1章

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朝からソワソワしている。 仕事に集中しなきゃいけないのはわかっているのだけれど。 2人だけだと言われるのが怖くて、他に誰か来るのかと聞けないまま当日を迎えてしまった。 昨日、会社の最寄り駅から1駅のところで待ち合わせと連絡が来た。 聞かなくても薄々気づいている。 4人くらいで行くなら一緒に会社を出ればいい話で。 2人だからわざわざ離れたところで待ち合わせなのだ。 今日は残業できないから急ぎの仕事を確実に片づける。 あっという間に時計は終業の時刻を指した。 「野崎さん、残業?」 課長が片づけを始める気配のない野崎さんに声をかける。 「はい、ちょっとだけ」 「金曜日なんだから早く帰れよ」 その会話を聞きながらパソコンの電源を切る。 「お先に失礼します」 1番に部署を出てエレベーターに乗る。 歩いて行くとちょうどいいくらいの時間だ。でも待たせちゃったら申し訳ない。 けど電車で行くと早く着きすぎて、張りきってると思われるのも嫌だ。 ああ、自分が面倒くさい。 結局歩いて行くことにした。歩く間に心を落ち着けよう。 そう思ったのに駅に近づくほどに鼓動は速まるばかり。 中学生かと自分にツッコミを入れる。 深呼吸して待ち合わせ場所に向かう。 彼はもう来ていて、シャツの袖をまくってスマホを触っていた。 声をかけようとするとこちらに気づいてスマホをポケットに入れた。 「ごめんなさい、待ちました?」 「いえ、僕も今来たところです。ちょっと歩きますね」 行き先は教えられていないので、大通りにそって進む彼についていく。 5分もしないうちに目的のお店に着いた。見たところごく普通の居酒屋のようだ。 4人掛けの半個室に通される。 奥に座って隣の席に荷物を置いた。デスクワークでたまった肩こりがずっしりのしかかる。 「何飲みます? 気にせず好きなの頼んでくださいね」 そう言ってドリンクメニューをこちらに向けてくれる。 「えー、いろんな梅酒がある!」 5種類の梅酒のほかに4種類の果実酒がある。 「ちゃんとリサーチしたんですから、褒めてください」 どんなお酒が好きかと聞かれて梅酒と答えたけど、ここまで反映してくれるとは思わなかった。 少し気分が上がるのを感じながら、まずはスタンダードな梅酒を頼んだ。 ドリンクを待ちながら一瞬の間があく。途端に体に力が入る。 「空いててよかった。急だったんで予約してなかったんですよ」 本当に急すぎるよと声には出さず、2人でパラパラとメニューをめくる。 ドリンクが来たついでにいくつか料理を注文した。 「じゃあ、おつかれさまです」 生ビールと梅酒ロックで乾杯する。 甘いカクテルでも飲めば少しはかわいく見えただろうかと思ったけど、もうそんなあざといことを考える年齢でもないし、先日の飲み会でずっと梅酒を飲んでいたから今さらごまかす意味もない。 お酒を味わう余裕もなく、これは何の会なんだろうと自分の置かれた状況を整理しようとする。 1週間の疲れがたまった頭では何も考えられなかった。 「永瀬さんはお酒好きなんですか」 沈黙が嫌で無難な話をふる。 嫌いだったらお酒を飲みに行こうとは誘わないだろうことはわかっているのだけど。 「原田さんって、なんで僕に敬語なんすか」 「へ?」 ぜんぜん質問の答えになっていない返事に、つい間抜けな声が出た。 「基本的に、経理以外の人には敬語です」 「なんだか他人行儀じゃないですか。タメ口で話してくださいよ」 たしかにわたしの方が1年くらい先輩だけど、他部署の人にタメ口で話すのはなんとなく気が引ける。 だいたい、他人行儀も何も、そっちが急に距離を詰めてくるまではそのくらいの関係だったじゃない。 そう思ったけれど。 「うん、わかった」 なぜかわからないけれど理不尽な要望を受け入れてしまった。 その言葉に彼はあからさまに嬉しそうな顔をした。 こういうやりとりが当たり前の人生を彼は歩んできたのだろうか。 わたしの経験値では難易度が高すぎるよ。
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