沈華

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映画を観終わって、悠一は由希と映画の話で盛り上がりながら映画館を出た。 レストランで食事をしていこうと、十階のレストラン街に向かうエレベーターに乗り込む。そこで、よく見知った顔を見つけた。理香子の親友の愛弓だ。 「あっ、悠一さん―…」  名前を読んだ途端、愛弓はなんとも気まずそうな表情を浮かべた。彼女のとなりには、淋しい頭髪の老け顔の男性が立っている。 離婚話が浮上する前に、理香子が愛弓に不細工でケチな最低の彼氏ができたと罵っていたことを思い出す。 これが噂の愛弓の彼氏の村井か。確かに見た目は理香子の言う通りかなりイマイチだ。 由希と腕を組んでいる悠一に、村井はジロジロと不躾な視線を向けた。 「なんだよ、愛弓。あのホモカップルお前の知り合いか?」  いきなりホモカップル呼ばわりか。確かにその通りだが、侮蔑を隠さない物言いにけっこうカチンときた。由希も不愉快そうに眉根を寄せている。 「ダメだよ、村井先輩。悠一さんは理香子の旦那さんだよ」 「ああ、お前の友達のダンナか。それがなんで、妻以外のやつと腕を組んでるんだよ。しかも男同士で。気持ちわりぃな」  吐き捨てるように言った村井に愛弓は苦笑を浮かべたが注意はしなかった。おどおどした顔で村井を見ている。 どうやら愛弓は彼氏に逆らえないらしい。 親友の元夫に暴言を吐く彼氏に困った顔をしながらも、しきりに顔色を窺っている様子が痛々しかった。 もしも愛弓と村井が結婚したら、村井はドメスティック旦那になりそうだなどと、余計な心配をする。 「どうも。こんなところで会うなんて奇遇ですね、上田さん」 「本当に……。あの悠一さん、ちょっと話せませんか?」 「え、話?」 愛弓が自分に何の話だろう。 まだ理香子と暮らしていた時に何度も愛弓は家に遊びに来ていたが、悠一に礼儀正しく挨拶はするものの、麗奈みたいに積極的に話しかけてきたことはない。 せいぜい天気の話や植物の話など、気詰まりな世間話をかわす程度だった。 その愛弓が、理香子と別居状態である夫の自分に何の用があるというのか。 甚だ疑問だったが、勇気を振り絞ったというていで話しかけてきた愛弓を無下にもできない。 ちらりと由希を見ると、由希は心得ているとばかりにするりと腕から離れた。 「なんだよ、愛弓。俺とのデート中によその男に話とか、ありえないじゃん」  村井だけは空気を読まずに不機嫌を露わにしていたが、エレベーターがちょうどとまったので由希が気をきかせて、彼を連れてエレベーターを下りてくれた。 村井は腕を掴まれて引きずり下ろされたことにかなり困惑していたが、由希の目力の強い琥珀色の瞳に見詰められ、タジタジしながらも由希と一緒にその場を離れていった。 「ごめんなさい、邪魔をしてしまって」 「いや、こっちこそなんかすんません。それで、話って?」 「ちょっと長くなりそうなので、そこの喫茶店に入りませんか?」  エレベーターを降りてすぐのティーサロンを愛弓が指さす。 あんまり由を他所の男を二人きりで長時間放置したくなかったけど、断るに断れずに悠一は愛弓に従った。 一杯六百円と割高なコーヒーを頼み、愛弓と向かい合って座る。 「あの、上田さん。話ってなに?」 「理香子ちゃんのこと、何か新しい情報は入ってきましたか?」 「いや、ぜんぜん。本当に、どこに行ったんだろうな」 「……本当に、知らないんですか?」  小さい愛弓の目がじっとこちらを見詰める。 鈍い自分でも疑われていることにすぐ気付いた。弁解しなくてはと思うけど、言葉が出てこない。コーヒーを飲んで無言を誤魔化す。 「理香子ちゃんのこと、まさかと思うんですけど殺したりしてないですよね」  率直な問いかけに思わず飲んでいたコーヒーを吹いてしまった。 近くの席に座っていた客が嫌そうな顔で見てきたのに軽く頭を下げ、おしぼりを手に取って口元やシャツを拭いた。 「いや、上田さん。これだけは言っておきますけど、オレは理香子を殺したりしてないですよ。べつに憎んでたわけじゃないし」 「そんなの、嘘かもしれないじゃないですか。知ってるんですよ、悠一さん、理香子ちゃんと結婚しているのに、さっきの男性と浮気していたんでしょう?十月の終わりごろ、理香子ちゃんから電話があったんです。理香子ちゃん、すごく錯乱していた。悠一さんに愛人がいたこと、捲し立てるようにわたしに語ったんです。それから、ぜったいに離婚なんてしないって言っていた」 愛弓の瞳からぽろりと涙がこぼれた。彼女は本気で理香子を心配している。 理香子はよく、愛弓は地味であか抜けないとか、優柔不断だとか愚痴を言っていた。 第三者の自分から見れば、理香子と愛弓の友人関係は理香子による一方的な制圧に見えたけど、違ったらしい。 公共の場であるにも関わらず、涙を流す愛弓に胸が詰まった。 理香子が勝手にいなくなってくれてほっとしていた自分が情けない、卑怯者のような気がしてきた。 「もし理香子が戻ってきても、オレは理香子と今後夫婦に戻るつもりはない」 「そう、ですか」 「でも、だからといって理香子がいなくなったことを放置していいわけじゃないよな。オレは正直言って、理香子がいなくなって、由希とどうどうと一緒にいられるようになったってほっとしていたんだ。でも、そんなの卑怯だよな。理香子のこと、仕事の合間に探してみるよ」  軽蔑の眼差しをむけていた愛弓の瞳が、少しだけど明るくなった。 「ありがとうございます。わたしも、時間がある時にですけど、探します」 「話はもうこれで終わりか?」 「はい。すみません、恋人といる時に邪魔してしまって」 「いや、かまわねえよ。どうぞ、彼氏とお幸せに」  悠一はコーヒーを一気に飲み干し、伝票を手に取って店を出た。
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