沈華

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愛弓の彼氏とその友人とのバーベキューの日はあいにくの天気だった。 初めて会った親友の彼氏は見た目も冴えなければ中身も冴えない男で、初顔合わせの時にろくに挨拶もしないし、気も回らない。バーベキューの段取りの時点でモタモタしていて嫌な予感はしていたけれど、見事に的中だった。 まず、到着してから火を点けるのに一時間以上かかり、安易に新聞紙で火を点けたので炭は飛ぶし、肉を焼くのは主婦である自分の仕事になるしで、まったく楽しめなかった。愛弓は楽しそうに彼氏にべったり寄り添っていたけど、理香子も麗奈も怒りと呆れで顔が引き攣るのを我慢して、愛想笑いを浮かべるのに必死だった。 地獄のバーベキューから解放された直後、理香子は段取り悪い退屈なバーベキューで溜まった鬱憤を晴らすため、麗奈と二人でチェーンの居酒屋を訪れた。 料理は安っぽいけれど、個室風になっているのが気に入っていてたまに利用するなじみの店だ。 「愛弓ったらあんな男のどこがいいのかしらね。不思議だわ」  一杯目のビールを一気に半分ほど胃に流し込み、麗奈がため息交じりに言った。甘いカルーアミルクで喉を潤し、理香子も彼女に同意する。 「本当、今までずっと彼氏を作らずにいたのに、最終的にあんな見た目も中身も低レベルな男を選ぶなんてね。しかも前にいちど告白されて振った男よ」 「愛弓も焦りがあるのかしらね」 ひとりごとのような麗奈の言葉に胸がざわつく。 愛弓も?もってことは、麗奈も何かに焦っているのだろうか。ライターとして一人前に活躍し、結婚なんてせずに一人で生きていくと豪語している麗奈。独身貴族でいつでも優雅な彼女が何に焦るというのだろう。 呟いた麗奈の目はどこか遠く虚ろだ。いつも生き生きとして余裕めいた彼女らしくない顔。見てはいけないものを見てしまった気分になる。 もしかして、仕事がうまくいっていないのだろうか。フリーランスの収入は不安定なことが多いらしいけど、麗奈に限って仕事に困っているとは思えない。 でも、そういえば彼女がどんな記事を書いているかあまり知らない。 気になったが、聞いてはいけないことのような気がしたので聞かなかった。麗奈は自分の中で理想の完璧なできる女だ。そのイメージを崩したくないと、自然に自分の心を守ろうとしたのかもしれない。 気まずい雰囲気になるのを避けるため、理香子はわざと大きな声を上げた。 「愛弓、あの冴えない彼氏と結婚するのかな?お金なさそうだし、ケチそうだよね。今日のバーベキューも愛弓の彼氏の友達が女性は男性の半額でいいよって言ってくれなきゃ、ぜったいにきっちりワリカンになっていたわ。あの彼氏、どこがいいのかあたしには理解できない」 「理香子に同意ね。私はてっきり、見た目は悪くとも中身ができた男だから愛弓が付き合うことにしたのだと思っていたわよ。でも、中身も最低よね」 「あんな男と愛弓が結婚するのは嫌だな。結婚式、行きたくない」 「私もよ」 「それに、この前の愛弓の態度ちょっとムカついたわよね。麗奈もムカついたでしょ」 「どの話?」 「バーベキューの前に三人でまた飲みに行こうって誘った時よ。あたしが提案した日、ぜんぶ彼氏さんと出かけるかもしれないからって断った上に、この日ならいいよって提案もしてこなかったじゃない。彼氏さんっていう言い方もなんだかイラっとするし、どんだけ彼氏優先って話よ」 「いるわよね、彼氏ができた瞬間に彼氏中心になる子。でもまあしょうがないわよ、理香子。女なんて所詮、男を一番に選ぶ悲しい生き物なのよ。友達はどんなに大事にしても自分を養ってくれないけど、男は養ってくれるでしょう。まあ、私と理香子は違うけどね。私達は男になんて媚びない、友情を大事にする女よね」  含み笑いを浮かべる麗奈に胸が高鳴る。 愛弓をのぞいて二人でひっそりと彼女に関する愚痴を言い合うのは、至福の時間だ。美しく聡明な麗奈と共犯関係になった気がして得意になれる。 愛弓の彼氏を貶しながら、枝豆やピザを摘まんで好きなだけお酒を飲む。退屈な日常の家事で溜まった鬱憤や、昼間のバーベキューで感じた愛弓の彼氏への苛立ちがすうっと消えていく。 悪口ってどうしてこんなに楽しいのだろう。 愛弓は悪口にあまり乗ってくれないけれど、麗奈はポンポンと毒を吐く。だから、彼女と話すのは楽しい。 麗奈は夫の悠一について愚痴っても、愛弓みたいに「仕事を辞めるのを許してくれて習い事も好きにさせてくれているのに、文句を言ったらかわいそうだよ。罰が当たるよ」なんて説教めいたことは絶対に言わない。 あたしの気持ちを分かってくれる。  ラーメンやハンバーガーなど味が濃くて脂っこい体に悪いものは美味しく感じる。同じように、友人の悪口や愚痴も甘美な蜜の味だ。  アルコールの勢いも手伝って、いつもより饒舌になっていた。だから、言わなくていいことまでポロリと唇から零れ落ちてしまう。 「そういえばね、麗奈。この前、夫のケータイに怪しい電話があったの」 「怪しい電話ってなにかしら?」  きらりと麗奈の目が光ったことに、泥酔した理香子は気付かなかった。 「なんかね、ゆきって人からの電話。ゆきって誰だろう、女だったりして。なんてね」 「ありえるかもしれないわよ」 「え?」  思わぬ麗奈の言葉に理香子は肝が冷えた。ありえないわよと笑ってくれることを期待していたのだ。それが、ありえると言われるなんて。  動揺した目で理香子は麗奈を見る。麗奈ははジンライムを傾けて飲み干すと、切れ長の瞳でじっと理香子を見詰めた。 「男なんてね、浮気な生き物よ。若い女や派手な女にすぐに目移りしてしまうの。結婚して何年も経つとね、妻を女として見られなくなるものよ。それで外で金を払って女を買ったり、若くて馬鹿な女をひっかけたりするのよ」 「まさか、悠一に限って―…」 「浮気された妻はみんなそう言うわよ。うちの夫に限ってってね」  意地悪くぎらついた麗奈の目にますます鼓動が不規則になる。情熱も根気もない悠一が浮気なんてするはずないと思いたいけど、麗奈の言葉には妙な説得力があった。 カシスオレンジのグラスにゆらめく自分の顔はみっともなく狼狽えている。  麗奈の形のよい唇からくすりと小さな笑い声が漏れた。 「冗談よ、理香子。安心して、貴方はとっても美人だわ。貴方みたいな美しい妻がいるのに、浮気するなんてありえないわよ。動揺しちゃって、可愛いわね」 「やだ麗奈、驚かさないでよ。本気で不安になったじゃないの」 「悠一さんを愛しているのね、熱々で羨ましいわね」  そうじゃない。夫への愛情はもう半分ほど冷めてほとんど残っていない。でも、浮気はぜったいに許せない。女としてのプライドが許さないのだ。 「悠一が浮気なんて、よく考えたらないわ。だって、モテないし。顔は平凡だし、気も回らない。ぼんやりして覇気もないしね」 「まあ、確かに悠一さんは無気力なタイプの男よね。野心がないというか。でも、モテないとは限らないわよ。悠一さん、きりっとさえしていれば男らしくてハンサムじゃない。運動神経が抜群で体も筋肉質で背が高いし、いい男だと思う女もけっこういると思うわよ。私はかっこいいと思うわ」 「やだ、麗奈ったら。お世辞はいいわよ。ない、ない。ありえないわ」  理香子はひとしきり笑うと、カシスオレンジを一気に飲み干した。 氷が解けて薄くなったカシスオレンジは苦みだけがやたら強く、あまりおいしくなかった。  
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