沈華

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薄暗い空間に明かりを灯すシャンデリアと青やピンクのライト。煌びやかさと夜の闇が同居した店内は、どこか別の世界のようだ。 同僚の喜多川が麗奈にぞっこんで、彼女の働く熟女キャバクラ蝶姫に何度か通ったけれど、何度来てもこの空間に慣れない。 こういう淫靡さが漂う賑やかな場所は苦手だし、いるだけで後ろめたい気分になる。恋人の由希が一緒だからよけいかもしれない。 由希と共に席に案内されながら、悠一は密かに溜息を吐いた。 「蝶姫へようこそ、悠一さん」  ばっちりメイクをして青いカクテルドレスを纏った麗奈が妖艶に微笑む。 「あらあら、かわいらしいお連れさんも一緒なのね。どちらさま?」 「霧生由希っていうんだ。人見知りだから、そっとしておいてやってくれ」 「そうなの、由希くんね」  ふふっと意味ありげに麗奈が微笑む。 もしかすると、理香子は麗奈にも由希との浮気のことを相談していたのかもしれない。 気まずい思いだったが、理香子を真剣に心配している愛弓のためにも少しでも理香子の手掛かりになる情報を集めなくてはならない。 「汐崎さん、今日はアンタに聞きたいことがあってきたんだ」 「悠一さんが私に聞きたいこと?何かしら」 「理香子について、知ってることをなんでもいいから教えて欲しいんだ」 「理香子、まだ見つかっていないものね」  眉根を寄せた麗奈は一見心配そうな顔をしていたけど、声のトーンはどこか冷めたように響いた。 愛弓と違って、何故だか麗奈はあまり理香子のことを心配していないように見える。 「悠一さん、まだ理香子のことを少しは愛していたりするのかしら?離婚したいって理香子に言ったんですってね」 「いや、言いにくいけど、理香子のことは今はもう愛していない。でも、愛してないからって、心配してないわけじゃないぞ」 「義理堅いのね、今時レアだわ。悪いけど、私も理香子については未だになんの音沙汰もないし、情報も入ってきていないわ。ごめんなさいね」 「そっか。ライターだからひょっとしてオレたちが知らないような情報を知ってるかもしんねぇと思ったけど、そう上手くはいかないよな」 「お役にたてず、申し訳ないわ」 「いや、気にしないでくれ。それじゃあ、理香子が居なくなった日のことについて教えてくれ。失踪した日、理香子の母親によると理香子は美容院に行って、めかしこんで家を出たらしいんだ」 「へえ、そうなのね。理香子も彼を作ってデートに出かけたんだったりしてね」 「さあな。ただ、目撃情報を集めたら、理香子らしき女が自宅の最寄駅で誰かの車に乗り込むところを見たって話がでてきてな。オレは、理香子はそいつに誘拐された線を考えているんだ」 「まるで探偵みたいね、悠一さん」  幼稚園の先生のような慈愛と優しさに満ちた目で麗奈が笑う。 悠一は性別を感じさせない爽やかな麗奈が時折見せる、母性と愛情あふれる顔が苦手だった。 別に馬鹿にされているように感じているわけじゃない。なんとなく、申し訳ないけど生理的に苦手なのだ。 麗奈本人は別に嫌いじゃないけど、菩薩めいた笑みだけは好きになれない。 「汐崎さんは理香子が誰の車に乗ったか、心当たりはないか?その日、麗奈と会って話したりとかしてねぇよな?」 「ええ、理香子が実家に戻ってからは一度も会っていないわ。理香子と会っていた男の心当たりもないしね」 「そっか。仕事中にこんな話して、悪かったな」  キャバクラに長居は無用だ。悠一はお金を払って帰ろうとした。しかし、麗奈に腕を掴まれてソファに引き戻される。 「つれないわね、悠一さん。せっかく来てくれたんですもの。もう少しゆっくりしていってよ。今度は私が話をする番ね」 麗奈が体を密着させるようにしたので、柔らかい胸が腕に当たった。 それを見た由希が噛み付きそうな表情を浮かべたので、少しひやりとした。 麗奈にマシンガンの如く文句を垂れたりしないだろうかと思ったが、由希は女性に対して紳士なので怒りを飲み込んで大人しく黙っていた。 「あんまり、持ち合わせがないから帰るわ」 「いいのよ、いくらでもツケれるし、サービスもするわ。友達の旦那さんですもの。いえ、元旦那さんよね」 「何か、オレに用事でもあるのか?」 「理香子がこのまま見つからなかったら離婚が成立するでしょう?次のお嫁さん候補はもう決まっているのかしら?」 「それ、答えないといけないのか?」 「義務はないわ。ただ、純粋に興味があって聞いているのよ。私はこの通り未だに独身でしょう?結婚というものがどんなものか知りたくてね。何を思って結婚し、離婚に向かうのか。離婚した後はどんな気分なのかってね」 「悪いけど、オレは世間一般からはずれてるから取材してもムダだぞ。記事にできるような話はできないぜ」 「答えたくないという意思表示ね。ごめんなさい、嫌なことをズケズケ聞いてしまって」 「いや、べつにいいけど」 「もう一つ聞いてもいいかしら。隣の彼、由希くんっていったわよね、彼は悠一さんにとってどんな存在?年の離れたお友達なのかしら?」  どういう意図でそんなことを聞くのだろう。もしかして自分と由希が恋愛関係にあると勘付いていて、同性愛についての取材でも頼もうとしているのだろうか。 ライターに根掘り葉掘りあれこれ聞かれて、面白半分に記事にされるのはごめんだ。 人の好奇心の的にはなりたくない。でも、嘘も吐きたくない。 「由希はオレの大切な人だ」  悠一ははっきりと答えると、今度こそお金を払って店を出た。  淀んだ空気を追い出すように深呼吸をする。冬の夜の空気は冷たく透き通っていて、深く吸い込むと体から膿がでていくような気分だ。 「由希、ごめんな。ああいう場所苦手だろ」 「はい。でも、かまいません。俺も理香子さんに関わる情報を聞きたかったので」 「でも、収穫はなかったな」 「そうでしょうか。俺は少しだけひっかかるところがありました」 「ひっかかるところ?なんだよ、それ」 「たいしたことじゃないんですけど、汐崎さんが『理香子と会っていた男の心当たりもない』と言ったことです」 「それがどうかしたのか?」 「悠一さんは、理香子さんが失踪した日に誰かと会う約束をしていて、駅で誰かの車に乗るのを目撃されていると言いましたが、男だとは言っていません。それなのに、どうして汐崎さんは男と限定するのでしょうか?まるで、犯人を知っているみたいだ」  さすが国語教師、言葉の使い方にはかなり敏感だ。悠一は感心した顔で由希を見る。 確かに、言われてみれば理香子と会っていた人物を男と限定しているのは怪しい。 ただ、大抵の人はあまり言葉の使い方を意識せずに喋っている。 理香子がおめかしして出かけたと聞き、麗奈が無意識のうちに彼氏と会う約束をしていたに違いないと思い込んでしまって男と言っただけの可能性が高い。 「考え過ぎだろ」  笑いながら否定すると、由希は緩く頬を上げた。 「そうですね、ちょっと疑いすぎました。理香子さんの友人を疑うなんて、どうかしていますね」 「そうは言わねぇけどさ。でも、まさか汐崎さんが理香子の失踪に関わっていることはねぇだろ。理香子が失踪しても、彼女に得なんてねぇし」 「……じつは恨まれていた、なんてことはないですよね?」 「やけに汐崎さんにキツイな。なんかあるのか?」 「いえ、そういうわけでは。ただ、なんとなくあの人は苦手です」 「珍しいな、由希が初対面でそんなこと言うなんて」 「初対面、そうですよね。初対面のはずなんですが―…」  気になる呟きを漏らしたが、由希はそれ以上何も言わなかった。
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