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「走入益世って変な名前だよな。パシリみたいだ」
堂園晃が言った。中学二年。五月の連休明け。あれはよく晴れた日の午後だった。なにか言い返してやることも出来た。だがクラス替えがあってまだ一月経つか経たぬかのこの時期だ。それが切っ掛けとなって喧嘩騒ぎになってもつまらないと思った。走入益世は愛想笑いを浮かべ、堂園をやり過ごした。あとになって思えばそれが間違いの元だった。六月の下旬頃になると、走入益世は堂園たちのグループのパシリとして、昼休み毎に学校の隣の商店へ割り箸やら駄菓子やらを駆け足で買いに行かされるのが日常と化していたのだった。
「走入、いつものやつ買ってきて」
堂園に命じられ、駆け足で校門を抜けて隣の店へ走る。いつもの駄菓子と割り箸を買って駆け足で教室へ戻る。使い走り――誰が考え出した言葉なのか、パシリとはまあよく言ったものだ。
「買ってきた」
買ってきたものと釣り銭を堂園に渡す。
「タイムが昨日より十五秒落ちてるぞ」
「すまん」
「明日は真剣にやれ」
「わかった」
なんで俺がこんなくだらないやつに顎で使われねばならんのだ。そう思いつつも、堂園のグループに立ち向かう気力は沸き上がらなかった。堂園のグループは四人。しかも堂園は顔が広い。多勢に無勢。走入に勝ち目はなかった。勝ち目のない戦いを堂園グループに挑むには、走入はあまりにも想像力があり過ぎるのだった。敗北した後のことを想像すると、走入はとてもじゃないが堂園に対して戦いを挑めなかった。その弱腰がさらに走入の学校内における地位の低下に拍車をかけた。
パシリをやらされている。それが心の痛みとなった。心の痛みは成績不振という形を伴って具現化した。いつしか走入は劣等生の仲間入りを果たしていた。
一度地に落ちてしまった名誉を挽回するのは限りなく困難だ。走入益世はついに挽回できぬまま、無念の中学時代を終えた。
走入の家庭は貧しかった。県立高校の受験を失敗した走入は、滑り止めの私立高校への進学も許されず、中卒の非正規労働者としてひたすら重い荷物をトラックへ積み込む毎日を繰り返して過ごしたのだった。
一年ほどが過ぎたある日のことだ。スキルアップとは無縁な単純労働をいつも通りに終えてから、錆びた自転車を漕いで自宅を目指していると、交番の前に張り出されたポスターが目についた。それは警察官募集のポスターであった。男女ふたり。絵に描いたようなナイスガイと如何にも才色兼備といった若い女が凛々しい制服姿で並んで敬礼している。走入は自転車を降りて、吸い寄せられるようにふらふらとポスターへ近寄った。
走入はポスターに記された募集要項を目の当たりにして衝撃を受けたのだった。走入はそのとき初めて知ったのだった。警察官採用試験は中卒でも受験出来るのだということを。
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