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「悪いけど、これ以上は進めないな、お客さん」 タクシーの運転手が、申し訳なさそうに振り返る。 除雪されていない集落の入り口には、ボンネットを越える高さの雪が積もっていて、素人の俺から見てもそこを通るのは不可能に見えた。 「いいですここで。おいくらですか?」 父親が財布を取り出す。 開けられた後部座席から冷気が入ってきて、たちまち息が白く曇る。 金を払い終えた父親が、自分と俺の長靴を雪の上に下ろす。 去っていくタクシーを見送ると、辺りは途端に真っ暗になった。 「外灯もないのかよ。江戸時代で止まってんの?ここは…」 太腿まで積もった雪をザクザク進みながら通路を作ってくれている父親に言う。 「はは。祖父さんの前では言うなよ。鉄スコ(鉄スコップ)で殴り殺されるぞ」 笑いながら振り返る。 「ほとんどの住民が引っ越して行ったんだよ。ここで残ってるのは祖父さんと、集会所の隣にある組合長の家だけだ」 「へえ………」 確かに人気(ひとけ)のない雪に埋もれた家々を眺める。 暗闇に目が慣れると、月明かりに雪が反射して、意外に道は明るかった。 父親が作ってくれた即席の通路を歩いているのだが、それでも長靴の隙間から雪が入ってくる。 「最低だ……」 「言うなって」 父親が笑う。 やっと祖父の家が見えてきた。 覆いつくした雪のせいで、家の形も道も景色もわからないのだが、灯りがついている家がそこしかない。 玄関脇には祖父が除雪機で飛ばしたのであろう、雪山が左右に出来ている。 「ふう。やれやれ」 言いながら父親が長靴に着いた雪を左右の足で擦り落す。 それにならい自分も雪を払いながら顔を顰めたところで、玄関の扉が開いた。 「あ、親父」 父親が顔を上げる。 「今日から、3ヶ月間、お世話になります」 父親に腕を引かれ前に出される。 「お、お世話になります」 毛糸の帽子とネックウォーマー姿の祖父を見上げる。 確かに目元は年老いているが、数年前に会ったときとそう変わらないように見えた。 「……風呂は沸かしておいた」  祖父はネックウォーマーに覆われた口をモゾモゾと動かしながら言った。 「布団も敷いておいた」 「あ、ありがとうございます」 父親が言い終わる前に、祖父は2人の間を抜けるようにして歩き出した。 「あ、え?どちらに?」 父親が言うと、祖父は振り返らないまま言った。 「荒幡(あらはた)様に参ってくる」 「え、こんな時間から?」 「よそ者が入ってきて、怒っているだろうから」 (え、怒ってんの。じゃあ、ぜひ参ってきてください…) 俺は心の中で呟きながら目を細めた。 「そんな、よそ者だなんて、辛辣だなあ、もう…」 父親の言葉には答えず、祖父は雪の中に消えて行ってしまった。 「—————」 「—————」 俺は父親を見つめ、父親は、祖父の去っていった雪の道を見つめた。 「ーーーそれじゃ、俺、帰るから…」 父親がこちらを振り返らないまま言う。 「ーーーおい、笑えない冗談よせよ」 呆れて見上げると、父親は口の端をひきつらせながら笑った。 「冗談に聞こえるか?じゃあ、笑えよ」 どうやら本気で言っている父親に失望しながら、ため息をつく。 「俺、あの祖父さんとコミュニケーション取るの無理だって」 「取る必要ないだろ。学校に行って、帰ったら寝て、学校に行って…の繰り返しでいい」 「———他人事だと思って、あんたなー」 「何かあったら連絡しろよ」 そう言うと父親は、本当に踵を返して歩き出してしまった。 せめて祖父が戻ってくるまではいてほしかったが、そんな縋るような真似をするのも恥ずかしく、俺はその茅葺屋根の家を改めて見上げた。
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