沈華

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もうすぐクリスマスがやってくる。 クリスマスなんて家庭がある人や恋人がいる人のためのイベントであり、ひとりぼっちの大人にとってはどうでもいいイベントだ。 大学生の時はクリスマスをいいことにサークルメンバーで集まって馬鹿騒ぎをしたものだが、ライターになってからはケーキを食べることさえせずに、スルーしてきた。 でも、今年は大きなプレゼントがありそうだ。 柄にもなく、麗奈はウキウキしていた。 彼は私からのプレゼントを受け取ってくれただろうか。律儀で真面目そうな彼のことだ。きっと、ちゃんと受け取ってくれたに違いない。 約束の時間が迫っている。公衆トイレで着替えを済ますと、麗奈は足早に約束の地に向かって歩いた。 それにしても長い髪って鬱陶しいわね。冬の荒々しい風ですぐに絡んでぐしゃぐしゃになってしまう。 長年ショートヘアで過ごしてきたので、もつれる長い髪には慣れない。 髪を直すついでに手鏡を覗き込んでメイクをチェックする。 いつもと違う、ガーリーで派手なメイクをした自分は他人のように映った。 よっぽど近しい人でもなければ、私が汐崎麗奈と気付くものはいないだろう。顔の印象の大半は目と髪型によるものが大きい。 あとはよほど印象的な鷲鼻だとか、頬骨がでばった輪郭でもない限り、そんなには印象に残らない。  理香子から拝借した鍵で玄関の扉を開ける。 数日後には解約される理香子と悠一の愛の巣だった場所は、そのままお化け屋敷になってしまいそうなありさまだ。 人が住んでいないと、家はすぐに傷んでしまうといのはどうやら本当だったらしい。 いや、この部屋の問題は持ち主が長く不在だったことだけではない。 床に落ちたお菓子の袋や雑誌、あっちこっちにごちゃごちゃと置かれた物。散らかり放題なのは住んでいた人間の問題だ。  窓の外が真っ赤に染まっている。冬の夕暮れは短い。じきに夜の帳が下りるだろう。  静かな足音が近づいてきた。控えめなノックが三度。麗奈が答えずにいると、躊躇いがちに扉が開いて、ギシギシと床を踏みしめる音が聞こえた。  麗奈は赤い窓を背に立った。寝室の扉が開き、待っていた人物が入ってくる。麗奈の望みどおりに、彼は愚直にも一人でやってきた。 「理香子さん……?」  逆光で上手く顔が見えないのだろう。 それに加えて、理香子と同じ髪型のウィッグ、彼女が来ていたワンピースを着ているのだから、彼が騙されるのも無理はない。 「貴方のせいよ」  麗奈の言葉に、由希の月色の瞳が見開く。 麗奈は持っていたロープを手に襲い掛かった。シミュレーション通り彼の首にロープをかけると、背後に回り込んで首を絞める。  今望む欲しい人を手に入れるために最大の障害となるのは霧生由紀だ。 そう、麗奈が呼び出したのは由希。彼がいる限り、理香子がいなくなっても悠一は手に入らない。 「ぐっ……」  由希の首はとても細く長い。彼自身も細長い華奢な体型で、簡単に殺せると思った。 しかし予想に反して、儚げな容姿に似合わず由希は力強かった。  由希は麗奈が巻きつけたロープの隙間に長い指を滑り込ませ、絞殺されまいと抵抗した。 殺し損ねたら破滅するのは自分だ。 麗奈は無我夢中で腕に力を入れる。  理香子の時は簡単だった。 油断して泥酔してしまった彼女を車に乗せ、ロープで縛りつけて抵抗できなくしてから麻袋に放り込んだ。 その麻袋を一輪車に乗せて深い山奥まで運ぶのは難儀したけれど、あとは楽勝だ。谷底に放り投げて、ジエンドだった。  暴れた由希の手が当たって鬘が脱げた。振り返った由希が満月のような琥珀色の瞳を怪訝そうに細める。  由希に抵抗されて尻もちをついた麗奈は、失敗を悟った。 「理香子さんじゃないのか?確か、貴方は―…」  呆然とする由希と見つめ合っていると、バタバタと騒がしい足音が聞こえた。勢いよく寝室に駆け込んできたのは、悠一だった。  理香子の名を語って悠一とのことを話し合いたいから会いに来てくれと書いた手紙は、キャバクラ蝶姫に自分に会うためにやってくる悠一の同僚の喜多川の情報をもとに、悠一が出張で帰らない日を狙って由希のアパートの新聞受けに放り込んだ。 手紙は誰にも見せない事、約束の日には必ず誰にも言わずに一人で来る事を内容に盛り込み、それを破ったらまた行方を眩ますと脅しておいた。 素直な人間だと思っていたけれど、由希はそれを守らなかったのだろうか。  いや、違う。悠一の登場に驚いているのは由希だ。  床に落ちた茶色い巻き髪の鬘。物騒な長いロープ。ロープの痕が薄らと浮かぶ由希の白い首。そして理香子の服を着た麗奈。 悠一が困惑した顔をする。 「えっ、なんで汐崎さんがいるんだよ。由希を呼び出したのは、理香子じゃなかったのか?」 「悠一さん、どうしてここに?何故、俺が呼び出されたことを知っているんですか?それに、まだこの時間は職場にいるはずじゃ―…」 「近藤が連絡をくれたんだ、珍しくお前が早退したからなにかあったんじゃないかって。しかも朝から思いつめた顔で何度も手紙を見つめていたって聞いたから心配になったんだよ。近藤に頼んで、お前が帰ったあとお前の机から手紙を探して内容を教えてもらった。それで飛んできたんだよ。それより、なんで理香子じゃなくて汐崎さんがいるんだよ?どうやって、オレのアパートに入ったんだ?それにその服、理香子の服だろ」  矢継ぎ早の質問にいっさい答える気はなかった。 今日のことをきっかけに理香子失踪の走査線に浮上すれば、すぐに自分の犯した罪がばれるだろう。  私はできる女だ。だから、最後の幕引きもかっこよくなくてはいけない。 「見せばやな雄島のあまの袖だにも濡れにぞ濡れし色はかはらず」  それほどメジャーではない、千載和歌集の歌を詠む。 文学が好きだった麗奈は、高校生時代にいくつもの和歌集を読んで、好きな和歌をいくつかノートに書きだしていた。そのうちの一つだった。  高らかな声で歌を詠む麗奈に由希が眉を顰める。高校の国語教諭の彼には、恋の苦悩からの恨みを詠った歌だとわかったのかもしれない。  困惑する悠一と由希に美しく微笑みかけると、麗奈は背後の窓を後ろ手で開けた。そしてそのまま、窓の外の闇に吸い込まれていった。  落ちていくとき、理香子はどんな気分だっただろう。 麻袋から聞こえてくるうめき声は恐怖と悲壮が宿っていた。きっと私みたいに清々しい気持ではなかったのだろう。  麗奈は遠くなる星空を見上げながら、優美に微笑んだ。
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