めることも出来ないし、自分から男の人に声をかけることもできなくて……」
「……それで、死ぬ間際に『あんな風になりたかった』と思ってしまった、と」
「! な、何故それを……」
「それは、私がエルフだからかな」
「えっ……!?」
私は被っていたフードを払う。隠れていた長い耳が見えたのだろう、彼女が小さく息を呑んだのが分かった。
無理もない話だ。エルフは人間が嫌いで人前には姿を表さないとされている。実際は外に興味がなくて人間の生活圏まで出て来ないというだけの話だが、たまに外への興味が湧いて飛び出す変わり者もいる。
「は、はじめて、みました……」
「まぁ、エルフと言っても私はハーフなのだが」
私はそんな変わり者の息子なのだ。見た目で苦労することも多くてフードを被ることが常になので私がハーフエルフだと知っているものも少ないだろう。
「――さて、君は恋をしてみたいのだったな」
「え、あ、は、はい!」
「なら、私としてみる?」
「え……は、はい!?」
「うん、良い返事だ。素直で嬉しいよ」
「!? い、いえ、今のはそういう意味では……!」
あたふたする彼女には悪いが他に選択肢を与えてあげられない。もし彼女のことがバレれば間違いなく聖職者が派遣される。彼女に苦しみなく女神の元へと旅立ってもらうには私に恋をしてもらうしか無いのだ。
私は一歩彼女に近づく。手が触れる距離なのに全く逃げる様子のない彼女に少し笑みが溢れた。混乱しているが私に害を加えるつもりはないのだろう。優しい彼女のためにも早く魂を開放してあげなければ……そう思いながら私は彼女の纏う黒い布を取り払い、ついでに瓶底眼鏡も外してみた。
「――――。」
「! か、返して、ください!!」
顕になった顔を見て思わず言葉を失った。月明かりを弾いて輝く銀の髪、青白い頬。何より目を引くのは長いまつげに縁取られた虹色に輝く大きな瞳……。
「――綺麗な瞳だ」
気づけば言葉が口をついて出た。私の言葉に彼女がビクリと震える。
「う、嘘です……。わ、私の目は、気持ち悪いって……」
「それは人間には魔力を見る『目』が備わっていないからだ。私と同じ目を持つものなら分かるだろう。あなたの瞳から溢れんばかりの魔力が輝き光を放っていることを。……本当に、美しい」
「ぁ、ぅ……」
私がそういえば彼女は恥ずかしそうに俯いた。青白い肌が朱に染まっている。
私はすぐに彼女の足元に跪きその細い手を取った。驚いた彼女と目が合う。
「――名を」
「え? あ、はい、えと、ろ、ロミナです……」
「ロミナ。私、ベルナール・フェイユは生涯あなたに仕え、貴女を守る盾となる事を誓います。どうか、私をお側においてください」
私は彼女の指先に軽く口づけをした。小さな悲鳴が頭上から聞こえる。
「ぅぇ、あぅ、は、はいぃぃ……」
見上げた私が見たのは、首まで真っ赤にした彼女の姿だった。
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